花鳥風月

生かされて行くもの達の美しさを見つめて,
ありのままの心で生きている日々の、
ふとした驚き、感動、希望、

父の日

2018-06-18 02:42:31 | Weblog

日曜日は

朝食か昼食かわからない

ブランチを、

主人はおもむろに楽しみのが通例ですが、

父の日ぐらいは、

休みを有効に使いたいものだと思いませんか?

朝、8時に起こして、

久しく食べたことのない朝食を済ませ、

ブリジストン美術館の作品を展示中の、

北海道の美術館にて

夫婦だけの父の日を、

どういうわけか

人ごみの観客の中で、

美術鑑賞という個々の心の時間を共有した。

最近は、

時代についてゆけないことがしばしばで

近頃の難解な美術の作品を、

理解できないことが多かっただけに、

梅雨時の池の中に放たれたフナの気持ちになった。

我が時代を泳ぎながら、、、時を過ごした。

東京の下町に、荒川を背に古い校舎の高校があった。

東京府立の女子高校、、、らしかった、

その小松川高校時代、

岡田さんや、竹さんや、久保君と、

東京のブリジストン美術館に。何度か行きました。

あの日が、

そのまま時間を止めて待っていてくれたかのように

懐かしい絵に出合いました。

昭和30年代に小中学校や高校に通った70代の皆には

忘れることのできない教科書に出ていた絵!

「青木繁の、、、海の幸」の絵が

青春時代の思い出の扉を開けてくれました。

 

あの時の級友との

たわいもない会話が思い出され

館山の海の底の、サメの集団の住む海を描いたのでしょうか?

サメの住むゾーンと、

サメを担ぐ真ん中の少年と、

すぐ後ろの初恋の女性らしき彼女の表情が

荒々しい男どもの中で、、、輝いていた印象が

五〇年近くたった今も、

同じフレッシュな輝きで」伝わってきた。

 

あの頃は、

          全てに「芽生え」の時代だった、

ピカソがゲルニカを描く前の時代は

吸い込まれるような、

品のある輝きのある青年の絵画を描いている。

社会の底辺と言われる芸人であろうと、

若さの美しさは輝く。

若さこそ、、、、、圧巻の魅力の時代であったのを

振り返る。

老いの浮遊する魂を持て余しながら、、、。

 

戦争が、、、

苦しすぎる表現にかえてしまったのだろうか?

ピカソは、

本当は

輝く青年たちを

感動のフレッシュなタッチで

解りやすく

魅力をあふれさせた絵を描いている。

アナログの感性は球形の視点のようだ。

 

人も時代も変わりながら、

祈りが遠のいて

科学戦争が

悪魔のbpsで加速してゆき

個性亡き個性が火山爆発の溶岩となって押し寄せるがごとく

スピ―ドの中で時代を

溶岩が覆い尽くすかの如く

上書き保存の価値観で

歴史のとなる前に

ウエブゾーンにお蔵入りさせてゆくが、

ダウンロードして再現させてゆくのは

もはや原型をとどめることのない

クーロンの配置。

新しい次元の時間。

しかし、、、嬉しいことに

絵はそのまま、、、時を止めている。

おじいさんの旧い柱時計のように、

振り子が動き始めて

あの頃の音で、あの頃の時を告げている美術館で、

「独身の時代の、夢多かったころの青年に戻っていた、」

あの頃は、

人間としての未熟さは、若さの輝きであった。

未来があった!

芸人に例えるならば、

ピカソは大道芸人の少年の若さの美の哀愁を描いている。

「腕を組んで座る、、、サルタンバンク」の

赤い腕組みの青年の美しさは若さの品であり

魅力であり

情熱であり

力や権力や欲張りな富裕層の

創られた華美な世界とは無縁の

静かな、、、激しい、、、哀しい、、、情熱の未来の

若き輝きのように思えた。

しかし、、、若さの魅力は天与の魅力があった。

北海道に嫁いで、

全ての知人からは「蚊帳の外になってしまった、」

孤独を感じることもなかった。

無の境地で、今日だけを精いっぱい頑張った。

戦後の一億総貧乏の時代背景の中で育った主人は

妻がゴルフをすることを禁じた、

切手の収集は全部没収であった、

忘れられない自分の初恋の芸術家の作品を集めながら、

東大、京大、阪大、国立大学、芸大と

著名人を別格扱いする、、、?

受験浪人にありがちな「正解のある人」になってしまっていた。

教科書や、正しいことや、目標にすることは

正しいことは正しいと、、、切った貼ったの職人気質のある

不思議なインテリで、

その、、、アンバランスな凸凹に

いまだに妻という座布団を探しあぐねている私は、

主人の「俺一筋に、、」

完敗!!!

「妻もどきの便利屋に甘んじている、」

しかし、、、父の日の美術館は自由に遊べた。

 

七〇歳半ばになって、

一六歳の青春時代の時間に戻れた。

 

小磯良平さんの植物画集を追いかけて、

やっと手に入れた中年時代。

ガレやドームの

ガラスに魅せられた時代もあった。

しかし

目の前の小磯画伯の絵の美味さは、

日本の画家の、影を描かない不思議な立体感が

何もない空白の私の心の中に、

優しい時間となって戻ってくる。

 

解りやすい、

私の青春時代の時間が戻ってくる。

「絵画」、、、て不思議ですね。

 

美術館を出た入り口で、

見知らぬ老人が立っていた、

 

しばらくして、主人であることを思い出した。

 

、、、私は、、、結婚して、、、北海道に五〇年、、、

あれっきり、時間を止めたまま、、、

子供と出会い、見知らぬ顔の赤子の表情に魅せられて

ふと気が付くと、、、七〇歳を過ぎた、、、おばあさんになっていた。

結婚で はぐくんだ、、

隔離された「愛」と称される、、、殻の中の時間は

閉じ込められた世界のように思えた長い人生、

今回の、集められた絵は

たしかに、、、あった。。。

私の時代の、、、

わかりやすい青春の苦悩の時代へと

時を巻き戻してくれました。

 

時を止めたのは、、、絵ではなくて、、、

私自身が、時を止めたまま

とりあえず、結婚生活という、、、

「自分をすること」を許さない激流の池の中で

明日は自分をやろう、、、と繰り返しながら

一六歳のままの時間を置き去りにしてきてしまった、

 

五〇歳のころ、東北の藤田嗣二の美術館で

一年間の長い長い巻物のような絵に出会ったとき、

彼は若き日の自分をここに置いたまま

日本を出て行ったのは、なぜだったんだろうか?

光を書き込んでいる西洋画

陰のない日本画

セザンヌの不思議な視点の集積が創る不思議な自然体からの訴え。

セザンヌの画集を集めていたっけ、、、

あの本は、、どこに、、、消えてしまったのだろうか。

絵をかくのも、

漫画を描くのも、

詩を書くのも、好きだった、

日曜日には教会に通ってって、、

、難解な聖書の物語を聴きながら

ボロボロに、、、ページが外れるまで、、聖書を読んだっけ、、、

結婚を境に、家庭という入院室の中で

制限された生活だけを、主治医のような主人に

上手に閉じ込められてしまった。

一言も命令はしないが、

結果的には、全ての時間を上手に服従させることにより

男たちは、妻の時間を継ぎ足しながら生き残ってゆく。

豊かな階層は、

苦悩の脱出を図る画家たちの

一瞬を切り取った作品を集めて

何かを、、、教えてくれているようだ。

戻りたい、、、

一六歳のあの頃に、、、

今回の美術の展覧会は

コンピューターのなかった、

心が丸ごとアナログだった輝きの時代に

私を引き戻してくれました。

父の日、、、晩年の父の顔が、懐かしく浮かんだ

解りやすい、、、絵画展で、、、幸せでした。

この絵は

私が、はがきの裏に、、、昔、若かりし頃

走り書きした、絵が好きだった時代の足跡です。

解りやすいでしょう、、、!(^^m

 

 

 

 


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