緊張が続いている1年間でしたね!
ここらあたりで、、
、医療崩壊寸前の師走は、国民の協力を欠いては、防げませんよね。
我が家の主人のPCR検査も「陰性でホッとしました。」
一年間も過ぎたなんて思えないほど、、、時間はすっ飛びました。
早朝7時、コンビニで食パンを買います。
帰宅すると、パンの袋ごと、水道で流し水をして、かごにあげて、
全ての食品は同様に処理します。
こまめに洗濯をして、ストーブの焚いてる部屋に蒸気を出しながら
一週間に、一度まとめ買いをして、外出は極力避けて
夜、、、ひっそりとしたころ、散歩に出ると
このあたりには、キタキツネが出てきます。
クマは、バス停の3個先の山裾には出没するそうですが
我が家のあたりには見当たりません。
北海道は、空気が美味いので、住み着いてしまったのに
coronaが収束するまでは、夜の散歩も、、、マスクを架けて、居ます。
月を眺めても、マスク越しの問いかけに、
月の方から、月食の微妙な7変化を披露してくれたりします。
どんなときにも、、、、自然は友達でいてくれる。
7歳で、実母を亡くした、、、私の母は、孤独とストレスで、、、???
太っているのでしょうか???ネ?!
、、、大正時代の初期の感染症、、、肺病で
実母を亡くした後、3歳下の弟を守りながら、
彼女は、孤独の中で、音楽に出逢ってゆきました。
伴侶を無くした実父は、狭い集落の肺病の出た家庭の孤立化は
子供の教育にも、良くないと思ったのでしょう、、、
新宮の女学校に入学を勧め、
自分は,妻の最後の炎から遠ざかりたかったのかもしれません。
それとも、このブラックホールをクリヤーするのは、
国外に出るという、、、次元を上げる必要を感じたのかもしれません。
実父にとったら、、、大変な試練だったに違いありません、、、。
「アメリカの,カリフォルニア州の日本人町から州立の学校に留学しました。」
代々、、、トクヤと言う 庄屋の次男に生まれた母の実父は、
汽船で3ヶ月もかかって太平洋を横断して、
明治20年代生まれの男が
アメリカに渡ったから、、、びっくりです。
私にとっては母方の祖父が、、、
愛する、、、女房!
村人の子供たちから尊敬され、恵愛された女性教師だった妻!
子供2人を残して、、、
当時は、、、
coronaのように怖がられた「肺病」に感染!
コロナにかかった患者さんが、家族にも会えずに、、、
灰になってしまう!
この哀しすぎる、、、マイナスエネルギーは、、、
かっての時代に、、、
「肺病患者と言う感染源」駆除の為に
療養していた別棟の家ごとダビに伏されtのです。
母は 実母の療養していた小屋ごと燃える炎が、
生涯、、、眼に焼き付いていると、、、
ポツリと、、、つぶやいたことがあった。
実母の小屋の周りには、、、
彼岸花が群生していたとも。。。言っていた。
幼い母の錯角が、一本の彼岸花が炎に思えたのかもしれませんね。
子供だった母
七歳だった母
彼女のの絶叫のように思えるのは、、、考え過ぎだろうか?
大人にも。子供にも、恵愛されていた才媛の実母が
「 肺病」と言う「感染症」の為に
家族ごと,、、遠巻きされる、、、孤独の淵に落ちたのです。
「父はアメリカ、、、自分は新宮女学校に進学」
そこで、、、佐藤春夫さんや
佐藤春夫さんの妹さんに出逢い、、、芸術へ、文学へ
そして、音楽へと、
母に備わっていた感性が磨かれました。
親友の一人には,、、放送界で
イタリア賞を御取りになった、、、詩心の豊かな
デレクターの、母となられた女性もいました。
彼女は、、、新宮女学校を卒業されて、「パリに行かれたそうです。」
再出発するのには、充分な、知人に恵まれた母は、、、
運の強い女性だったと思います。
国立音楽大学の、一期生として合格、
当時、、クラシックの「運命」の楽譜が
ヨーロッパから持ち込まれたばかりと言う時代でした。
宮城美千代の「琴曲」や、「ショパン」や
モーツアルトの「フィガロの結婚」等、
日本とヨーロッパが同居している様な音楽大学で
オペラ集団にくっついて
日本中、、、運賃無料、、、宿代無料で
楽屋勉強の旅をしたこともあたそうです。
「肺病」「孤立化」「感染症家族というレッテルの家族」
この、底の見えない
「ブラックホール」を
母は「音楽」に没頭することで乗り越えたようですね。
母の物語を、、、日記に書くにあたって、、、
息子よ1孫よ!、、、愛する知人よ,、姉弟よ!
コロナでは、、、絶対に、、、死なない!
絶対に、、、死んではいけない!!!
76歳の私も
感染は絶対にしないように、、、最大限の注意をします。
だから、、、愛する孫子や、兄妹、姉弟、
貴方たちは、いやおうなしに
「コロナに感染しているかもしれない患者さん」の
壱メートㇼ以内で 会話をする「ドクターです!」
運が良ければ、、、感染はしないでしょう、、、
最大限の注意をして、患者さんと接してください!
医療人として、医療家族である以上
ワクチンが摂取されて、coronaが収束するまで
緊張を緩めないで、、、生き残ってください!
国民も、正しく、、、感染症の怖さを知って
正しく怖がり、、、
経済活動と、御もてなしの知恵を、
これからも起こるだろう、、、感染症に備えて
御もてなしの「奥義は日本に有り!」と言われるように、、、
古き日本のやんごとなき方々の食事のマナーを振り返り
今こそ、、、感染症防止の知恵の塊のようなマナーであることを
気付くチャンスではなかろうか、、、?
3蜜を避けるための、、、裾を曳く間隔、、、
男と女が、簡単には接触しないようにできている、、、帯!
一人一人、、畳3枚以上開けて向き合う、、、
大広間の座布団の並べ方、、、
「今こそ、、、、御もてなしは、、、一人一人の御膳❕復活!」
我が家は、、、質素な庶民の30坪の家に、
全室、、、物置が有りません。
どの部屋も主人の使う物であふれています。
主婦が着替える部屋は有りません。
私は一生、、、普段着で、、、いつでも外出できる服装で
ソファ―で睡眠をとっています。
親類知人の泊まれる一部屋は、雑誌や、マンガや、
主人の季節外れの、、、交換する背広の入ったドレッサーと、
仕事の本が、ベットの下に重なっています。
泊り客が居ないときは、、、その部屋で、スラックスとセーターで
TVをみながら、、、寝てしまいます。
外科医だった主人は、若い時から、、、不定期な出勤が続き
その時の癖が、、、いつの間にか、、、
我が家の日常になっています。
リホームを勧めに来た業者さんたちは、、、
ご主人に、、、断捨離してもらってから、、、
リホーム考えた方が良いね、、、と申します。
本だらけ、、、書類だらけ、、、靴だらけ、、、背広だらけ、、、
靴下だらけ、、、シャツだらけ、、、
「 奥さんの居場所は、、、どこですか?」
弟が、、、我が家に泊まった時も、、、
「お姉ちゃんの部屋は無いの?」、、、
「僕の家などは、、、母ちゃんの天下だから、、、
僕の物は、、、パソコンと、背広3着ぐらいだよ、、、」
後は、、、全部、、、母ちゃんのものだよ、、、」
我が家に泊まった人は、、、私の存在が無いのでびっくりする。
「主人が医師をする」と言う事に、最大限便利な舞台裏にしたら
こうなってしまっただけ、、、
働きやすくて、、、もとに戻すのに便利であれば、、、
自分の部屋は要らない生活が、、、ずーと自然である。
疲れた時に寝る。
ソファーと、、、30年前勝った肩もみきに持たれて、、、
快適である、、、猫に見習ったのかもしれないね???(^^!
今は、、、coronaに感染しなければ、、、目的は達するから、
全館主人の衣類や 汚れたものが見える方が
ファブリーズして回りやすい。
主婦も、防御になるウインドウブレ―カが3着あれば
下はセーターなど、クッションの中に居れて部屋に放り出して
滅菌しやすくしている。
後、、、3ヶ月、、、感染症にかからないように
緊張と、ベストの滅菌と、、、併病を避けて、、、
万一、、、運が悪い時の為に、、、
免疫のつく食事を、、、2食、、、主人に弁当を押し付けている。
外科医と結婚するという事は、、、
患者さんは、日曜日も、祝日も元旦も時を選ばない。
若きときは、ソファーで、電話の傍で、正月も寝ていた。
元旦の救急オペもあった。
他人は、、、医師の奥さんはセレブだと噂する
風評被害 は、遠く離れた親類にも及ぶ、、、
「外科医をする」と言う事は、、、
医師になることも大変だったと思うが、、、
それ以上に、、、奥さんの協力を巻き込んで、、、
「医師をするという」 人生を選んだ主人は
医者バカですよね、、、
人生に悔いはないんですから!!!
せめて、、、coronaにかからないでね!
ヨーロッパが落ち着いたら、、、
オードリーヘップバーンの居た、、、フランス、、、
ソフィアローランの、、、イタリア、、、
湯川秀樹のノーベル賞の国、、、北欧、、、
視てから、、、
人生を、、、医者以外に、、、
人間をやってから
卒業しましょうね!、、、
このまま、、、医師をすることだけに人生や。
息子達を、、、医療人にしただけの人生で
コロナにかかったら、、、私は許さない!
すべて仕事が終わったら、、行きましょうよ!!!、
四国も、出雲も、、まだ、、、行ってないでしょう!?
いまは、、、 無理に
Goo to travel しなくたって
うまく生きれば、、、100歳まで
生きれるんですよ!!!
日本人は、上等の、ゴム紐だから、、、
長ーく、、、人生、、、伸ばすために!
今は縮む時ですよ!
シャガンデ、、、飛び上がるために、、、待ちましょう!!!
12月~~~正月、、、3蜜を避けようね!
婆ちゃんからの、、、先祖からのメッセージでした。
私には、、、、母のように、、、
ブラックフォールを克服する力はありません。
母と母の弟は、≪周りの人たちへの配慮の気配り≫は
大変な苦労だったに違いありませんね!?
幼くして「忍耐」の一字を教えられた兄弟は
明治生まれとしては珍しいと思われる、女性が大学に進学することで
外国の実父に「ドルを送金してもらいながら大学を卒業したのでした。」
弟にあたる、、、私の叔父さんは、日大の理工学部の在学中、戦争に行きました。
中退でした。
戦後、生き残った親戚一同は、父母のもとに合流して、
疎開先に近い村で機械工場の会社を経営していたそうですが
アメリカの占領下で、生き残るには
「教育しか考えられなかった」と、、、言っていたのを思い出します。
多感な少女時代から、大学入学して、父が過労死で、突然亡くなるまで、
親戚は、ブドウの房のように、、、、父のもとに集まって、
父母を囲んで、戦後のドサクサの中で
それぞれが、大学や看護学校を卒業して、、、
我が家の居候の皆さんは 、、、去ってゆきました。
私は高校時代の制服の袖から糸が出ているので、、、
「もう一着、、、買ってほしい、、、」と、、、
母に頼んだのですが、、、居候の従兄の3姉妹が、母のハートを射止めておりまして、、、
私は、、、後回し、、、結局、一着の制服で高校を卒業して
箱ひだのスカートで、タイトスカートとベストを造り
日大の教養時代は、、、
學校指名の代表幹事を引き受けたものの、、、
周りの学生の垢ぬけた素敵なセンスのスーツに、、、埋もれてしまい、
「せめて、、、一着の、、、スーツが欲しい」と思った。
学校の近くの商業ビルの早朝床掃除に、、、筋トレを兼ねて、応募した。
エレベーターの方に回されて、、、筋トレにはならないし、
あがったり下がったりの、、、エレベーターは
性分に合わなくて、試用期間だけで、バイトは止めてしまった。
それでも、、、お気に入りの通学スーツは買えたので、、、
免許を取得していないと、、、女性の仕事は、、、大変かもしれない!。
安く、、、しかも、、、割に合わない仕事時間で
とてもじゃないが、、、私には続かない!!
そのことが解っただけでも、収穫だった。
高校時代の友人と二人で、
大学進学希望の高校生の家庭教師をすることにした。
自分の語学の勉強にもなるし、
息子の真剣な親の姿を視ていると
なんとしても、、、合格させて、結果を出したい!
友人と話しながら、交代で教えに行ったこともあった。
私立大学に合格して、私たち二人の家庭教師は顔がほころぶ結果が出た。
報酬金と、合格の感謝と書かれた金一封は、
大学生の私には、、、行動資金をもらったようなもので
うれしかった。
今年大学に進学した、、、孫の為にも、、、
人生には、、、無駄は一つもないから、、、
今日壱日を、、、無駄に過ごさないようにすれば、、、
未来の君が、、、必ず生まれていると、、、信じて
今日壱日、、、全力で頑張って、、、
自宅での授業に工夫をこなして、、
、何かに目覚めて行ってください。
コロナは、、、収束する日が来ることを信じて、、、
婆ちゃんは、、、また、、、君らと会食できるまで、、、
コロナには、、、絶対に感染しないようにと
最大限の努力を約束します。
又、、、行こうね!!!。。。
あの、、、回転寿司屋に、、、ネ!(^^!
76歳の今日は元気な婆ちゃんの日記でした。