どういう気候のなりゆきなのでしょうか?
昨日までは、雪かきをしていたのですが
今日は、、、ポタポタト音がして、雪がどんどん融けています。
50年前に建てたミサワホームは 北向きの屋根が勾配が緩く
毎年、はしごで屋根に登って雪下ろしをしていました。
屋根の上ではチョコレートの様に50センチの欠片になるように
雪をスコップで、切り分けて置き、
トランジスターラジオを聴きながら、一個、、、又一個、、と
雪のチョコをスクイ、そのまま滑らせて、屋根の下に落とすのです。
屋根の下には雪山が生まれて、軒に閊えそうになったころ
除雪完了でした。
崩れるかもしれないという恐怖もあり、
今年は玄関の上の小屋根の板金工事を完了しました。
ちょっと、、、あまりにも、、、工事中様でみっともないと思い
バンキン屋さんに頼みました。
、、、引き受けてくれました。
感謝でス。
雪は、家々の地震で出来たひび割れに入り、
やがて凍り付き、小さかったヘヤクラックを押し広げて
どんどんコンクリ部分をひび割れにしてしまうので
バンキン屋さんにお任せして、良かったですよ。
今日は思いっきり雪が融けているのですが
バンキンの技術というのは、、、プロですね~~~!
見た目は平らなのですが、微妙に傾斜がついていたのですよね。
融けた水は一か所に集まり、邪魔にならない所から一筋の水柱となって
静かに、地面に落ちてゆくのです。
今までの様に、小屋根に登って除雪しなくても
頭上に雪庇が落ちることは無いのですよ。
家は、地震後の復元で、少しづつ、、、改修されてきています。
この家は、買った当初から、リホームが続いていますが
家の生命線の水道が、北国仕上げになっていなくて
一人前の固定資産税がかかるので、考えなければならないのですが、、、
かなりしろっとぽい、、、いい加減さで
洗面所も、居間の上の二階の日本間の床も、
今回の北海道の地震でも、階段の壁がゆがんだり、
補強のロングの手すりで固定してあったのですが、壁の横木が浮き上がってきました。
日本間の京都式の品の良い塗り壁
(今回の地震被害までは本物の塗り壁と思っていましたが、、、)
ベロンと垂れ下がってきました。
シックイで仕上げた京壁で、
温度湿度の調節する上等の壁に見えていましたが、、、
今回の地震ではがれて、垂れ下がって、、、ベロンと、壁紙が
皺皺になってめくれてきました。
アオカビです。ビニールの壁布だったのですね!ショック!
風呂のタイルも、持ち上がって、落下しそうに浮き上がってきています。
外壁だけは、タタミが2枚落ちてきたような落下状態なので
ミサワさんのアフターの電話を頼りに
修理を頼みたいと見積もりをとってもらったのですが、
①崩れたところだけを修理する場合、
②崩れた壁の面の全部修理する場合、
③ヒビのある所にトタンを張る場合、、、
全部すると150万前後の見積もりでした。
実に、細かく丁寧な見積もりをくれたのですが
つぎはぎだらけになるのはどうかと思い
この次,、、万一、、、同じような揺れが来たとき
修理箇所が丸ごと落ちてきそうに思ったので、
コマかい心遣いは感謝しましたが
別の業者さんで、
外壁のプロを探すことにしました。
後で気が付いたのですが、、、名刺はミサワだと思っていたのですが
よく似た名刺の業者さんだったのですね。
今は、、、トヨタになっているって、、、ほんとうですか?
まさか?、、、
良い人たちで、細かい神経を使ってくださるのですが
やっぱり、、、仕事は、
プロの視点を持った業者さんに頼まないと
何回でも、、、リホームは繰り返すことになるので、、、
大雪が続くと、、、以前の様にバウンドした屋根の雪で
ベランダ窓の三をへし折って、巨大な氷が部屋に入ってくるとめんどうです。
50年も、この家と付き合ってきましたが
もう、、人生はあまり残っていないので
孫子に使える家にしておかないと
負の遺産を創ることになりますのでね。
雪が一年中、、、降らなかったとしたら
手間いらずですね!。
しかし、、、現実は、
大雪の重さがかかっているときの
耐え得る家にも
又、、、又、、、大きい地震が来たら
それを想定して、補強をしないと
中にいたら、、、危険だという事になります。
せっかく、健康に育ってくれた孫子の為にも
若い次の代の足引っ張りだけは避けないと、、、
悩みは私の代だけで沢山ですよね。
家族の安全を考えると
大雪の重量がかかったときの地震を想定して
リホームせねば、、、危険管理になりません。
ネットで、40年近くサイディングをしているという
免許保持者の居る会社に電話して、
壁のモルタルは全面剥がして、捨ててもらい
下地のゆがんだり、曲がったり、、、
古くなった木材は
取り換えてもらって
壁は全面に於いて、サイディングをしてもらいました。
屋根は、地震の揺れで板金が緩んでいたところは
絞めなおしてもらい、塗装してもらいました。
2500000万かかりましたが、、、危険状態だったために
金銭の事は考えている余裕がありませんでした。
今年の冬は外側だけは守れました。
暖冬であった事が、神様の救いでした。
玄関を出たところの雨や雪を振り込ませないはずの小屋根からは
大地震の後は、無数に這入ったヘヤクラックから
コンクリの砂が頭上に落ちてきていた。!!!
今回は、、、板金屋さんというプロの技で
地震から復活しました。
丁寧な修理は、見かけも良いし、
何といっても、、、微妙な傾斜で
融けた雪の水が、上手く処理されていることが、、、技ありです。
少しでも復活してゆく我が家は
可愛くて、、、可愛くて、、、
雪を掻いてしっかりと愛情をかけていますが
今年中に、治す予定がまだまだ、、、ぎっしりです。
なんせ、、、老後の生活費を考えると、
5年計画で、心にゆとりをもって、ゆっくり頑張ってもとに戻さないと
精神的なストレス、、、髪が真っ白になっただけでは治まらないと思うから、
ゆっくり、、、ゆっくり、、、出来るところから
ライフワークの様に、リホームを続けないと
ストレスが続くと
50代の終わりの時の様に
大きな腫瘍が出来て、、、手術になったことが思い出されます。、
仕事や、義務や、ノルマにすると
ストレスがたまるので、
リホームの修復は
ライフワークの様に
こまめに、、、出来るところから、、、ゆっくり頑張って
とりあえずの危険から、優先して、ゆっくり修復することにしています。
🚻も、水道も、下水もきっちりしないと、
お隣に住んでいた老夫は、今は亡くなりましたが
共同マスを、
自分の敷地に動かしたまま、
今回の地震で家を壊して売ってしまったのでス。
これは、お隣の方が土地には、私同様、
知識不足で
角地に見えるので、角地の建蔽率に合わせた家が正しいと思ったのでしょう、、、
建ぺい率の庭の広さが足りないから、
我が家の境界を手前に引いて塀を建ててほしいと言ってきたのです。
私も、、、詳しくわからないので、
お隣とは、喧嘩したくないので、
お金は当方が払って、境界から、かなり手前に塀を建てることを
ケッコウな剣幕で要求されて
強く言われ、若かったので、、、
建売業者のミサワの家が、、、初めから計算が間違っているのだと思って
自分たちの庭の敷地内に引いて、ブロック塀を建てました。
120万円でした。
その後、お隣さんは二階を建て増しされて屋根の雪が自然落下する傾斜にされました。
大きな改築が、パネル式の合力でバランスを保っているミサワ式の建物には
大きな地震の揺れがひずみを作ったみたいで
お隣のお子さんが、トイレ使えなくなったし
怖くて、住めないひずみが出来たので、
壊して売ってしまいますと、、、挨拶に来た。
お隣の家は、今回の地震で壊して、更地で売りに出ました。
きちんとした測量が入り、
我が家は、いわれなき敷地を、隣に提供していたことが
測量の結果、知らされました。
塀は壊すと、又、、、建てるのにお金もいりますし
そのままにして、狭くしたまま使っています。
この、売りに出されたお隣さんの更地にした土地に
次に、土屋ホームさんが新築されているので、
塀を引いて建ててと要求された時
ミサワさんが、境界にあった下水の共同使用のマスを移動しました。
共同マスが、お隣の敷地に入ったままで
トイレが排水が、庭の真ん中でカットされた状態でした。
長い間、トイレが使えないのですと言いましたら、
動かして、境界の共同使用の位地に戻すのは
市の認可が居るので
敷地の中央から、自分の敷地に移したまま売ってしまったので、
移動させるのは市の許可が居るから、、、
このまま、お宅の排水管を、地面の下からマスにつなぎましたから、
トイレは、流せますよと言った。
土屋ホームさんは、規則には違反していないと、言ってきた。
営業の社員しか、本社に電話しても、対応してくれないので、
北海道は本州や東京と違って
土地に関してはかなり個人的な都合が通るようである、
共同マスはそのまま埋め戻したが、
我が家との境界から、かなり隣寄りの位地に埋め戻された。
境界石の数もたくさん移動された跡があり、
地震で、配水管が、又ずれ込むと、
どうなるのだろう?
当方が、修理の為の接続の依頼をすることになるが
その時は、お隣の敷地を掘ることに
同意を求めるという事になる。
市の安全推進課に電話をしたら
「民事で解決してください」というが、、、
我が家が一切間違っていないのに、
家を買ったことで、、、生涯の課題を抱えてしまった。
今回の測量で、数個,、、まばらに埋めてあった境界石が
赤く塗られた一つが選ばれた。
境界の測量も、境界石がいっぱい入っていて
お隣の敷地の庭にあたる中に
市の境界石があり、、、真っ赤に塗られていた。
その上を車が通行して、道路に出るという駐車場の設計で
我が家の庭には南の日光が入らなくなった。
東側の通路側に寄せて新築家屋が出来てしまい
陽があたらなくなった。
我が家は、隣に、境界がかなり侵略されていることが
測量が、大々的にはいったので判明したが
土屋ホームさんは規則は守っているのでわが社には非はありませんと、言いました。
宏大な土地のある北海道だから、、、うやむやになりますが
引いた分の土地が
いつの間にか、お隣さんの所有にならないようには、、、
申請しておくことが必要なのかしら、、、などと考えながら。
土地問題のややこしさには…閉口している。
今のところ、我が家と、お隣さんの正式な境界に
地面すれすれにコンクリートのパネルで、塀が回されて
上から見えないように砂利が敷かれた。
民事になると、、、時間もかかるし、、、
新築家屋の人とは仲良くすべきであるし、
無断使用の塀と境界の間の土地は、
都会であれば、、、民事の争いの種になってしまうという
施工の会社には、買い手の幸せを大切に
もっと、緻密な設計をしてほしいと思った。
50年前の事であった。
ここら辺は、農林試験所の真ん中を
清田、真栄方面に道路をつくる計画が50年前にはあり
50年前は
回覧板が回ってきていた。
市の道路が宅地側の歩道に面して
一見、宅地に見えるところに境界石が赤い十字で在るので
角地であって、角地でないという、、、
建蔽率が角地の規則分だけは建てられないという、、、難解な規則。
家を購入した者にとっては難しすぎる分筆であり
建ぺい率や、日照権が
建築業者の判断に任されているため、
我が家は、煩雑すぎるのに参ってしまって
逃げ出してしまった若い日の弱さが有った、
その時点では、、、お隣さんは、自分の家が正しいと思っているから
私たちは、要求されるままに、業者に任せ、代金だけを支払った。
大學の職員だった若き公務員〇号俸の給料では
支払いが無理だったが、
私も、足りない分は働きに出た。
無理は承知で、バブル時代でで,、、
払えなくなるというインフレが怖くて、
隣の敷地に35年ローンの効く本宅を建てて、、、
外科医という不規則な出勤勤務の激務以上のストレスを
回避することにしたのだった。
お隣は、リホームして
やがては貸せるようにしたいと思っていた。
しかし、、、上下水道、屋根の水漏れ、雪の障害で
申し出のとうり修理してリホームを繰り返しても
2年で、貸すのは廃業しました。
その時、水道契約は中止したはずでした。
しかし、、、漏れていると言って、
数回以上水道メーターを取り換えに来たり
数人の水道局の職員と名乗る人たちが
ドヤドヤトやってきて、
止水栓を総取り換えしていったりした。
40枚もの水道基本契約金を支払わされたり、、、
メーターも数回取り換えに来た。
契約していないのに
内緒で、水道を使用していると言われましたが、
実は、メーターの外の、庭の部分が亀裂が入っていて
長い間、、、何十年も、、、庭には水が引かないという
不思議な現象が続いていた。
排水土管が原因だろうと、、、言われて
当時40数万円かけて
新しい排水土管の脇に、さらにもう一セットの土管を引き直した。
業者は、埋めたまま、、、我が家の庭の土管だらけの庭は、、、そのまま埋め戻した。
長い間、、、契約していないのに水道を使用していて、メーターが回ると
何回も、メーターも、
止水栓も取り換えに来ては、
部品を庭に掘りだしたままなのか、、、忘れたのか?
鉄のパイプがおきざりになっていた。
庭は、雨水も、雪解け水も、たまったままで
水たまりが続いた何十年間であった。
ある日、、、水道局のきちんとした、正社員の方が、やってきた。
その方は、今までの人たちと違って、
我が家の庭を掘らしてほしいというので
何処でも、掘ってくださいと言うと、
自ら、、、泥だらけになって
あちこち、掘っては調べていた。
やがて、、、道路に置いてある三角の工事中のセットで水道の付近を囲み
水道局の責任の分野の水漏れと判明して
工事をさせてくださいと言ってきた。
実に何十年も経っていた。
公の工事で庭を掘って施工されると、
長い間、庭に溜まった水が引いて、悩みは無くなり
これを発見して修理してくれた、水道局の正社員さんには感謝ですが、
冤罪で、こっそり使用していると言われて
40枚分の水漏れ代金は時間が経過していて、
記録が無いという事で、返ってきませんでした。
拾数万円を一括で、、、かなりの強硬な要求で
支払いました。
水道局の内勤の正社員さんが現場の施工業者と同行し工事完了したとき
「奥さん、、、外側はなおりましたが、、、何十年も使っていない水道は
何処が漏れてくるかわからないので、、、全部、、、引き直してから使うといいですね。」
忠告してくれました。
何十年も使えない家に固定資産税を支払い、
水道引き直しの計画のまま、
優先順位の子供たちの教育費を先に、
結婚応援を先に、
主人の単身赴任のサポ^とを優先にと
資金は優先順位が有った。
この家は、長いスパンで、住めるようにしたいと思っている。
この辺りは、、、タケノコ山であった。
新興住宅街に突然なった地区であるだけに
北海道の文化自体の基準がざるのような時代であったのかもしれません。
法律道理にゆかないのが、
私たち戦後の昭和十年代の生まれの人生には
ここかしこで突き当たりましたが、、、。
若い時代の外科医の主人は
症例を多くこなすことで「外科医の腕」を学修中であり、
早朝から深夜まで、家族とすれ違う事の多かった時代である。
北海道の当時の新興住宅街の50年前から、尾を引いている。
見えない苦痛の種になることです。
外見は
無駄をして2軒の家を持っているという、、、嫉妬なのだろう、、、か?
誤解が誤解をうんで、説明がめんどくさくなることがしばしばだった。
だんだん、、、閉じこもりになる傾向になった。
固定資産税はきちんと払っているが、
空き家と間違われないように、毎日昼を隣の手入れで過ごしてきた。
市の持ち分の道路側の土地は
庭になったり、駐車場に使ったりする目的で設計するから、
我が家の南側からの日照が大きく奪われてしまったが。
これは、市に許可をとっているから
規則違反でないと、、、言われてしまった、
排気を大きな音と風と共に、南側の我が家のブロック塀に吹き付けてくる設計である。
都会なら、、大きな問題の民事訴訟が起るかもしれないが、、、郊外はネ、、、
50年間も住んでいるお隣さんの事を考えてほしいものですよね。
お隣さん私物のブロックが温度差で、ひび割れしないような工夫をするのが
本来なら、、、建築業者さんのエチケットではなかろうか
条件が悪くなった庭の木々を鉢に移して、
30年目に花が咲いたシャクナゲなどを、移動させたが、、、
工夫はしているが、植物に対する愛は、
植物を好きではなくて庭をつぶして
、家をいっぱいいっぱいに建てる業者に
解ってもらうのは困難であるから、、、仕方がないが、、、。
北海道の建築業者の一部は、、、まだ。。。
自分の会社の製品だけを最高の条件にしたいという段階であり
お隣さんが話しかけたくなるような、
思いやりの設計は、まだまだ、、、遠い日の事であろう。
50年間住んでいる隣さんの事は、、、仲良し要素を考えるのが
これからの時代に必要ではなかろうか?
規則は守っています、、、の一点張りで、
我が家としては、、、
日照のある静かさの庭の世話だけが取り柄の老女だけに
陽の当たる、離れが、、、残念。
改修する工事だけが、、、ノルマとして、、、
老後にかかってきているが、
電気を引きなおして、、、
快適な風除室をつくり
隣からの音の大きなPanasonicの二台並んだ音の大きな排気外器の風を
音とともにブロックできる家にしたいと思いながら、、、
工事を進めている。
思い出のあるミサワホームの家は、
本州の業者だっただけに、、、ここ、、、
羊ケ丘の雪の冬には、リホームした屋根でないと
雪の重みで、破壊されている。
ここは、、、ミサワホームランドであったが、
お隣には北海道の業者の土屋ホームさんが建った。
さすがに、、、北国の業者さんは
雪には強そうな北国の家を建てている様に見受けられた。
地震よ、、、もう。。。来ないでおくれ!
ゆっくり修理して、ここは私の「心の」
居場所なのですよ。
子供や孫が、必要になったなら、
我が家にはこのような、、、経過が有ったという事を
日記には残しておこう。
必要な時に、読んでくださいね。
婆ちゃんより、、、
令和2年、、、北海道の大地震からの損壊からの復活中の経過の記録として
次世代の為に、記録に残しておきますね。