花鳥風月

生かされて行くもの達の美しさを見つめて,
ありのままの心で生きている日々の、
ふとした驚き、感動、希望、

夏日になった、、、札幌

2019-07-09 09:42:07 | Weblog

早朝の小さな町内を散歩する犬!

犬にお供している、、、

60歳ぐらいの奥さん、おじいさん、

飼い犬が16年目だとかで

動きたがらない犬に寄り添っているのは

遅番の出勤前の「OL]

そろそろ小学生の登校時間だから

家のぐるりの植物に水を撒く。

「おはよー、」「おは油ございます~」

いってらっしゃい! いってきま~す

同じ時刻のいつもの会話なのに

ランドセルが歩いていたような女の子が

いつ、、、?

美しい少女になっていたのか?

思い出せない。

40年たっても、我が家の周りはビルは無い。

30歳のころ、初めての一戸建ての家を買った。

ミサワホームの建売で、提携ローン9パーセントという

現代の銀行事情では考えられない高利であった。

23坪の広さは何とか楽しい出発だった。

                 つづく

 

 

細葉ウン蘭のたくましい美しさに敬意を払いながら

歩道の下にはびこる雑草を引っこ抜く。

「おはよ~~~行ってらっしゃい!」

通学してゆく児童にいつもの挨拶を投げかけながら、

ランドセルを背負っていた女の子が、

いつの間にか

清楚な乙女に変貌してゆく。

昭和50年、、、あの時中学生だった裏の娘さんは

50歳を超えたおばさんだ!

自分だけは、

全ての事に

「傍観者の座布団」が置かれていると思って

見知らぬ土地だった北海道で

「吾輩は猫である」と。。。

割り切って猫の位地に居たような50年だった。

東京の総合病院の薬剤科で薬剤師として勤務していた時の事だった。

大学一年の時に、北海道から来た同級生と知り合った。

大学の指名で、代表幹事ををしていた私は

多くの同級生と事務的な会話を交わす機会に恵まれていた。

大学生になると、「友達」になるのは無理と

初めから、私は、誰とも友達になる努力はしなかった。

あらゆるチャンスに参加権があれば良いと思っていたから、

ため口をきいたり、流言飛語でふざけ合ったりする機会はなかった。

自宅に友人を招くことも一切しなかった。

たまに、どうしても家に来るという

押しかけ組がやってきたりしても、

私はプライベートに知り合うよりも

学友として、仲良しでさえあれば、それ以上は望んでいなかった。

広く浅く知識や、同級生の生活からくる習慣などに触れて

大學でしか体得できない

社会のいろいろな階層の考え方に触れれば

充分満足であった、

自宅に来てもらわなくても、

御茶ノ水には、

「丘」や「ジロー 」や「ミロ」という

会話にはうってつけの喫茶店もあった。

小川町に出れば、ソバ屋や、イタリア料理の店もあった。

しかし、北海道からやってきたというオカッパの女性は独特だった。

北海道から東京の私立大学に入学してくるのだから

裕福な、地元の資産家の娘さんだろうと

私は、腰を引いて会うときは深入りをしないように意識していた。

彼女は、ある意味での美人でした。

オカッパで、カーキ色のダスターをボタンをはずして着こなし

一見、、ドタ靴に見えるブランドの靴を、ラフにつっかけて

化粧はクリームだけだった。

東京育ちの、私たちの多くは、

「人見知りな心」が笑顔とは別に、

心の氷山の底に沈んでいる。

笑顔も、営業笑いなのか、親しみの笑顔なのか?

何か交渉事でもあるのか?

巻き込まれない心をしっかりと持たないと

東京は生き馬の目を抜くと言われる土地柄だけに

学友に対しても、短期間ではなかなか

心の扉は開けなかった、

                      つづく

 

 

 


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