花鳥風月

生かされて行くもの達の美しさを見つめて,
ありのままの心で生きている日々の、
ふとした驚き、感動、希望、

人生たった一度の笑

2015-07-14 21:15:06 | Weblog

世の中には「わらい」があふれている。
「笑点」など、何十年も観ている。
寄席も大好き。

漫才は、テンポが速すぎるのと、
間が難しくって、

笑える時と、騒々しいと思うときと
笑いの性質が違うが

携帯電話をかけている
女の子の真似をしている
丸ぽちゃの、かわいらしい女性の
一人漫才が、面白くって

天然のトークの上手さがあって
自然体なのに、
あれは、、芸の確かさですよね。

コロッケさんの
白いクマが実った芸域の広さには
おなかが痛くなるほど笑ってしまう。

笑い、、、この一言の絶妙なコントラスト。

人生には,,,,,,,

笑えないコントラストに

笑いも、

ワンテンポ遅れて、
一人で、下を向いて、、、

、、「ふふ、、」と

溜息のように

深い笑いがある。


*******************


長男が
中学校に進んだとき。
「国語の教科書に
小文があった。」

世間様では
「指導者」として
上流と思われる一行が

馬車で行くだけの物語です。

まるで人生行路のような道を行く馬車。


その馬車が、
がけから落ちるのです。

そして、
馬車にとまっていた
「蠅」だけが
何事もなかったように

また,,,,,,

次の馬車にとまってゆくだろうと
想像させる。

何とも、 ^^ ^^ ^^
、しんみりと、
胸につき上がる

「笑い」が、

胸の奥深くまで
囁いてくるではないか!

「蠅」という題名の

小文であった。

今,,,,,,
私は、こうして

キーをたたいて

71歳を、堅実に生きてゆくことが出来るのは、

風評被害の崖で、
馬車が転落しても、

又、

息子たちが
小学と生と、中学校の
成長盛りの時

夫が、
病気で入院したことがあった。

今なら、簡単に治癒する疾患が
当時は、手術という手段のほか

全身状態が良くても、
入院して、固定するという
医療レベルの最高の病院でも
4か月の戦いであった。
その後すぐには職場復帰したものの、

医局の雑事に満ちた医局長の激務には
完全にこなす自信はなくなった。
後輩に、役を後退してもらい、、
単身赴任で、医師の仕事だけに専念する一方
リハビリーに余念がなかった。

ふふふふふ、、、、、
入院中も、
患者さんになれなくて、
担当の看護婦さんも、躊躇する
笑えない、、、笑いが

医者が患者さんになったとき。

疾患がわかりすぎる医師が、
患者になるには
どうすれば、、、良いのか?

激動のカーブで
夫の馬車は車輪が一つ
崖にとられて、
前にも後ろにも進めないという

待ちの忍耐の時期があった。

一緒に待っているほど
重たい人物ではない、、、この私。

何処をどう飛んで助かったのか、
マイペースで、付添をしながら
形勢不利に傾いだ我ら家族の人生馬車。

転勤、

単身赴任、

チャンスとばかりに
正職員として、
管理薬剤師に復帰して、
夫の扶養家族から離れる。


方や、夫の人生は
国立病院勤務から
新進オープンの
個人経営の法人病院の
立ち上げ時のメンバーとして
大学人事で、
またもや転勤。

今では十数人になった外科チームも
4人で始まった立ち上げのころは、
土日しか帰宅しない、

擦れ違い夫婦も完全に背中合わせ。
お互いの顔を見る暇もなく
月日は飛んだ。

光陰矢の如し!!!!!

縦横16センチと14センチの
卵巣腫瘍を抱えたまま、

息子の医師国家試験が終わってから
手術してもらおうと。考えつつも
悪性だったら、
死につながると、
病院へ行くのを逃げていた。

振り返れば、
外科医の家内が
巨大な腫瘍を抱えたまま
病院に行かないのですから、

悪魔の、、、笑いですよね。
国立がん研究検診センターの
所長だった弟の所に
駆け込んだ。

お姉ちゃん!!
いい加減にしないか!
仮にも、、医者の妻だろう!
今、ここから、
手術室の予約をするから、
すぐ、入院しなさい!

赤ちゃんの頭ほどに成長した
ムチン質の腫瘍であった。

世間では、クライスラーに乗って
三越で、宝石のお買いものでしょうと、
巨大病院の医師の夫人は
風評被害にあう。

TVでセレブの生まれで
たまたま、大金持ちの病院長夫人の
贅沢ぶりを、マコトシヤカニ
面白おかしく放映するから

国立系の大学で
50歳近くまで働いていた
サラリーマン医師は

同様に思われてしまう。

之こそ、、、
「笑い」の始まりです。

ステータスだけは高い。
付き合う相手も、社会性のある方々。
会議の場所も、豪華ホテルの大広間。
時間貧乏の職業柄、
タクシーを使って、睡眠時間を買う
学術の戦いあう職業だけに
学会は。30個?
学会費の請求の山、
丸善からは、十万以上のツケの支払い。

医師本人は颯爽として活躍する。
息子は当然医療関係に進学したいと
視野は狭く選択肢は決まってしまう。

お父さんの医師免許も、
学識も、手術技も、一代限り!。

名店街のように
、店も、場所も、
遺産に出来て
息子たちに譲れるものなら
お金持ちになる機会はあるのですが。

残念ながら、医師は一代限りです。
設けたお金は、
日進月歩の医学についてゆき、
時代をとらえた医療のできる医師として
認定をゲットするのに使ったり、
外科などは、一人でできない
ナデシコチームと似ています。
日頃のチームワークの会合や、
学会や、得意分野の違うドクターとの
コミュニケーションや、
外国とのパイプ、
交流病院とのパイプ、
。。。
家なんぞは、寝る時刻に帰って
寝るだけの場所の為に、
一人で3部屋使い、どの部屋にも
本をてんこ盛りに置きまくる。

之が、一万円札の束というのなら
世間の風評どうりですが、

10年たったら、医学は進歩し、
何百万の本は、ゴミとなるのです。

人は、、、病気の時、、、
どんな金持ちも、
心は貧乏です。

心が貧乏の時、
医者は、元気をあげれる
存在であろうとするから

輝いて見えるのかもしれません。

夫婦という分類の枠の中にはいますが
妻の顔を忘れてしまうぐらい、
関心もなければ、
見てもいません。

多分、、「お母ちゃん」の
バージョンの違う機種と
思っているのかもしれません。

お母ちゃんは「愛」と「信頼」で
別格です。

バージョンの違う妻という機種は
医師をするのに、
都合の良い機種であることを
暗黙の裡に強要してきます。

夫の医師をする以外の雑事の代行に
医療関係の仕事はすべて妻に。

代行の効くものは、委任状で済ます、

長男の出産にも仕事が先で間に合わない。
分娩室で、
手を握る夫が居るというのに!

妊娠6か月で実家の東京に
トランクひとつで居候を決め込んだ。

2度は流産したくないと
真冬の出産を、
留萌で無事に
成功させる自信はなかった。

妻が居ようと、居なかろうと
外科の技術を習得する以外は
一切の興味の対象外の医師は
   無給医!
   てんこ盛りの奨学金返済中!
   家なし、
   免許なし!
   風呂なし
   共同トイレ

北海道の、昭和40年代の
研修医の生活は、
山男と、雪女の野宿のような
新婚生活でしたよ。

50歳から、いきなり幹部として、
高級をいただいて、
喜んだのもつかの間でした。

私立医科大学に進学した息子は
分不相応の坊ちゃま大学に行きました。

お給料の全額を東京に送っても、
足りなくて、
一度返済した自宅のローンを
再び借りて、仕送りするという

激務が続きました。

医師になる本人は夢に萌えて
良い仲間に恵まれて、
東京のど真ん中に
親の仕送りで住めるのですから。。。

そして、40歳の一人前の医師になった息子!
もう、、二度と、故郷に帰ってこないでしょう!。

そうなんです。

医学部は、昔ほどではないにしろ、

大学の派閥に似たような
なにかがあるのでしょうね?

40歳、、、
家なし、、、
ペーパードライバー
彼女なし、、、

救急病院で、
ドクターヘリの飛んでる病院で
医師をする事だけが、生きがいという

夫と同じ
自分だけを見つめて生きてる
医療だけが興味の対象という
狭く細い視野のスペシャリストを
世に出すために、

親は、、、億という全財産をつぎ込んで

自分はおけらになったけど、、、

なぜか?

間違ってなかったように思うのです。

*****笑***笑***笑***親ばかで***笑も出ない***バカ笑い



子供を二人とも大学を卒業させた日

ふと、、隣を見たら、
忍耐力で、人生行路を
馬車で走り切った夫が、
となりに立っていた。

背中合わせに戦った人生行路で
小さな私は助かっていた。

晩年、
ローンを返すのに
財テクを始めた。
証券会社の電話攻勢に負けて、
拓銀と、日航の株券を買った。

売ったり買ったりはしない株でした。
持っているだけで
お金持ちになった気がしました。

ところが、一夜にして
紙切れになりました。

株を持っていると
飛行機の搭乗券が格安で入るのが
幸せでした。

息子が、東京の大学に入学したので
故郷復帰のつもりで
格安空港券で、
掃除、洗濯、家庭料理と
健康管理に100回以上は乗りました。

そして、卒業するころ、
突然、日航の株券は紙切れになった。

領収書、●×▽■株 @和証券。。。

無効の株券の処理もせずに
いまだに、
貯金のつもりの株がある錯覚の中で

格安の「爺婆、その日の空席切符」で

株券があるときと
同じ値段で東京に行っている。

拓銀も大損害したおかげで、
今は、一切財テクはしていない。

財テクするマトマッタお金も
税金に払って、
被災地特別税に払って、
関係各所に寄付をして、
正体のわからない請求に
払った方が、世のためかもしれないと
高齢で痴呆になった 親類の
施設入りの後始末に
400万の、
自分たちの老後資金を支払った。

吉永小百合さんの「弟」という
TVの映画を見ながら、
薬剤師の性格が表現されていて、、、

お友達のように親しく思えた。

私も、、、義理のお金ではあるが、
人生最後だと思って
出来ることは、今回限りだと思い

とりあえず支払った。

ストレスはない。
日経も読まない。

子育てのノルマが
馬車馬に変身して
頑張るしかない時期もあった。
それだけのことだった。

吹けば飛ぶような
小さい存在だったから、

手持ちの株を失っただけの
悪夢から目覚めると
息子という株は
もしかしたら。。。
育ってくれるのではないかと
祈っている。

息子よ!
君の未来にかけるなら
75歳の
最後の、老後資金をそちらに回そう。

孫の学資の応援も気にはなるが
、何とか、まだ、時間があるから、
少しは、応援ができるように
節約すればよい。

お金は、
子育てが終わると、
食べるだけあればいいことがわかる。

今、出来ることをした方が

人生は、微笑みで。。。終われる。

人生こそ、、、深淵な、、笑いである。

人生は「喜劇である」と
昔の文豪が言っていた、、、け。

文豪とは、、
笑いを心得ている
文士の事かもしれない。

君は、おじいちゃんも、
お父さんも、おじさんも
従兄弟も、医師ですから

ほかのことは幼いところがありますが、
医療界に関しては
サラブレッドですよ!

叔父さんは、宮様の賞もいただいた位
医療に関しては、血統書が付いています。

必ず、世の為、地域の為に
役に立てると、信じて、
真摯に、謙虚に、周りに感謝で、
医師をすることに、、
命を懸けてください。

臨床医は、、、
何も残らないかもしれません。
時間の芸術かもしれません。
氷の芸術かもしれません。

医者の陰の、、、親ばか、、、笑い


ボロニーズと出逢った早朝散歩

2015-07-14 06:45:28 | Weblog

起き抜けに。サーと髪を梳かして。

散歩をする癖がついたのは、

50歳を過ぎた頃からです。

朝の散歩は、神様の贈り物のような

驚きや、感動や、微笑みに出逢います。

けさ。

観たこともないような、淑女さながらの

小さな、おっとりと、優雅なしぐさの

白い犬と出逢いました。

この辺りは、犬を飼うひとが
おおいほうでしょうか?

朝の散歩では、
顔見知りのワンちゃんが
懐っこい目で、
見上げてくれます。

今朝、、、!出逢った犬は
別格です。
天然の深窓育ちの優雅さと
美しさと、
かわいさと、

何よりも、、、こんな犬に出逢ったのは
初めてです。

いつもは、飼い主と会釈して
すれ違うのですが、

今日は、
思わず、座って、ワンちゃんと
目線を合わして、微笑みました。

思わず、
「これは、、、何という種類のわんちゃんですか?」
問いかけました。

「ボロニーズという犬種ですよ。」
飼い主は、メンコクテ、可愛くて、愛しいという

何とも善いお顔で、教えてくれました。

「初めて、こんな可愛い
エレガントなワンちゃんと逢いました。」

16年も、
テリヤと秋田犬の
雑種を飼っていたのですが
「犬」という感じでした。

でも、今、目の前で、
白いカールのかかったシャーぎーのような

ふわふわのドレスをまとったワンちゃんは
少女の時代の淑女の雰囲気を持っています。

別格の優雅さです。

「ため息交じりに、見つめていると、、、」
「山口県で、出逢ったんです。」と。
飼い主の目が細くなった。

「山口県というと、、、長州ですね!」
「そうせい」のお殿様で有名な土地柄ですよね。
みなと貿易も盛んなところなので、
こんな、珍しい犬がやってくるのでしょうね。。。

「どこの国から、やって来たのでしょうね?」

「イタリヤから、来た」と。
飼い主は、目を細めて、
遠い異国の空を見ているように

このワンちゃんの故郷も愛する故郷に思えている
優しい表情で、教えてくれました。

イギリス王宮や
エルミタージュ美術館や、
マリーアントワネットの部屋から

ちょこんと現れても
「絵になる」何とも言えない気品がありました。

愛されるには
美しいことが大切よ、
珍しいことも大切かも、、、
でも、そんなことよりも
天性の気品があり、
天性の懐っこいオーラーが
花のように人を包み、

思わず、抱き上げたくなる衝動に駆られるが、
その気品の前には

触ることを控えさせる赤ちゃんのような
天性の不思議な輝きがある。
触れてはいけない光の粒子が、、、
手をひっこめさせる。

散歩の邪魔をしてしまったのは
この、
ワンちゃんの魅力である。

決して、、私は、
ボロニーズという
この、
犬種を忘れないだろう。