花鳥風月

生かされて行くもの達の美しさを見つめて,
ありのままの心で生きている日々の、
ふとした驚き、感動、希望、

終わってしまった相棒

2016-03-18 01:30:01 | Weblog

ダイナミックな社会の構造を背景に。警察の特別係の
刑事さんが二人、タイプの違う追及が。まさに「相棒」。

時々、心の中まで踏み込んでしまう勇み足も。それなりに
ありうる感情だと、考えさせられた。

賢すぎる推理が、エリートの世界の特別の能力に思えたり、
授業を受ける気持ちで、拝聴していた。

コマーシャルが長いのを良いことに。
夕飯の支度をしながら楽しめた。

5時からは、「コロンボさん」
まるで、「学者そこのけの、データー集めのコロンボさん。」

TVや、映画でなければ、疑似体験すらできない上層社会の

むしろ、社会の牽引役と言えそうなエリートが

頭の良さに頼った「事件の主役」である。

一方、コロンボさんは「殺人事件のプロの刑事魂の天才刑事。」

初めに犯人が事件を起こすのを画面に出してから、
コロンボさんが登場する。

犯人が分かっているのに、
知恵比べである。

最優秀の頭脳の人間も
その筋のプロにかかると、

穴だらけであるという、
プロ、、、「プロとはなんなのか?」を
つくづく考えさせられる。

頭の良さだけで
自分の仕事以外の事を考えたって

プロにかかれば、おみ透視という
痛快な「勧善懲悪」の痛快さが良い。

相棒も、楽しませていただいた。

お疲れさんでした。
事件を起こした人が、
コロンボさんのように、

同情しなくてもよい、多少、
うぬぼれていて、
世間を甘く見ている犯人だと
コロンボさんに
とっちめられてゆくのが
愉快だ。

痛快になるから、良いかもしれないね。

相棒は、スケールの大きい時と、
きわめて、個人的なスケールの時と、
想定と、条件が一定ではなかっただけに

犯人が

一生懸命生きている人が、
社会のひずみの中で
事件を起こすのは、
観終わった後、
スカッとしない
重さが残る
哀しいものがあるのが
後味の重さだった。

コロンボさんと大きく違う点だと思った。