花鳥風月

生かされて行くもの達の美しさを見つめて,
ありのままの心で生きている日々の、
ふとした驚き、感動、希望、

2015年  謹賀新年

2015-01-06 01:35:04 | Weblog

20年住んだ、文京のマンションを引き払うことになりました。

20年前、医科大学に受かった息子の部屋を探して、お茶の水の。山の上のホテル前で
息子と待ち合わせました。

教養時代の千葉から
学部移動してきた息子は、
よれよれの巨大なボストンバックと、汗のしみ込んだデニムのズボン。
伸びた髪。

上野の西郷さんの像の前か、動物園のゴリラの折の前で
待ち合わせて、盛り上がればよかった。

当時の山の上のホテルは、
私の大学時代の実験室が隣にあったこともあり、
洗練されて、どこか、明治の古き良き品があり
旧友と紅茶など楽しみに行ったものだった。

教養を終了した息子は、きっと、
医科大生、誕生のごとく、洗練されているかもしれないと、

その日は、楽しみに待ち合わせた。

が、、、、、

急きょ、ラフなイデタチニ、似合う店に入って、
一年ぶりの再会に、とりあえずコーラで間に合わせて乾杯した。

「母さん、、、運動部の学生たちと
2段ベットのずらーと並んだ部屋で
寝てるのか?起きてるのか?わからないぐらい、、、
ベットだけの、我がスペースで、一年がすっ飛んだよ。」

無精ひげ、洗いざらしの木綿のシャツ。くたびれたズック。

「この一年間で、思い知ったよ!」
同じ部屋の運動部の生徒はね、
頭の中まで筋肉隆々って感じでね、
何をやっても、、、かなわね~~~~よ!

つくづく、僕の生きて行ける道は、
しっかり勉強して、医師になるしか。活路はないって、、、
思い知った一年間だったよ。

あのころは、大学駅伝でも、毎年一番、二番を争っていた運動部だけに、
凛とした実績からくるオーラーが、
グラウンドでは、医学部の追従を許さないレベルであったのだろう、、、と
私なりに想像した。

子供のころから、頭の回転だけはよかったので、
何とか、医大に進学できたものの、

あと6年、そして国家試験、
医師になってから、ほとんど無給が3年、
あちこちの病院の特徴のある科を研修して回る向こう20年間の

勉強部屋。

賃貸の1kが、9万、、、2kが11万、、、

いっそ購入してローンを組むと2DKで、支払いは変わらない。

医大に通うことは、本の増え方も考えた。

思い切って、父の住んでいた早稲田から近い文教に
中古のマンションを買いました。

父はこのあたりから、慈恵医大に通っていた。
神楽坂の毘沙門天のあたりの縁日の話など、思い出しながら、
息子の、人生の拠点を買いました。

北海道に帰ってからは
1か月290時間という激務の勤務の中で、
マンションを買い取ることが、
息子への、医師への道をかなえさせられる必須条件と、思われた。

古くても、我が子と、親の絆の保てる唯一の住処であった。

医師になって14年目、

認定医の資格をとり、
息子は静岡に固定をしたいという。

「母さん、、、静岡は、生きるか死ぬかの患者さんが
ドクターヘリで運ばれてくるんだよ。」

医師の中でも、あまりの忙しさや、
静岡という、自然の中の、交通が不便なところなので
希望者が少なく、

必要とされているのが、日々の忙しさでもわかるよ。
凄腕の先生が居たんだけど、
現場って、やってる本人にしか理解されないほど
激務なんだけど、報われることは少ないと思うよ。

一瞬んを争う命の境目に立っているだけに、
くたくたになりながらも、、、
必要とされている、充実感があるんだよ。
医者バカと言われれば、、、そのとおり。

40歳、独身、時間が敵だった。時間はすべてを飲み込んでしまった。
大学院に行って、自分の為にも論文を書き、
留学をして、各国にパイプを作り、
華々しい、人生を目指して、
時間を自分の為に使いこなすかしこい先生は多い。

もう、、、東京に帰ってくることはない、、、という。

このマンションンも役目を終わり、
新しいオーナーに、リホームされて、
また、大学生を社会へと生み出す役目を果たすだろう。

医師という職業柄、まとめて捨てることのできない資料が多い。

学会誌だけでも、200キロ以上ある。

個人情報にも気を付ける。
名簿類も捨てない。

今日で、縦横高さ140センチの段ボールが50個目を発送した。

売れたお金は、空に投げる。
日本のどこかで、廻りまわって、
被災した人々の援助隊の人々の
活動費の一部になるのだそうですが、
息子は、多くを語らない。

どんどん空になってゆく部屋の中からは、
これほど多くの地味な、資料の勉強の土台を
マンションの部屋は受け止めてくれていたのかと思うと、

息子を医師として育ててくれた子宮、
胎盤がこの部屋であったと、、、感謝する。

40歳で独身、彼女なし。
ひたすら医師として仕事に明け暮れる息子よ。

不器用に生きている君だけど、

医師を続けてゆくことは、
国家免許を合格して、医師になるより難しいかもしれないね。

部屋を片づけながら、
いつになったら、幸せが来るのかわからないが、

真摯に、医師として、医師をやってくれれば、
それだけで、難しいことを、よく実行できていると、
心から、親は、天に感謝するよ。

内面のポテンシャルエネルギーの大きな
命をあづかる一瞬一瞬は、時間の魔術師のように
息子の人生を、あっという間に、おじいさんにしてしまうだろう。

このマンションを維持できなかったことは、
一抹のさみしさとともに、
私も、故郷の東京に、足がかりが亡くなり

息子との絆を守っていた人生の持ち時間が
燃え尽きてゆくような、
一抹のさみしさをふと、、
思いながらも、
私が元気なうちに
医師を生み出した、胎盤の処理が出来てほっとした思いです。

今後は、多くをノ望まず、
よい医師を続けてく行ってくださいね。