花鳥風月

生かされて行くもの達の美しさを見つめて,
ありのままの心で生きている日々の、
ふとした驚き、感動、希望、

明治生まれの父母の言葉を思い出すとき

2018-08-25 08:45:41 | Weblog

明治30年前に誕生した祖父は

天皇陛下の事となると、博士様のように孫にも教えてくれました。

多くの本も見せてくれました。

町長さんやら

校長先生やら

公の仕事と国の中枢との橋渡しのような立場に居たせいかもしれません。

南紀の歴史の中で

それなりに、南朝の歴史の中で

正成や

菊水の織りこみの羽二重に、

敬意をもって、大切に扱う、武士道の時代の人でした。

日本刀をサーベルにして

戦争時代は、日本国の為にと

戦場に行ったとか、、、、

地方の旧家に生まれたじいちゃんは、

日の丸の旗を記念日には、欠かさずに国旗掲揚。

串本に住んでいたらしいが

その後東京に出て、大学を卒業後

28歳で、

汽船にのって3か月もかけて

サンフランシスコや、ロスの日本人町開拓時の

農業や、文化を学ぶために渡米していた、

嵐の海で汽船が揺れて海に投げ出されそうになりながら

鎖国で遅れてしまった日本の未来を、体当たりで打開しようとする若者だった。

御爺ちゃんの青春は、

まだ、天皇陛下は「あらひとがみ」の御位でいらしたという。

陛下が日の丸の象徴でいらっしゃる平成の時代とは、

かなり異なった感覚で庶民のおじいちゃんの話を聞きながら育ちました。

明治生まれでも、旧家の次男だった祖父は

アメリカでの留学時代が長く、

昭和に入ってから、帰国している。

軍医として、戦場に居た娘婿の家族を帰国させるために

関宇連絡船に乗って、大陸に渡り、戦場の病院にたどり着いている。

終戦の時は、御爺ちゃんのおかげで

家族は南紀の山奥に疎開していました。

旧家のあった南紀の山奥に娘の家族を疎開させた祖父!

戦場まで、娘夫婦を迎えに、、、海を越えて戦場まで来てくれた祖父!

祖父自身も、、、

自分も串本の家を出て、

山奥の村に疎開しています。

川が氾濫して

田畑が流れ、、、橋が流れ、、、家が流れる、、、村。

頼まれて、村は村長に担ぎ上げた。

やがて、疎開人口が増えて、村は町になった。



旧家だけに多くの田畑や、山を持っていた実家は

次男とはいえ、アメリカ帰りの子供の為に

高台を提供して、村にはおよそ似つかわしくない洋館を建てて住まいとしていた。

紀伊半島の13年間の暮らしは、

私の人生を左右するような

自然の豊かさを与えてくれました。

天皇陛下の、ご判断で終戦を迎えることができたと

私は今も思っています。

それは、貧しい日本の学識者の少ない中で

長きにわたる歴史の伝承の文化のお知恵は、神様の知恵に通じる

天よりも高い総合力のご判断が

陛下にとってなされたとき、

玉音放送の基に

国民は涙とともに、

陛下のご判断にひれ伏しました。

どこのどなたが発端で、、、皇室を巻き込んで

戦争という、、、どこから見ても破壊しかない手段を

余儀なくされたのか?

戦後の世界の情報が入るようになった日本で

英語を学びながら、

取得の手段として

西部劇を観ながら、

南部戦争、や、

西部開拓史を観るとき、

グローバルな考え方が、いやおうなしに入ってくる。

日本は。資源も乏しく、300年の鎖国もあり、

文化も、イデオロギーも

宗教も

教育も、

海という城壁に囲まれた城の中の

大事にされてきた考えで埋まっていた。

黒船、、、明治維新、、、富国強兵。

封建制度の遺産の身分差別、

おのずと差のつく教育レベル、

世界の目まぐるしく変わるイデオロギーの嵐。

宗教や政治や

科学の発展が

竜巻となって、庶民の心のやりどころを壊してゆく。

何が正しいのか?・

この世に正しいという事はあるのか?

戦争、、、富国強兵、、、産めや増やせや、、

特攻隊の学徒出陣、

居場所のなくなった日本が、

未来ある若者を、

向かいの国に、逃がすことがかなわなかったのだろうか?

居場所のなくなった日本本土に

秀才のゆく道は

名誉の戦死しかなかったのだろうか?

原子爆弾の落ちた広島、長崎、は

人類の居場所さえなくなる地球を示唆した。

男たちの陣取りゲームの行き過ぎが

戦争であったなら、

アメリカとの戦争は

フライ級とヘビー級の選手が

戦うように思えるほど、

体力が違っている。

これからの世界においても、

アメリカは、小さな国と戦争を起こさないでほしいと願っている。

終戦に導いてくれた玉音放送は

陛下にとって、孤高な人生の中でも

神様の光に包まれた、

未来につながる一筋の光のお声だったと

御祖父さんは言っていた。

「昭和天皇陛下ほどご苦労なご生涯を全うされた方はいない、、、」

爺ちゃんの口癖でした。


その、皇太子であられた平成天皇には

美智子様とお子様方のご家族がいらっしゃいます。

天の采配かの如く

孤独でいらっしゃった皇太子の恋は

国民を巻き込んで

ミッチーブームとなり

戦後の次世代の太陽のようだった。

国民の中から、美智子様のような、国の母が現れた。

国民の文化や、意思や、表現を

翼を持った美智子様は

皇室に運び

殿下は国民とともに生きてくださった。

国民とともに、

戦後の復興を

ともに歩いてくださった皇室は、

父母のように、

私たち庶民の心のそばで

心を強くしてくれました。

何度でも、、、立ち上げって、、、日本は日本であり続けます。

透明な玉音放送の

透明な光は

日本の島国が外国に開放された一瞬でもありました。

長い、、、長い、、、鎖国が終わり、

人間が人間であり続けるための

地球の呼吸と呼吸を合わせられるような

平和な人類の世界に向けて、

世界中に日本人が住んでいるという地球は

広島長崎を、忘れない、戦争のない地球に向かいます。

玉音放送は、平和な地球に向かう

耐えがたきを耐えて、

忍び難きを忍んで

科学戦争のない地球への嚆矢ごとく

放たれた、

一本の矢は


今日の、戦後の復興に向って飛んできた。

ポツダム宣言の

無条件降伏は

原子爆弾という、

問答無用の人類心身破壊の「愛」のない世界に変えてしまう

人が無機物になってしまう

地球丸ごと、科学変化させてしまう。


御爺ちゃんは、

昭和天皇陛下の事を、人としても尊敬しているのが解りました。

明治生まれの祖父の心、

父母に伝えられて、

孫の私に伝わってきました・


いつの世にも、

国民とともにいてくださる天皇陛下のご家族に

心のエネルギーをいただいています。

平成の、平和な復興の日本で

紙一枚の自我でさえ、贅沢に向かわないように

「全てのもの」の命を使い切ることで、それを生かしてゆきたい。

戦争の原点は「欲」だと思いました。






この日記は公開していませんが、74歳の婆ちゃんの思う事です。