花鳥風月

生かされて行くもの達の美しさを見つめて,
ありのままの心で生きている日々の、
ふとした驚き、感動、希望、

札幌は今日もストーブを焚いています

2016-06-05 03:50:24 | Weblog


確かに6月ですよな?
寒すぎませんか?

ストーブを点けました
やっと、、、
くしゃみが止まりました

この寒さの中
山林の中に
何ぼ何でも
しつけと称して
いたいけな少年を
置き去るのは

孤独と恐怖と不安と興奮を
一時に与え

冷えてくる気温の中に
肉体の限界を与えるような

親のしつけは
自分の気に入った従順な
ワンコになれと

支配してるのと
同じのような気がしました。

子供は親を選べない。
親は、自分の分身と心得て

生きてゆくことは、
大海原に浮かんだ
各人の小舟と思いませんか?

同じ波が当たって砕けているように
子供と大人は
同じ大きさの人格があるとおもいませんか?

しつけと称して置き去られた
くりくりの瞳の
メンコイ子供には

ちゃーんと神様がついていらしてくださった。

ホット、胸をなでおろし

子供の持つ運命と森の神様の愛は
万人の親に、
   *******************

親の満足のための鉄槌を
育児の手段と思うのは
大間違いと言う結果を提示した。

小さな命が、
自ら生きてゆく知恵を
神は
愛した。

子供は未来に向けて放たれた矢のように

親はくっついてゆけない。
素晴らしい瞬間であった。

**************************


育児って、、、言葉そのものが
おこがましく
しつけと言う
目線の高い言葉さえ

木の葉のように
愛の大木から舞い落ちた瞬間だった。


森の神様の愛、、、

自衛隊の感謝のマットレス
飲める水道水

それは、愛と言う
心の宇宙で包みながら
子供の成長を見守る事でしょうね。

子供はワンちゃんではないから

******************

親の想いどうりに
しつけるというのは
ちょっと違うような気がします。

**********************

しつけるのではなくて、
子供のの習性や、能力に気が付くように

親の方で、
視点を多く持つように
色々な体験をしながら
謙虚に、
周りの様子や時代の考えや
はたまた、
お年寄りの知恵を借りて

子供の中に
自分の時代にはなかったものを
発見し、、、気が付く、、、気付き、、が
親子で、人生を旅する感動だと思うのです。

子供がいろいろな行動を通して
当面する事をチャンスとばかり

教育して、
人間の社会に溶け込ませる工夫が
大切ではないでしょうか?

しつけではなく
わかるように、、、努力して
教育してゆくことが大切かと思いました。

置き去りにして、、、孤独にするのは
教育ではなくて
しつけのための体罰ですから

ワンコ並みの頭脳の動物には
もしかしたら
人恋しさの為に
遠吠えをして

しつけられてしまい、
すり寄って、ぺろぺろ服従するかもしれません。

之では、、、
親が子供を支配することになりかねません。

支配と教育はかなり
心のエネルギーが
異なると思いませんか?

支配は親自身のためのエネルギー放出だから
自分の満足が
目的になってしまいませんか?

子育てで、
気が付くことは
5歳になったら、
プライドの大きさは
大人と同じ大きさであるという事です。

頭の上に手をやると
払いのけます。

教育は、不屈の愛で
子供を導くためにも、

何十倍もの努力で親自身を磨き上げないと
子供はついてきてはくれません。

説教すれば良いのかと思った時期もありました。
目をぱちんと開けて
ママの私を見つめて
まんじりともしないから
反省して、
聴いてくれているとばかり思い
モンダイニなっている行動は
どうやったら正かったのか
説明していたら、

息子は、、、言ったのです。
「ママ、、、いつ終わるの?」

それ以来、説明しても、、、だめ!、、と
思い知らされました。

子供は、、、放たれた矢のように
未来に向かって生きている!

私が生きた過去の教訓は
PHSの時代の説教でした。

まして、、、しつけのための教育等
大人の時代遅れの正義と称する
自己満足の愚かさが露呈されました。

子供には後ろから附いてゆきながら
子供の中に
新しい空気を発見しながら
大人も大きく育ってゆくことではなかろうか?

管理教育にも似た
大人の身勝手な思い込みの
目線の高いしつけは

今回のように
回りが迷惑な結果を
起こしてしまいます。


自分たちの育児を振り返っても
未熟だったと思います。

置き去りにした親と違う点は、、、

一つ。

絶対に、目を離さないで
取り返しのつく失敗は体験させ
苦い思いを本人に感じてもらうチャンスを
見守りながら
奪わなかったという事です。

いかに、、、
多く体感させて

気付きに導くかという

孤独な格闘だったような思い出が
甦ってきます。

どんな小さな、、幼い子供でも
親の思うとおりにはなりませんし、

思うとおりに支配してはならないと思います。

見守り
、やって見せて、
やらせてみて
失敗を糧として、
聴く耳を養い

一歩一歩、、、導くような気持ちで

一緒に居てやることが

親の役目だったような気がします。

美智子様が
親王を出産されたときの
御歌に

子供と向き合う
母親の姿勢が
深く、感じられて

私も、子供は預かり物のように
私ごときに預けてくれた小さな命を
天に感謝して
育児を天職と思って
根気よく
息子たちと向き合いましたが、

息子たちの方が
一枚も、二枚も、上手でした。

私の方が
幸せは、お金でもないし
贅沢なものではないという

社会に仲間にしていただいて
自分の居場所がある事だと
息子たちから
教えられました。

しつけのお父さんは
目下、自分の居場所を
学習することになりそうですね(^^!

当時の
ミッチーブームの世代の親は
美智子様の育児を
お手本にと思いつつ
教えられることが多くありました。

しかし、、、
育児と言うのは
千差万別の条件下で
思うようにいくことなんて
めったにありませんでした。

にっちもさっちもいかなくて
育児の孤独に泣いたものでした。

子供を育て、社会に戻すという
育児を通して

大人になれたのは
親たちの方でした。

もう、、、置き去りや
体罰の育児はやめましょう。



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