花鳥風月

生かされて行くもの達の美しさを見つめて,
ありのままの心で生きている日々の、
ふとした驚き、感動、希望、

新幹線開通を待ち続けた40年

2016-01-19 02:23:01 | Weblog

昭和44年、女性はまだ、
平等に扱われていなかった時代でした。

親や、兄や、家の都合で、
お見合い結婚で、家を出てゆく時代でした。

東京で小学校から、大学まで過ごして
24歳で、結婚して北海道に来たときは

青函連絡船に乗り
北の海の波を観ていました。

地下鉄もなく、電車が走っていました。

木賃APには風呂が無く
真冬の雪の中を銭湯に行くと
真昼の一番湯は
いつも、私だけの貸きりでした。

人が入ってくると、
そそくさと、急いであがりました、

大学院生の主人は
学生気分がそのままで、

3か月ごとに、留萌、夕張、余市、旭川、、、など
ローテションの、浮き草のような、
アルバイトが、頼みの綱の

奨学金で、博士論文に取り組んでいる外科医でした。

畏れおおくも、陛下の執刀をされた
順天堂の神の手の先生が
手術に成功されたときの

新聞に出ていたバイパスの図が
40年以上前の
主人の論文に出ていた図とそっくりだったので、

世代は交代しても、
40年以上前に
バイパスを何とか臨床で応用したいと
日夜、泊りがけで実験していたのでした。

若き日の、
主人が、何日も
帰ってこなかった日々を思い出すのです。

そのような、ある日
階下の若夫婦のけんかの末のとばっちりで
APが火事になり、

2階の我が家は、階下が爆発させた
プロパンで吹っ飛びました。


その日は、主人は夕張に出張中でした。
私は、主人の祖母の葬儀で、東京に行っておりました。

母の持たしてくれた着物も、ドレスも、
黒い70リットル入りのゴミ袋20個に
無造作に入れられて捨てられてゆきました。

あの時、もう、、、
北海道に戻るの止そうかな、、、

真面目に一瞬、本気で、おもいました。

博士論文の事しか頭になかった主人は
きな臭い、修理されたAPの部屋から

引越しする気配がありません。

きな臭い部屋は、長時間部屋にいる私には
我慢ならないリスクでした。

しかし、当時は、無給医です。
立派な鉄筋マンションもない時代です

しばらく実家に帰りました。

実家に帰ってくると、

北海道は、、、遠すぎる、、、と
悩みふさぎ込んでいました。

その時、、「新幹線が走る日が来るんだよ。」

がんばって、北に戻りなさい」

。。。あれから、、、計画は

いよいよ具体的に実現する日が

ヤッテきます。

来ます。

あれから何年になるかしら?

新幹線は、、、いよいよ

北海道にやってきます。

多くの人々が待つっています。

お母さん

すぐに出会えますからね!

....母は、、、平成元年、、、

東京で、父の建てたピアノの部屋で

無くなりました。

いつも、
ショパンを弾いていたグランドピアノは.

お弟子さんのもとへ贈られました。

北海道に去った娘、、、

娘よりも、若くて美しくて

ピアノの先生と慕われ、

81歳の無くなる3日前まで、現役でしたから。

思い出すのは、

新幹線が、、、早く開通してほしいという

母の口癖でした。

待ちきれなくて、

フジテレビがイベントとして行った

ヨーロッパの豪華列車の券が当選して

函館まで乗ってきたのです。

ヤンちゃ盛りの幼児を2人連れて

人様に迷惑かけずに函館までゆく自信が無くて

とうとう、、、母に逢えませんでした。

無給医の大学院生の夫は

頭の中は実験や、手術の事だけで

結婚したという自覚もあまりなくて

一人前の医師に早くなって

月給をもらえる立場にならねばと

まるで、予備校生のように、

深夜まで、実験をしていたようでした。

誕生日には「御頭付よ!」と

メザシの焼きたてで、とりあえず

新幹線が、仮に走ったとしても

里帰りの費用に躊躇したかもしれません。

60歳を過ぎた母は

いつ東京に帰ってくるの?

子供の教育を考えるのなら、

40歳になる前に還らないと

東京は日進月歩で、子供は苦労しますよ。

母は、結婚の時の「殺し文句」が

博士号を取得したら、

「東京の妻の実家の医業を一緒にやります。」

外科医だった父の急逝の後、
内科医の兄が、父の友人だった先生の
暖かなサポートのおかげで

何とか継続していた医療施設に、

父が若くなって帰ってくる!

そのような、イメージで、母との間に

南紀で生まれた、北を知らない私が

北海道での数年を支えれば、

夫は実家に合流するはずでした。

しかし、、帰れないとわかってからは

新幹線のできるのを、待ち続けました。

東京とツナガッタ!

近くなった!

もう、、、北海道は北の果てではない!

本州の母からは、

近くなったという、
イメージが大切だったのかもしれません。

あれから40年以上過ぎました。

とうとう、、、新幹線がやってきます。

いつしか、北海道の雪かきのひねもすを
不思議と思わなくなった私にとって、

札幌が、故郷になっていたのだろうか?

**********

新幹線が来ることは
黒船の到来に思えるのです。

何と言っても、国際人の親に育てられた子供は
北海道の、素朴な、島国のおっとりが無いだけに、

受験戦争になると
新幹線でやってくる本州の学生に

ザンギリ頭を
タタイテ観れば、

文明開化の音がする、、、

北海道は、、、明治の幕開けのような
国際感覚を急速に強要されるのではないかと

不安になる。

札幌は、一見都会に見えるが

札幌の地域制は、かなりなものがあると思います。

幼稚園から大学まで、北海道の長男は
立派な北海道人であり
地域にもしっかり溶け込んで、
頼もしくもある。

私は、いまだに、、、
浮いてるなー、、って思ってしまいます。

新幹線が本州とつながるという事は、

急な文明開化に

どのような対応が必要になってくるのか、、、?

不安もあります。

でも、、、、とうとう、本州とつながり
日本の、日本らしい発展が
北海道にもたらされることを願っています。

連日の雪かきで、へとへとです。
頭が、、、半分以下の活性度です。

支離滅裂な表現にになりましたが、、、

新幹線が来るのを、、、待ち続けて、、いたのです。

嬉しいのです。

不安もありますが、、、。