淡谷紀子さんの「イタリアの庭」
マランド楽団の「イタリアの庭」
聴こえてきたのです!!!
50年前の、疎開中の我が家の二階で
戦後の幸せのひと時を
蓄音機と心病んでた喪失感の患者さんたち。
解放された二階のダンスホールは
畳の部屋のぶち抜きで、、
母の笑顔、
父の髭が揺れて、
タンゴのリズムに体をゆすっていた。、
医師として先生も、
医師を忘れた一人の人間の
大きな二重の瞳が、
生き生きしていた。
戦後の復活は、
体をゆすり、
患者さんも、
役場の事務の人も
宿屋のやっちゃんも、
滝本の仕立て屋さんも
三輪バタコで駆けつけた、若い衆も、
戦後の診療所の
二階の蓄音機から、元気をもらった!、
「イタリアの庭」が聞こえてきていたのです。
頼まれ町長さんと、
校長先生と兼任していた、
頑固の代名詞だった爺ちゃんは
淡谷紀子さんをとても尊敬していて
、大のフアンデシタ。
懐かしい「イタリアの庭」
爺ちゃんの、目じりが下がった顔を忘れない!
去年から、仕事に閉じ込められた二男が、
愛の欠乏症候群で、笑いを忘れていた。
人生最後の、終活と割り切って、
二男の精神を閉じ込める、愛の不毛地帯に、
親として、命を懸けて、愛の熱戦で、
精神を取り巻く、見えない檻を焼き切った。
お母さん!、、、お母さんは「二艘の舟のように」
波の上で、僕が揺れてるとき、
母さんの舟も、揺れてくれていたんだね!
寂しくて、、、寂しくて、、、
仕事だけでは、、、時には、、、
消えそうな、孤独もあったのだろう。
男の人生は、戦場だから、母さんにはわからないが、
母さんは、君に「愛」を伝えるから、
その「愛のエンジン」で、
寂しさの海原を突っ走って、迷いの竜巻を抜けきれば
空には、朝日が真っ赤に空を染めて、
夜明けを約束してくれる。
日本の男たちは「男の中の男」だから、
寂しさなどには負けはしない。
戦いは、生きてる以上一生続く。
「ナデシコチーム」のように、
一枚岩になって、日本の良さを
投げ合って、パスしながら、
、、、絶対!!!!!活!
こんな時に、、、
聞こえてくるなんて!!!!!、、、
私も思わず、何十年ぶりかで、、、ステップを踏みながら
昼の憩のひと時の幸せに預かりました。
金銭的には貧乏に成っちゃった71歳の婆ちゃんですが、
お父さんも、お母さんも、爺ちゃんも、ご先祖も、
ご先祖が残してくれた、昭和陛下のお写真も、
日本人が、負けたらいかんと!力をくれている。
人生の敵は、目に見えないものが多いのです。
心の弱さが敵なのです。
寂しさは敵です。
親の愛情を信じなさい。
君は、滅びゆく親の肉体を、とこしえに未来に運ぶ舟になり
孫を見せてください。
40歳になって、寂しい心に出逢った時こそ!!!婚期です。
婚期とは、寂しさに耐えられない時が、、、今季です。
親の愛は、大人になった君のさみしさを満たせない。
寂しさから脱出する「エンジンにはなるでしょう!」
寂しさから抜け出るのは、君自身が、天の愛を信じることです。
君は、天から愛されている。
だから、、、医者にも成れた。患者様が待ってくれる腕にもなった。
医師が一人前になるのは40歳前後です
医師をすることが出来て、
患者さんが待っていてくれる。
それ以上の幸せをほしがっては「欲張り」です。
こころの貧乏にならない思い出を、
父母がいっぱいくれていますので
君にも、心が貧乏にならないように、
親ができる限りの「愛jのエネルギーを送るから。
未来に向かって、
夢に向かって、
仲間に愛され、
先輩に、かわいがられる
仕事場の「家族を作ってください。」
やがて、縁は向こうからきっと来ます。
紙の長いチャンスが、ふらふらと、現れます。
チャンスは、すぐに、待ち構えて掴まないと、
チャンスの後ろは「弦禿」です。
幸運を、祈る。
親は、君の人生とは、表裏一体でありながら
メビウスの輪のように、
交わるすべもない。
愛してるよ、、、一方通行にならない愛の証に、
君が、二度と寂しくならないように、
毎日、君に話しかけよう。
おはようさん!
おやすみなさい!
食べたかい?
風呂に入ったかい?
仕事以外の、趣味を、ひとつ、、、
今日も何か体を動かして、
体を鍛えよう。
息子のことを考えたり、
親との思い出をふりかえったり、、、
70歳になって、
夫からも、お嫁さんからも、
少し他人を感じ始めていたのですが、
息子の、、、寂しいよう!、、の一言で、
欲張ってはいけない{愛」に感謝がわきました。
仕事しか見ていない夫ですが、
元気で仕事ができる頭を保っているだけで、
感謝の「愛」ですよ。
一緒に、生きているだけで、
多くをほしがるのは、、、、欲張りですよ。
君が結婚したら、
自分のことや仕事のことを話さずに、
新しい家庭の、二人の共通の事を話しなさい。
親のことを、忘れられるくらい、
新しい出会いを大切に、幸せを、二人で創っていってください。
自分の事を考える暇がないほど、
君が寂しがってくれたので
親は反省もできました。
医者の子だからって、医者に成れという父親にはなってはいけない。
子供の興味を大切にして、小さいうちに、親子の思い出をいっぱい作って
寂しくならない心の強さと、体力を作るのが、親の愛だと思います。
豊かな愛は、折れない心を作ります。
こんなに、君のこと、考えたおかげで、
逆に、自分と向き合った時間を、
自分の感性で過ごせるようになりました。
父母がくれた心の豊かさは、「愛」だったのですね。
私は、かって、ずーと昔。
愛されていたのですね。
父母の、
戦場を切り抜けた愛の胸に抱かれて
防空壕の中で生を受けたのですね。
だから、結婚してからは
「愛」が邪魔という「外科医の相棒を勤めながらも」
寂しくはならなかった。
使命に追いかけられていた。
太平の世に有って
外科医の夫を、
54歳で死んでしまった父の分まで
長生きしてもらって
医術をもって、世の中に、還元していってほしいと思うから、
一人ぼっちの、裏方が、何とか勤まりましたけど、
ここから先の、痴呆は裂けねばと緊張しています。
子供たちを命がけで
愛することに生きたつもりだったのは
親からの、子達への
愛のバトンを受け取って、
走っていただけだったのですね。
君も、バトンを受け取って、走り始めてほしい。
生きてるうちに、孫に逢いたい。
イタリアの庭のメロディーは、皆のメロディ―ですよね!
愛を知らないで育った戦争遺児が
大人になってから聞いてください
あなた方も、
愛されていたから、
生きているんだって、
きっと、きっと、
なにかの愛を感じると思うにです。
昔の蓄音機の音は、
手回しの愛でした
嬉しかった、、、、
久しぶりに、、、
愛されていた思い出の豊かさに、、、
生きていてよかったと、(^^
淡谷紀子さんは、苦難の道を乗り越えた、
日本の男の人達が、尊敬した音楽家でした。
私の、おじいちゃんの、大切な憧れの女性でした。
イタリヤの、庭の、思い出。
それは、復活の「愛」のメロディー。