花鳥風月

生かされて行くもの達の美しさを見つめて,
ありのままの心で生きている日々の、
ふとした驚き、感動、希望、

人生いろいろ、70歳の峠道

2015-01-19 04:12:38 | Weblog

13年前のことをふと思い出すのです。
ピカピカのノイへレンが、つんのめりそうな豊富と
つっかえ棒のいりそうな、張り切りようで

卒後の医局に入局した前後の、泣き笑いの物語です。

母さん、、、私は、新入医局員の、、、と、挨拶するや否や

「いいか、、、お前は間違っている!、現場では、
教科書100点でも、何も役に立たん!

いいか、お前はかんがえるな!
ひたすら、先輩の指示に従え、、、、

いきなり、国家免許を取得したという、、、勢いも
さあーー俺様の出番だ!という
わくわくする気持ちも

新参医師という自己紹介の終わらぬうちに、
辛酸意志って感じになりました。

何か自分から手伝おうとすると、
「お前は何もするな、考えるな!ひたすら見ていろ!」

母さん、、、医局では、何もさせてもらえないんだ、、、。

命の前には
「机上の空論は、何もしないという事以下だってことを、
先輩は教えてくれてるのでしょう、、、」

頭だけでも、口先だけでも、免許があるからって
目の前の 、
生きるか死ぬかの剣ヶ峰の命の前には、
何の役にも立たないだけじゃなくて、
その瞬間に集中している担当の医師の邪魔をしないことが、
技術の一歩という事かしら?

すっかり自信喪失の息子の電話に、苦笑いしながら

お父さんだって、医師になりたての頃は
「僕の身分は医局で飼っている犬のえさ係だ!」って
何もさせてもらえないで、その間実験ばかりしてたわよ。

「このままでは、外科医として、役に立てる日は来ない!」
「あちこちの関連病院をローテーションしながら、
技術を習い、一人前の医師として、
主治医が務まるようになったのは40歳近くだったと思うわよ。

臨床医は、患者さんが先生だから、
それだけの症例にあたってないと、一人前にはなれないみたいよ。

**********

あれから13年たちました。
すっかり医師らしくなりましたが、
彼は、人並みのささやかな
幸せのかけらもありません。

企業と違って、勤務医は控除がありません。
激務と寝不足で、タクシーで移動しながら
睡眠時間を買うという、研修の時代を過ぎると、

11月からい月いっぱいかかっても、
整理しきれない本が、
つみあがる。

日進月歩の医学の世界では、
10年たった本のほとんどが
バージョンの古いPC、のごとく、
役に立たなくなる。

今回200キロ以上の本を処分したが、
税金の控除には無関係である。

開業して、従業員の家族もろとも背負える職業を
他人に提供して、
初めて控除らしい控除に出会えるからね。

本人が
自分の為だけに生きているうちは
税金は、
たとえ医学の為に使っても、
お金が無くなっても
、払わねばならないのが税金だから

40にして、自宅なし、嫁なし、、、、
多くの社会のことを、学ぶ時間を、
狭く、細く、医学のことだけに
かかわってきた彼を

母親として、
導く時期はとっくに過ぎてしまっている。

でも、、、信じているのです。

あなたの父さんも、おじいちゃんも、おじさんも
そのまた おじいさんも、医者だったという事実、

医師の見えない部分の、
天から授かった感のようなもの、

遺伝子でしか運べないDNAの中の、
そのまた光の粒子よりも小さな何かが

息子を、
医師になることへ、
導いたのでしょう。

天が、神が、 病人を救うための、
千手の一本に、
息子を選んだんだと信じている。

自分が
役に立つ医師になるために、
自分の為ばかりに生きた
40年の人生を振り返り

ここら辺で、結婚して、
多くの視点から、
成長させてくれる奥さんと
かわいい子供を授かって、

自分以外の人生の
サポーターを始めてはいかがですか?

先代の医師達は
、どういうわけか、
世間が思っているような
家屋敷も、金銀財宝もない。

その代り、、、
娘か息子を「医師として、世に送り返している。」

つまり、、、
家族から、医師を世に送り出すという事は

世に出てゆく、
「蛹時代」に、
親も家も食い尽くさないと

医師は生まれないという事かもしれません。

医師の財産は、、、
「医師である」という事と、

「医師を続けるための、技術がある」という

いつの世にも、
医師を続けていることが
財産であるという事かもしれないと思うのです。

一生、
怪獣のような時代に
ついてゆくための金銭を燃やす、
親からも、限界までのサポートを受ける

頭脳の新陳代謝の活発な
排気ガスを出し続ける
医師たちの裏方は

彼らを理解することで、
彼らの背後の神様に

息子が一生
医師として医師を続けられますように、、と祈り

今日も、天にありったけの心を、放り投げるのです。
命の前には、僕となる医師は
患者さんの僕になるのではないでしょう?

素人の感情たっぷりの自己診断に
洗脳されたように、
感情が動いてしまい、

医師としての判断が鈍るぐらいなら
「愛」は、医師にとっては
邪魔な感情かもしれませんね。

だからと言って、
人としての、幸せも、子供を持つことで
生命の不思議を知るから、
家庭を持つことだって

臨床医の
ポリクリの一種ではないのでしょうか?
奥さんが先生、
子供が先生
孫が先生、




そう思えてならないのですよ、

あなたのお父さんは言いました。
僕は、家族の前で
医師で居ることは
とてもできない、、、よ。

,,,,,,,
zekku .