来年で平成の時代は未来に引き継がれてゆきます。
世代交代に向かって行く。、
陛下のご意志がTV放映されて
多くの国民は、
心から感謝と、
80歳という御年を超えられてもなお
被災地にお出かけされたり
外交や、大切な式典などに
ご挨拶をいただく国民は
戦後のご苦労を思うとき
万感の思いで、御位を御退位されるTV放送を
まんじりともせずに拝聴いたしました。
お疲れだったご様子に、国民の誰もが気が付いていながらも
激務を続けられた皇室の外交と、
被災地のご訪問と、、、多くの公務で
休まるお暇のないご様子に
ただただ、、、感謝で
休息されますようにと、祈るばかりです。
振り返れば、
はじめて、沖縄にいらっしゃった
ご新婚間もないお二人が、
ご苦労に合われたときの陛下と妃殿下のご様子には
戦後の日本を、
国民と歩いて下さっているご様子が伝わってまいりました。
昭和天皇陛下の在位された世界が未熟だった戦争の時代。
世界の国の情報も、
情報手段も未熟だった日本が
次々と、
戦争に巻き込まれた明治、大正。昭和初期。
歴史を振り返ると
300年の鎖国の後の世界を知らない開国から
黒船の脅威に目覚めて
世界へデビュー。
一部の階層だけが知っていた世界の成り立ち。
世界のシステムのような、、、
目には見えない大会社に系列会社、
インドの紅茶はイギリスの植民地の製品だったり
目を白黒させ乍ら、
昭和生まれの戦後教育を受けてきた74歳の婆ちゃんですが
イデオロギーや
宗教の違い。
民族文化や、
鎖国がもたらしたかもしれない各地の自治体の条例。
地域の頑固なまでの世襲伝達によって、時間が止まっていた日本の各地区。
様々な蓄積された未熟だった日本が
戦争に巻き込まれてゆく歴史は、、、涙が出てきます。
にいたかやまは、、、踏破できないヤマだと解っていた。
ハーバード大学に留学の経験のある上層部は
アメリカの資源も、文化も、機械技術も
はるかに優れていることを知りながらも
戦争を回避できなかった時代の激流の中で
敗戦したことは
化学兵器のミクロよりも小さな元素のさらに小さな要素まで
人間を物質にしてしまうという
武士の魂も、大和魂も
玉砕して訴えても、、、問答無用の破壊が
人間の魂が日本本土に住み続けるためには
陛下の玉音放送において
終戦に導いて戴けた、、、天の采配だったと受け止めて
敗戦を受け入れることで
未来の人間が
心身一如、、、心が壊れる前に
人間であり続けらえることを信じて
耐えがたきを耐えた時代でした。
原子爆弾や、水素爆弾は
人類そのものの命を分解してしまう、、、
有ってはならない兵器だと思いました。
その後、ソビエトの軍艦は鉄くずのように
時代に取り残されて、戦争は
ロボットを扱うゲームのように
指先で、地球の形を変えてしまうでしょう。
世界中で、唯一
被爆した「広島」「長崎」は
核戦争の起こす「人類破壊」の恐ろしさを啓蒙してゆく役割を背負ったとしか
言いようがありません。
与党も野党も、、、ノンポリも
戦争のない世界に向けて
日本が。原爆の惨状を発信していく以外には
地球の未来はないと言えるほど、
科学は地球を吹っ飛ばせるのだと
知るべきだと
思い知らされた昭和生まれの私です。
それだけに、
艱難辛苦を国民とともに
寄り添ってくださった
平成の時代の、、、両陛下の
ご苦労は、今後、、、二度とあってはならない戦争を
繰り返してはならない事を
国民とともに示してくださった「平成の時代です。」
子供同士の取っ組み合いにも似た
武力による解決は幼すぎました。
戦争そのものが間違った手段で有ったと思うのです。
敗戦が、原子爆弾という、、、問答無用の、、、
破壊的な科学兵器で有ったことは、
生身の人間が、
なすべき闘いの戦争だと思うことは
出来ない野です。
ルール違反だと思いました。
、
もはや、人類の英知で決着できないことを、
科学戦争で決めるという戦争を
野蛮な手段だと反対する時代は終わりました。
賛成も、反対もむなしい、、、無、、、になってしまいます。
女性は、子供を産まなくなります。
育てる母のやさしさが根元から断ち切られます。
科学戦争を起こす人類を産み出すことが破壊につながるのなら
地球の生物に丸ごと地球を任せた方が
みずみずしい地球の命だけは守られ、
美しい星の命は輝き続けることになってしまいます。
、
人間同士の闘いと思う事さえ不可能な、
生体を無視した原子レベルの破壊に
人類は丸ごと、
元素になってしまう現実を知ったとき、
広島、長崎を、世界に知ってもらう使命があります。
人間が人間であるための最低のルールが無くなった科学の材料となった戦争。
残酷な戦争の
犠牲になった兵士にささげる哀悼の言葉さえむなしくなる
絶句するような、、、科学兵器によって
もはや、戦争する意味も無くなってしまいました。
本土決戦
学徒出陣
女性の竹槍部隊。
姫ユリの塔、
沖縄の本土決戦。
何千年もの歴史を振り返るとき、
いつの時代もいらっしゃった天皇陛下。
しみじみと振り返りながら
昭和天皇と、平成天皇が
最も、、、、むつかしいと思われる時代に
天皇というお立場で過ごされたことです。
日本人であることを
根っこの部分で、
失わずに済んだのは
天皇陛下のご在位の基で
日本人の日本人たる多くのことが、
味わい深く誇りを持ち続けられたからであると思いました。
壊滅状態の戦場の廃墟の中に
お父さん、お母さんが、
生きていてくれて、
私を引き起こしてくれたような
不思議な不思議な、万民の父であり、母であるような
永遠の日本人の心の誇りを束ねられて、
復活の光の大黒柱となられた
希望の光の柱だと思っています。
命の疲弊しそうなとき
いつも、心に寄り添ってくださる光が
もう一度、 もう一度、、、立ち上がろうと、
頑張らせてくださった
心の灯りとなって
庶民の小さなひと隅を照らす灯が
大きな光の大河となって
日本は敗戦から、立ち上がれたとおもいます。
敗戦後の日本を、
陛下が象徴として導いてくださった
日本人であることの誇りは
昭和から引き継がれ、平成と、
日本の象徴でいらっしゃったことへの
国民の感謝の心には
「平成時代は、戦争が無かった平和な時代であったという宝物をいただけました、」
御退位を国民に示され、紅葉の夜に、満月のおぼろを見上げるような
秋の萌を感じています。
個人の日記に、国の象徴のやんごとなきお方への思いを書くことは
躊躇われましたが、これは74歳のばあやの日記ですから
明日はボケるかもしれないと思えば、
今日のうちに、日記をつけておきました。
孫子たちの時代が、平和でありますように。