花鳥風月

生かされて行くもの達の美しさを見つめて,
ありのままの心で生きている日々の、
ふとした驚き、感動、希望、

引越し直前の業者選び

2015-01-10 19:07:36 | Weblog




和歌山県、東牟婁郡 古座川町


医科大学の場合、
学校との距離が
値段の宿選びであった。

近さに助けられた、、、
4年生進級は
親は、、
、第一の関門を突破したと

気合を入れなおす


(^^!



友人たちと休みに、
インスタンプール参加者募ってるよ。

飛翔、、、インスタンプール、、の?

とんでもない、、、

ローン終わったばかりの自宅を

抵当に入れて、
東京のマンションを用意できたけど、、、

向こう何十年か余裕なし。


人体、命の
未知の世界旅行の
前売り券
7年分買ってしまったから

満願かなうまでは、
那智の滝に行ってみましょう。
其処からは、
解剖学では教えていただけなかった

精神の満ち溢れた、
滝の不思議なメッセージが
聴こえるわよ!

世界遺産に登録される前の那智は

修験者の気配も、
滝に圧倒されて、
自然の力、
生命の境界を何に求めるか?
凄い力で、
お滝さんは迫って来た。
生きている!
命が躍動して迫ってくる 滝

北海道のダイナミックさと
異なった滝の力に

息子は、、、
日本って、、、こんなところがあったんだね、、、

レンタカーを
豪華なホテルに乗り入れても
値段を聞いて引き返す私に、、、

よく、、
恥ずかしくないね!
「だって、、一人3万だっていうから、、、」

結局6500円のシティホテルに素泊まりし、

翌日は、海中公園や、
クジラの弁当、

橋杭岩、十津川の
瀞と、車を走らせ、

その勢いで、古座川を上り
和製ローレライの一枚岩までたどり着きました。
街道を行くで、おなじみになる前は
店がなくて、
三尾川小学校の一年生の、
遠足の目的地でしたよ。
村のいたずらのすきな青年が
藁で龍を造って、淵に沈め
皆を脅かそうとしたら、
藁は、本当の龍になって、
青年はすっかり驚いて、いたずらしなくなったという話を
遠足に行ったとき、教えてもらいました。
貧乏旅行をしましたが
我が家で、共有する郷土がもてました .


「母さん、、、ホテルなんか安くたって、、、面白かったよ。」

あれから、、、、
このマンションが、
息子の世界だった。

ぎっしり詰まった
母校からのエネルギッシュな学問が
ガンダムとともに魅惑した7年間。

とうとう、、、医師の誕生につながった。

目的は医師をすることですから
これからです!

羽化して飛ぶ昆虫のような
短い人生ではありません。

先生方への感謝の代わりに
あなたが寿命の尽きる一日前まで、

医師の仕事が続けられるように、
それが、お世話になったみんなへの

あなたができる、、、感謝です。

医師の生まれるための、、、紫何車、、、

しってますか?、、、胎盤のことよ。

ママはさみしくありません、
医師の受精卵を育てた胎盤は
大学と、先生方と、
このマンションだったのですから。

羽化した息子の残した殻のごとく、
古くなったMSには

よく頑張ったね!と、

労わりだけが、湧いてくるのです。

***   ***   

全部捨てなさい、、、
全部持っていきなさい、、、

二件の引越し屋からどちらかを選ぶのに
2週間考えましたよ。

全部持ってゆくことにしました。

全部持ってゆく業者さんへ

バカって言われるかもしれないけど、

北海道で、
あの子の親父さんと相談してから

もう一度、、、捨てることになるかもしれないわね。

子供のころから使ってたテーブルを梱包しながら、

いい色になったテーブルの裏に

二艘の舟  の歌詞を、マッキーで書き綴った

親父さんは外科という「愛」のない
切った貼ったを躊躇なくする。

私が、精根込めた残留物は、きっと
捨てるでしょう。

ぼろぼろに荒れた指先で
記憶をたどれば、

白浜の砂も、持ち帰ったのだった。

捨てれないでしょう!


白浜まで飛行機で行き、クマクス博物館を通り抜け
三段壁に立った、

北海道で育った息子は、
付き合ってくれているような平常心で
、、、遠くの波を見ていた。

入学当時の幼い顔は、ない。
 
20年後、、、あの時、

医師になるまで、自分たちが生きていられるか?

短期7年間だけの、
授業料保証の保険に加入したり、

親の責任はとりこし苦労もありました。

友人との絆の為にも、
出せるものなら、
海外旅行の思い出は、
あった方がベストだけれど、、、

親の心中は
平常の判断を欠いていた。


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2年生の時、
解剖学の実習が始まったとき、

私は、勤めを辞めて、
このマンションに泊まり込んだ。

ご遺体様の貴重な献体を、
全力で、学生も受け止めねば、医師にはなれません。

私たちは親子で、ご遺体様に名前を付けて
お名前で、挨拶し、今日の教えはなんだったの?と。
息子の初体験の大切な瞬間を、
干渉をしていた。

学生とは申せ、
ご遺体と向き合っている
疑似体験をしている母の気持ちは緊張で
平常心を欠いていた。
二艘の舟のように
私も揺れながら、
息子の科学への洗礼を
無事に通過できますようにと祈った。

初めての実習日から、
一連のカリキュラムを終えた日、

先生から、
貴重なお体を学生の志の為に献体してくださった方の
お名前を教えてもらいました。

親子で、つけさせていただいた、
お名前と一緒だったのです。

毎朝、感謝してお名前をお呼びして

今日もよろしく、、、と
息子を送り出した日々の、奇跡に近い思い出でした。

今、息子は、解剖学が基礎となる
医学の道を、自分なりに、歩みながら、
生死の境の患者さんと、真摯に向き合う日々が続いています。

このマンションの消えてゆく日は
新しい、、、出発なのだと思いたい。

役目を終えたのかも知れないマンションは
リホームされ、
また、世代交代で、学生たちを育ててゆくでしょう。





マーケットに入った息子は

わけもなく、、、涙が流れて、止まらなかったという。

もう、、、御茶ノ水に帰ってくることはないだろう、、、

帰ってきても、、、住処がない、

暮れの飲み会で、『皆もよく来てくれたMSを手放したよ』

「リノベーションして、次の世代を育てるMSに
生まれ変わるのさ、、、」

息子の友人は、時には廊下にもあふれて、泊まっていたと言いながら
一緒に、、、「無くなるなんて残念だなー」と。

喪失感を分かち合ってくれたそうです。

正月は13日間連続休みの先輩たちは
息子の連続連夜の病院泊まりで、きっと、
後ろ髪惹かれることのない、家族の団欒を持てたことでしょう。

最後のマンションで、初めての正月を迎えようと
息子を待った、

新幹線んで二時間はかからない東京で

二日の夜、現れて、三日の七時には新幹線で帰って行った。

心はいつも、テレパシーでつながっていても、ここ十年間は
正月がない。

医師として、ピークの40代突入です。
人間としても、幸せになってもらいたいと願っています。

毎日、命と格闘していると、

生死にかかわること以外は、反応しないので、

、喜怒哀楽の
職場を忘れた、思いやりが、
戻ってきてほしいものです


が必要ですよね