今日は雪かきでくたびれて、、、9時まで眠ってしまったあと
おもむろにTVを付けたら、「チロルの村の挽歌」と題名が出た。
ドイツ~スイスの物語カナ???と思っていたら、
高倉健が、電車に乗ったシーンが出てきた。
ナイスガイの「健さんが出ているならと、」寝ぼけ眼で観始めた。
(^^この人は、、、健さんではありません、、、念のため!(^^
観ているうちに,、、
健さんの映画にしては、、思いっきり地味な
メリハリのない、、、シーンが多くて、、
、観るのを辞めようかと思いながらも
観ているうちに、、、気が付いた。
30年以上前、
北海道の炭鉱がどんどん消えていった時期が有りました。
人口が減って過疎になるのをくい止めようと、
夕張炭鉱も、芦別炭鉱も、生き残りをかけて、、、
レジャーを誘致した時期が有った。
華々しく開幕されたが、、、
石炭で、巨額のもうけを体験した過去は
どうしても、まっさらな新天地に、、
、必然性のある事を計画するような
専門家や、学者や、政治家や、keidannren. 教育者、医療関係者
市や、国とのコラボレーションが
ピッタリとドッキングできなかった時代が有った、
ひたすら、、、
素人が考えた、、、形だけの
表面的に、、、人が集まって賑わい、
レジャー施設の華やかなぼろ儲けの、、、
机上の空論を現実化してしまったような
幼稚な時代が、北海道には有った。
開拓の歴史のさなかには、、、貧困な家庭で育った凸凹な
未熟な頭でっかちの支配者が、、、いたのかもしれないですね。
映画に出てくる市長さんは「正義」と言う観念で
全てが自分の能力の域を出ていない行動に走ってしまっている。
人は将棋の駒よりはるかに多くの種類が有る。
白黒つけながら行く碁盤の表面には、
「石心」で打たれた石がつながって、、、陣地となってゆく。
黑い石は9目おいても、、、「考える石に、最後は負ける。」
76歳の婆ちゃんは、、、
健さんの映画は、
こんなに考えさせられる作品が有った事に驚いている。
芦別も、夕張も、30年来謝金地獄がつづく。
何が足りなかったのか、、、???????
自殺しそこなった男が、象徴するのは、閉山に失望するだけの集団?
主演の女性の大原麗子が扮する、
「自己中な東京の女性の生き方」が
この作品を象徴している様な気がした。
北海道一緒に生きてゆくには、、、自己中過ぎる、。。。
閉山になった街に、他力本願の男と、、、芦別?夕張?に来た女。
美しいという見かけだけでは、次につながらない、、、
北海道の自然。
美しいという事にかけては、、、大原麗子は稀有なる女優ですね!
美しいという、見かけが、美しい計画の「北の京???女?」
海が有るわけではない、、、
美しい山が露天掘りで削られて、
風光明媚な景色が有るわけではない、、、
本物の海が有るなら、、、
酪農をつぶしても、開発のレジャー施設の計画は
無謀とは思えなかっただろう、、、
こういう自然のレジャー要素が
炭鉱の周りには無い!!!
絵に描いた餅を実行してしまった。
人が人を振り回せると思う、、、幼稚さ、、、
とりわけ、リゾート地になる様な天然の恵みも少ない。
炭鉱が、エネルギー革命で、消えていった、、、
一つの時代の終わり。
その莫大な利益の陽が消えた時、、、
水道すら出しっぱなしで、、、
気の付かない贅沢を、石炭の露天掘りから
自然から得ていた現実に、、、天然のエネルギーにとって代わる恵みは無い!
時代の流れを読み取るべきだと思った。
レジャー施設は「必然の必要なもの」では無かった。
エネルギー革命は押し寄せる世界規模の、、、パンデミックだ!
モデルになった「芦別炭鉱」の閉山
夕張炭鉱の閉山。
そして、、、必然性を考えることなく、、、
幼稚な近欲に走って、、、レジャーの街にしようとした。
美しいが自己中でやり散らかしの、、、やってるつもりの
幼い女性。、、自分が賢いと思っているから、、、
持論をもっている。
幼すぎる持論は、、、世界の情勢も把握も無く、、、
こうあるべきだという、、自分勝手な正議論らしき、、、
自分は正しいと信じ込んでいる。
、、、「人を知れ」と言う、、、紙切れが印象に残った。
世の中には、自分が正義だとして、多くの方向の頭脳と相談できないで
大原麗子のふんした女性のように、、、状況を理解しないで
自己中な自分発の欲に走るという事は、、、
本当の、、、愛を教えてもらえる機会が無かったのか?
勝気で、勝気で、、、自己中なのか?聞く耳を持たないのか?
見かけは美しくて都会育ちですが、、、頭が固すぎる!
幸せの定義が自分の決めたやり方以外は認めないという幼さ!
主演の、「大原麗子」の演じる「自己中な主張ばかりの女性」に
象徴されている様な、、、、表面的な色香、、、レジャー、、、施設。
遊ばせようという、、、傲慢の域を出ない見せかけの継ぎ足しアイデアには
時代が変わる新しさは、、、何もない。
幼い主張、、、欲張りな道徳、、、地元の風土に同化できない傾向の「美」
、、、一方的な、、、欲張りな女性の言い分のように
「人」、、、「物言わぬ人」、、、言葉が必要のない奥の深い心の交流
「人を知れ!」
全てが理解できない、、、その場限りの自己満足で動いてしまっている。
人間は一人で産まれ、、、1人で死ぬ。、、、
正しいことは…一人一人、、皆違う。
女性がキレルト。。。美しいから、、、
男たちは気が付かない!
健さんも、自殺未遂男も、、、女性の手玉に取られてゆく。
閉店の洋服屋、、、洋服屋と言うのも、、、意味が深い。
居抜きで経営してゆく洋服屋は、、、クジャクの羽のように華やかに変身?
壱世代が終わった街の、人生の就活の老女の洋服屋の居抜きを経営、、、
時代が読めていない、、、やってるつもりの自己中。
芦別も、夕張も、、、一つの時代の終わりが、、、読めなかったのかもしれません。
幼い欲張り営業だったのかもしれませんね。
北海道は露天掘りで山を削った、、、!
山を削る必要性の有った事を、、、閉山の後は考えるべきでしょうね、、、
あるいは、客土して、、、
削った事が、仕事になっているというベースを無にしないで
本気で、、、命をかけて、、、遊ぶのなら、、、
人はついてくるでしょう、、、
魅せたり、遊ばせたりする、、、上から目線では無く、、、。
海が無い、、、運搬の手段が無い、、、自然が味方する風景も無い、、、
華やかさを、、、大原麗子の演じているような美人に例えるのなら、、、
東京の、銀座あたりなら、、、我儘な自己中で欲張りでも
彼女ほどの美人なら、、、
遊ばせておけると言う、、、男性が要るかもしれません。
人はそれらの人たちを、、、あうとろう、、、と言うかもしれません。
日本の国の一部の北海道は、、、
日本の国の造詣の深さに合わせた開発を
すべきだったかもしれませんね。
お婆さんの経営していた居抜きの洋服屋を、、、
自分の才覚で経営するという、、、安易な行動!
やってるつもりの、、、経営、、!
映画は幼稚な、、、大人達を描いて行く。
絵巻物のように。
名前だけは、、、「北の京」。。。
旧き時代の伝統もすっ飛ばして、、、、装飾の世界を繰り広げても
人の心は、、、捉えることは出来ないでしょう、、、ね。
うわべの形からしか、、、世界を理解できない、、、チロルの村!
北の京、、、芦別!!!
歴史ある本州の、
千年単位の知恵の「温故知新」の無い、、、市長!
役者は好演!
一本気で、正義感が強く、、、指導力も、、、ド田舎では通じるはったり!
映画は、実に、、実に、、、絶妙に、、、人の深さや浅さを描いている。
ククク、、、笑えて来る単純さ、、、
北海道は、天与の真実しかないた大地だから、、、
その大地の恵みの石炭が、エネルギー革命で閉山になった後は
露天掘りで崩してしまった山河を、、、もとに戻して、、、
しめやかな、、、神社を一つ、、、感謝のお参りどころとすれば
、、、もしかしたら、、、30年以上も、、、返済する借財で
市は、、、疲弊することが無かったのかもしれません。
そして、北海道の住民に教育が行き渡るころ、
北海道でなければ成り立たないという必然的な必要な施設を核として造り
時代とともに発達できる要素のある作り方をせねば、、、
其処には「文化」の成長が不在であると思った。
どんな地域も、日本人なら、、、自然の恵みと、自然との共存と
未来に引き継がれる「人を知る」、、、この心無くしては
人を振り回して、、、借財の後片付けを創るだけでショウ!!!
開拓史、、、レジャー施設だらけになった表面だけの華やぎは
笛吹けど、、、踊らずという、、、未熟しかなかったのかもしれませんね。
多くの事を、北海道の夕張や、芦別の住民に成ったつもりで、、、
考えさせられる、、、映画でした。
発達障害のまま、、、日本の本州の父母たちは、
我が子「芦別」も「夕張」も、、、本気で愛してください。
見捨てないで、、、ここ日本なのだから
田舎権力者の象徴のような、、、道内版の頭デッカチ「市長」と「頑固おやじ!」
正義感が有っても、、、
考えが自分に固執した
幼稚さが有ることは、
映画としては面白い。
正しい生き残りだからと思って、
外国の、、、チロルの何たるかも知らないで
クジャクの羽を付けたカラスは
カラスの勝手でしょう、、、の域を出ないでしょう。
人を呼ぶのには「ここにきて、、、自分の街には無い文化に触れるとか
空も空気も美味くて、、、景色も抜群だったとか
ここまでたどり着く間が、、プレリュードになっているとか、、、
ディズニーランドのように、、本気で遊ぶことに命をかけているから
本気で遊びに行ける、、、とか。。。
タイルの絵のようなレジャー施設には、、、もうけ主義しかありません。
5歳の子の頭に手を置けば、、、子供は手を払います。
5歳の子だって、、、「人を知れ、、、の人です」
レジャー施設で、大人の頭に手を置けると思うのは、、、
大原麗子扮する女性が、、、美しい、、、と言う
天与の風景のある女性だから
大の男が振り回されるのだと思いますよ、、、
その女性は、考えが幼稚で自己中でも、、、
男にとっては露天風呂だったのかもしれません。
立地条件を加味すると、、、幼稚な小屋でも客は来ますよね。
大きな意味で、、レジャー施設、、、リゾート施設,、、は
天然の大地の、、海の、、、、空の、、、
季節の恵みの無い所に立てるのは
「地の利が100パーセントに近い魅力のレジャー」に敗北は目に見えています。
客の求める要素が無い土地に、、、俺についてこい、、、とばかりに
見せかけの華やかさで心は引っ張れないという
痛烈な、ダメ出しをされた、、、まさに、、、「挽歌、、、」の映画だった。
人を知れ!。。。5歳になったら、人間は本気で生きている
だから、、、人を遊ばそうという、、、上から目線は「幼すぎる!」
まして、、、ひっ街道と言うカラスが、、、チロルだの、、、カナダだの??
クジャクの羽を付けて、、、クジャクに成れるはずはない。
日本は、、、北海道の、開発は、、、子供を育てるように
日本の頭脳を寄せ集めて、、、日本の次世代を担える開発をしないと
悪戯に、、、天与の恵みの大地の森羅万象を破壊するだけに終わってしまいます。
日本を牽引する「人を知る北海道に!、」
学者も、文化人も、教育者も、、、銀行家も!
北海道に手を付けるときは、、、心して、知恵を絞るべきだと思うのです。
例えば、、、洞爺湖のあたりは、、、
昭和新山をはじめ、、、ヤマの誕生から、、、壮年期、、、、
山の一生が大自然の中に繰り広げられて、、、
車で観て回る自然の博物館ですよね!
余計な物を作って、自然の恵みを壊さない方が、世界の宝になるでしょうね。
大原麗子は、、、美しすぎるという事が、、、演義になっていた映画でしたね。
健さんにしては、、、珍しい役どころだったと思いました。
華やかなレジャーも、よくわかってない76歳の、、
戦時中の生まれで、レジャーの余裕のなかった茶の間の婆ちゃんが、、、
頓珍漢な感想を書いてみました。
大原麗子の、、、美しさは認めるけど、、、
北海道には、、、まずは、、、いないでしょうね、、、
あんなに、、、自己中で、
考えが幼い女性が住めるなんて、、、びっくりしました。
健さんの映画としては、、、、珍しく、、、視点が女性のように従順で
意外でした。 眠いので、、何を書いたか、、、
支離滅裂になってしもうたかな?、、、TVボケしてしもうたかな?
おやすみなさい。
咲かなかった花、、、南国の考えで北海道に花を咲かすのは、、、難しいですね。
子育ての頃、、、なけなしのお金をはたいて、、、子供たちを
ヨセミテ渓谷に、、、レンタカーで、、、連れて行ったことがありました。
自然の恵みを、、、子供たちの目に、筋肉に感じてもらいました。
こざかしく生きることは、、、死を招くスケールであることを
アリ粒のようなロッククライマーが、岩山で動く小粒の姿を
子供たちに、何かを、、、感じてもらいました。
ここは、アメリカの、、、観光地!
チロルハットの似合うのは、、、スイスの雪山の見えるドイツから、、、
主人とそこで、、、羽根のついたチロリアンハットを買いました。。。。路肩の店で。
幼いもうけ主義の知恵で、
カラスがクジャクの羽を付けるような
安易な、、、真似をしないで、、、、
「人を知れ!」と言うのが。。。まず、、、これからの、第一歩でしょうね。
映画を観て、、、考えさせられたのは、、、めったにないですよね。
これからの北海道を、、、核のゴミ置き場にしないでね。
私は50年北海道に住んで、、、
昨日の月も、夜中の青空の星も、、、愛してしまった。
北海道にちょっかいを架けないで、、、
本気で、、、心中する気で、、、知恵ある開発
未来につながり、、、文化が育つ開発を
多くのジャンルの心が
円陣を組んで、、、考えて、、、開発するのなら
見せかけの、、、イルミネーションの輝きではなくて、、、
雪の結晶を、、、輝かせてみてほしいと思いながら、、、
貧相を演じる健さんの中の、、、役を引き受けた北海道への藍を
信じたい。
大原麗子。。。本当に、、、美しい人ですね、、、見とれましたよ。