花鳥風月

生かされて行くもの達の美しさを見つめて,
ありのままの心で生きている日々の、
ふとした驚き、感動、希望、

映画の巨匠 スピルバーグ と黒澤作品

2012-02-28 07:08:47 | Weblog

西洋の食器やグラスに
伊万里や九谷焼や
日本の感性の逆輸入の物があります。

ゴッホやフランス画家の作品に
日本の浮世絵が影響しています。

日本の多くの寺や美術品は
中国が起源と思われるものが
少なくありません。

西安の街も塀の上の
唐招提寺も
鑑真和尚が日本に移動させたのでしょうか?

あれもこれも
そっくりです。

しかし、、、
日本の「時の巨匠」たちは
其の時代に君臨していた
貴族や大将の
豪勢で贅沢で、
権力の象徴の役割を果たしつつ

美学の最高の感性で
注文主の者を
作品の中に引き込み
しかも、、、

注文主を満足させるために
彼らの教養から来る想像力を

なんと!!!
まるで、、、作品にわさび? 
いいえ、、、芥子?
まだまだ、、、そうです!!
河豚が鑑賞する作品には
本人には毒にはならないが
本人の持っている毒を

ちゃーんと作品に盛り込んでいる。

美しい庭の広さとさわやかさを
室内に取り込むために
窓辺に一輪挿しを使うように。

決して、そこには
室内の人間の蛾で窓を遮断する作品は不要。

庭と室内をイメージでつなぐ技は
人間という感性を持った共演者がいて
しかも、其の共演者を主役にすることで
一輪挿しの役割はしゅやくとなり、
一千万円の一輪挿しが出現する。

名誉や地位や、権力の好きな人は
一輪挿しの中に、満足と
友人関係の感性の共有と
部屋の中に「有名人」という
ステータスの客人を
イメージの中に招き入れる。

黒澤作品の蜘蛛の巣城
マクベスが思い出させられる。

濃密な霧の中に
うっすらと騎馬武者が
シルエットで現れる、、、

何回も、、、現れては消える。
消えては、、、現れる。

繰り返しの中で
振り子の催眠術にかかるように

観客が共同製作の一端を、担う。
「作品の一部として、
自分のイメージで表現を盛り上げる。」

森が動く。。。

洗っても洗っても落ちない血、、、
また洗う、、、洗う、、、

作品に表現されていない次元の感情を
観客の感性を共同制作者として
作品の主役に据えることで、
2次元の画面では不可能な次元の表現を
完成してしまう。

本に例えるのなら
行間を読ませてしまう映像効果を知っている。

聖書のように
読み手に作品の奥行きを
委ねている。
判らんやつには
それなりに。

「ジョーズ」はいつ出てくるのか!?

ハラハラ、、、ドキドキ、、、
なかなか出てこない。

今出てきたらパニックだ!
海は人であふれている、

人がイモ洗いのように揺れて
波の中で足や手がうごめき、もつれ、、、
振り子の催眠術にかかり
観客は監督の共同製作者になった頃

そうです!
イメージで、、、じれったくなり
恐怖が不安と入り混じった頃、
画面にジョーが現れる、、、。

椿三十朗もそうである。

椿が流れてくる、、、
一つ二つ、、、三つ、、四つ、、
其のうちぎっしりと、
あたりは椿だらけになって
椿の小川になる。

観客のイメージや感性を
実に主役を食ってしまうぐらい
共演者にしてしまう。

この時代の監督は
どうして、、、こうした技が使えるのか?

三船敏郎のイメージ
仲代達也のイメージ
山崎勉のイメージ

山田五十鈴のイメージ

窓際の一千万以上の一輪挿しも
そん所そこらの一輪挿しではない。

弘前城の桜が
堀の中で、
もう一つの世界を見せてくれるがごとく

画像は
観客を
共同製作者の中の
主役に抜擢する心意気で
プロの視点を持つことではないでしょうか?

見る側に
「見せようとする蛾」を
押し付けないことだと
思いませんか?

つまり、、、伊万里も
赤絵も、、、

ヨーロッパの作品の
販売のターゲットが

黄金の国ジパングだとすれば
ジパングの
金満家の愛するイメージを
作品に取り込むことで

相手国の自尊心と
共同制作者としてのイメージで
作品は仕上がるとすると、、、

うがった見方で
いやらしい商魂で
創られたものでさえ

勝手に高級な代金につながってゆくという
催眠術がなきにしもあらず。

しかし、、、
感性は魂に近い。

時を越えて残る品物は
決して、、、
時代を映す人間の刹那的な
形や色には惑わされない。

天の光を
製作者の共同者として
主役に迎えた魂の一点に
時空を超えて
残り続けている不思議がある。

すべからく、、、
良いものには
「俺、、俺、、、俺、、がない。」

今のTVは
観客に媚びすぎていると思えてならない。

もっと自然体に
もっと、わざとらしくなく
もっと、目線を客席に!

そうです、、、!!!!!
子供の頃から
「笑点」を見逃してない私なのです。

以上のことは
適当に読んでください。

9月になったら
がん学会で
札幌に来るんでしょう!?

待ってるからね、
ドターと、、、何も考えないで

泥のように眠りこけて
疲れを取れるように

何もしないスペースを
自然体で使えるように

新聞は片付けておくからね、、、
君がいてくれたから
人生は面白かった。

遠くからでも
見える君であったから、、、
孤独ではなかった。

一度しかない人生を
走り続けた君を
遠くから
見ているだけで

元気がもらえた。

どこにもある自己実現にゃ
虚飾にとらわれず、

出産、育児、
リスクマネージの
一人ぼっちの家庭の主婦で
時間が足りなくなるほど
追いまくられながら働けていた。

私の仕事は
いつも
「もとどうり戻すだけの仕事」
「片付けるだけの人生ですが、、、
それも終わりつつある。」

振り返れば
皆がいてくれて
皆がそれぞれがんばって
「居るだけで、元気をくれたから、、、」

一人ぼっちで
長い間
主婦を出来たのだと、、、

振り返れば、、、
「君が居た!」