花鳥風月

生かされて行くもの達の美しさを見つめて,
ありのままの心で生きている日々の、
ふとした驚き、感動、希望、

JALをつぶさないでください

2009-09-25 10:02:07 | Weblog
        
       40年前連絡船で、
       北海道に嫁いだとき、、、

      主人はまだ、大学院生だったので
      博士論文に追われ、
      アルバイトもできず、、、

      二男が六か月になるまで
      長男の手をとり
      子連れ狼ならぬ
      子連れ派遣待遇アルバイトに明け暮れました。

      収入は3か月に一月の出張アルバイト。15万円でした。

      家賃は17千円でしたが
      当時の飛行機は
      東京ー札幌間、、、往復すると50000円はしたと?!

      記憶の中では、セレブ以外は乗れない感覚でした。

      20年間も里帰りしないで
      ジーと、耐えた孤独でした。

      外科医が一人前になるのは40歳前後でした。
      盆暮れ、、、正月、、連休は、、、当直とアルバイトでした。

      母が亡くなった時は、
      夜行列車に飛び乗り早朝到着。

      死に目には会えませんでした。

      もちろん、
      夫も子供も北海道に残したままでした。

      家族でJALに乗るお金がありませんでした。

     かって、、、「医師」というだけでお金のかかることは
     すべて、の医師の所に依存して解決した時代がありました

     御金があろうが無かろうが、
      回りが医師の顔を気にして
     控えてしまうため。
     法事も祝辞も、介護も、葬式も名前が出なくとも
     脊負うのが現実でした。

     世に言う、、、社会の有名税のような思い違い税かな?

     奨学金も当時のお金で80万を借りられたのはヒットでした。

     有給になってから、大学に勤務と決まり返済はいらないという
     手続きも、やればできたのですが、感謝の念が強すぎて、
     一番初めの給料と3か月目までのきゅうりょうで
     ボーナスで、一括全額で返済しました。

     このとき、初めて、
     里帰りを兼ねてJALに家族全員が乗りました。

      夫が50歳になって、突然給料が良くなり
      家も建てました。
      子供も東京の大学に出せました。

    借金は5000万円ほどローンがありました。

      小学校、中学校、高校、大学と東京で就業卒業した私には

      24年間かかって作り上げた
      交流範囲の知人友人の力が借りられない!!!この不利な条件!。

      孤独な北海道で、
       JALの割引や、
      わずかな割引券が欲しくって買った
      株が運んでくる半額券が

      故郷の知人とのパイプでした。

      欲張ってもっと頻繁に故郷に行きたいと思い
     「拓銀の株」まで買ってしまったのです。

      270円で買った株は140円になりました。

      株をよく知らない私は、
      「証券マンが教えてくれた甘い言葉に流されました。」

     「奥さん!今!買い足すと、値が戻ると重役だよ!」

      あほな私は「都市銀行はつぶれたら市民が困るからつぶれない!」

      そういわれて信じてしまいました。

      ありったけの貯金で買い足すという、、
      「あほな行動に出ました。」

      大損をしました。
      貯金は無くなりました。
      ローンだけが津波のように
      利息を運んできます。

      母に、、、会いたい


      60歳を半ば過ぎた母が
      フジテレビに応募して当選し
      函館までの
      エキスプレスでやって来ることになりました。

      子供を連れて、母に会いたい!
      何十年かぶりで母に会いたい!

      主人にお願いしました。
      男の子たちを、
      御婆ちゃんに合わせたいの!

      しかし、、、当時は「心臓の外科」を
      大勢の手術のチームで担当していた主人は
      週末に帰れれば良い方でした。

      そこまで来ている母に会えないで
      とうとう、、、
      後悔先に立たずという結末になりました。

      50歳になって
      いきなり給料が良くなったときは
      男の子は収入の11割かかる
      大学進学の戦場となりました。

      私は、北大に聴講生になり、
      忘れていた専門科目を勉強し
      正職員として就職しました。

      中途半端な人生になってしまう海路への出港です。、
      とにかく、
      子育ての最後の出費に対応するため
      薬剤師として復帰した為、、、

      とうとう、、、
      60歳ごろから、80歳までの間
      母と合わずに月日は飛びました。

      母と会いたいときは
      ベランダにあがり

      両手を広げて、、、
      「お母さん、、、!!!、、、私の体の中に、、

       お母さんの魂を投げて来て!」

     夜空の「オリオン座」の「心の故郷の家」で輝く母。

      三つのひときわ輝く星は戦争のとき外国で死んだ兄弟。

     四隅の光星は、
     若くして過労で死んだ
     外科医の父に代わって
     母を守る、残された四人の兄弟姉妹。

     オリオン座は私の心の家族の家なのです。

     母が亡くなってから、
     20年たちました。
     払いきれなかったローンも
     いつしか、600万円残すのみとなりました。

     働けど働けど
     勤務医は
     開業医のように
     必要経費が税金で認められないのがほとんどです。

     良い呉氏のお金を持っているようでは
     ヘビー級の戦う相手に
     ノックアウトされます。

     JALに乗って、全日空に乗って
      学会が日本全国で待っているのです。

     国立大学の医学部の入試の合否は時の運と実力と、、、天命です。

     受験では涙をのみました。

     私大に進学した二男。
     父の背中を思い。医師になった二男。
     他の学部も合格が来ました。

     私大の医学部は坊ちゃんが多く、入学しても
     周りがセレブで、、、ついていけないよ!?

     遊びのスケールだって、我が家では太刀打ちできないよ!?

     「それでも、、、好い。孤独でも良い。」

      なりたいものになれるなら、、、日の中水の中!と、、、。

     東京の大学を卒業し
     私の親戚の住む東京で、
     生涯を過ごしたいという二男に

     「孤独」だけは避けてもらわねばならないと思いながら、

     すべての事は削除して、JALの運賃にしました。
     母に会えなかった20年を取り戻すためのも、
     東京の小さなウサギ小屋の学生の住家に
     私は「家族」のハイパーテンションな時間を運びました。

     JALで!

      いつしか、10100円で乗れるシルバー料金で
      会いに行くのが、楽しみになりました。

    35歳、独身、東京のウサギ小屋が
    北海道の5LDKと同価格である、、、地の利の悪さ!。

    子育ての広さのないマンションには
    賢い母になりたい女性なら、見向きもしないだろう。

    ウサギ小屋、、、車なし、、、

    医師という職業はマイホームサービスの時間もない。
    本人が診療時間以外は、寝ているという人生の中で、、、

    はたして、お嫁さんは来てくれるのだろうか?

    「母さん心配するな、、、」

    サラリーマンの中でも高額といわれる医師になったものの、
    故郷に帰れるのはめったにない。

    東京では、まともなMSも買えない高額!

    親が応援したくても、年金はほとんど中止
    税金は額面でかかってくる、
     要職に就くと、自分の顔の代金は
    お城の堀を巡らすほどかかってくるだろう

    ヘビー級のリンクで戦う医師には
    自分を鍛える費用にも足りない。

    上手く生きなくても、
    サポートが医師本人自分で買い取れる状態でないと
    医師という巨木の足もとで踏まれてゆく菫が嘆くだろう。

    JALで束の間、、、次元の違う仕事に飛んで
    踏まれるのを回避!

      不規則な深夜急患など、
     時間を買わねばならない費用は莫大である。
     学会や、付き合いも、
    職種の人との行動の時は
     家族や妻は取り残される。

     当然、深夜でも
     馳せ参じてもらわねば成り立たない
     仲間を優先の外科は妻は認めている。
     日頃から、妻子よりも
     家族は職場仲間のほうである。
     また、当然そうであってしかるべきチーム医療だから、

     看護師さんも、自分でホームランを狙って行動はしないだろう、
     賢い看護師さんはきっと、日本の医療の担い手なのだろう!

     医療チームの顔を立て、
    チームが得点できる送りバンドが
     上手いだろうと推測している。

    外野から、
    看護師さん!あなたこそスターだ!
    医師を従え、女帝になって、輝くのはあなただ!

    このような誘惑に負けて、
    働きたくない看護師が増えたら

    医療崩壊につながりますよね、、、きっと。

    ナイチンゲール精神の、
     天使の心が今もきっと、、、あるに違いない。

    医療界の看板になれる医師を従えることで、
    利益に走り
     権力を誇示する巨大集団をつくる企業がいたとしたら、

    民主党に改革していただきたいものです。
    質を重んじる民主党が
    利益は後からついてくるものだと!

     舞台を創って、
    主役たちの医療人にのびのびと仕事をしてもらい
     日本の医療の魅力を
    魅力あるエコライフのように
     初めから終わりまで命をケアし
      健康人生を押し上げる瑞々しい心宿る安心感の人生設計の
     「 ロマン」を持ってください

    先輩医師夫妻の退官の忘年会に、御別れを言いたくて
    職員の一人に
    隠れるように席を空けてもらい、
    お別れの観劇をする私は外野。

    現在、勤務医の奥さん方は、外野ですよね?

     家内は医師というスタッフの
     個人の持ち物の肘掛ステッキのような
     そこらへんに
    「立てかけられるような立場なのであります。」

         、医療界的には妻は孤独な外野なのです。

     JALで飛びましょう!

     夫の時間は、病院のものなのです。

    東京で24まで過ごした私は
   「孤独です。」

    言葉も価値観も、しぐさも、よそ者です。

    家の中は、夫のものでいっぱいです。
    地もとの大学院を卒業した夫は、仲間がいっぱいです

    医師を続けるために人生のすべてをかけた医師たち!

    理解し貧者の一刀のサポートを試みたよそ者の私。

    私の人生も たそがれてゆきます。

    私ごときの忍従のサポートでは
    医師は支えられません。
     自宅の番犬の方が、しっぽを振るだけ
    医師のストレスの
     サポートいやし部分をしっかりと請け負っているかもしれません

    全日本的に通じるヴィジョンで
    働いてきた病院の未来に向けて

    医師のサポートは「政治の力」が重要です。

    医療費を削ってしまうと、サポーターが居なくなります。

    政治や、企業が営業面だけで現場を無視した人事に走ると
    ローカル的な実利や勝気な競争力に巻き込まれ、

   人体宇宙という「メンタルな大切にしなくてはならないこと」が

   見失われ、やがては、、、魅力に欠けた医療が造花のように
   鮮やかな色を誇り、、、何かが失われてゆく気がします。

   私は、、、かって、、、医師志望の学生でした。
   吉岡弥生さんの物語に感動もしました。

   女子医大に像を見学に行きました。医科大学にも合格しました。
   男の子3人女の子一人の、
    戦争生き残りの我が家からは、
   女医になる為のお金のは出せない。といわれました。

   当時、大学に行く事も反対されました。
   短大の推薦入学を決めてきた家族もいました。

   スポンサーの居ないところには
、  膨大なエネルギーを流さねば成り立たない
   病気というブラックホールを抱えた病人と
   1日に何人も会い続けるエネルギーはガス欠します。

   「いっぱいのかけそば」では、医師は育ちません。

   一人の健康な我が子を育てても、親のエネルギーは子供に流れます、

   まして、何らかのブラックホールを持った患者さん相手の医師は
   エネルギーの「備蓄基地」のような役割が必要です。

   テレビやドラマで、面白可笑しく
   「医師の妻」のセレブな浪費や
   特殊な女医に「ネグリジェ」のようなデザインのいでたちで
   「目立とう精神」ばかり拡大して報道するのは、

   日本の医療を、堕落させるだけだと思います。

   民間の勝気や、嫉妬が医療に向けられる事は、
   天につば吐く行動です。

   入院して、患者になって、初めて、最低の状態の自分と
   一緒に病気と闘ってくれる奇特な職業が医療人だからです。

   医療チームのキャプテンを「地に落として」
   自分が光っても、
   イチロウの活躍しないチームには未来の光がツイテきません。

   

    誇りある職業として、
   心から喜んでサポートできることが
    唯一、損得勘定なしの、
   滅私奉公できるサポートを得ると思います。


    昔の日本の心を探して
    私の方で会いにゆく。
    JALが私の翼です。

        そして、65歳過ぎて、、、
    シルバーが使えるJAL

    あの「マーク」が好きです。
    日本が日本であるシンボルのような「鶴」

    鶴の夫婦は片方が飛べばい時は
    もう片方が、、、
    群れを離れても待っていると聞いたのは?母だった。

    結婚して、、、
    主人は私を置き去りに、、、
    一人で社会で頑張った。

    女房を待っているようでは
    通用しなくなる日進月歩の医学の世界。

    結婚前、リバーサイドで朝の500円ゴルフが日課だった私は
    夫とゴルフに行きたいと思い、ゴルフ銀座の真ん中の
    緑地帯に家を建てて、山の中でクラブを振り回して筋トレ。

    しかし、、、とうとう、、
   、一生一緒にグリーンは廻れなかった。
    結婚によって、ゴルフは一度も行く事がなかった。

    筋トレは「雪掻き」!!!
    外科医の夫は、
    「雪を掻く荒れた手で患者様の肌を触るのは、感触が鈍る。」
    「患者様の手として、ワセリンをつけていた。」

    私も、援軍の来ない北海道の子育ては
    孤独だった。

    拉致された多くの人の事を考えると、
    こんな苦労は、単なる
    過重労働にすぎないと、自分に言い聞かせ、

    毎年、何100トンもある雪を、屋根にあがって降ろし続けた。

    息子が育てば、、、それまで頑張れば、、、と。

    しかし息子たちは出て行ってしまった。
    冬が来るのが恐ろしい。

    夫は、、、一生雪を掻いたことがないから、
    恐怖を話しても無駄であろう、、、。

    業者は、大雪の日は車を出せない。
    2-3日たってから、
    私たちが積み上げた雪は取りには来てくれるのだが、、、。

    真冬に、
    JAL飛行機で3日間、予約!
    独身息子の部屋掃除にJALに乗る。

   「なんて、、、小手先の筋肉でできる仕事なのかと、、、!。」

    掃除も洗濯も、雪のない東京の空の下では
    ストレス解消になる。

    息子とは、結婚するまで、手料理を食べてもらい、
    肉親が会わなかったこと、、、
    会えなかったことで脊負う
    「ブラックホール」だけは脊負わすまいと、

    一切の不必要なものや、レジャーは節約し、
    JALに乗る。

    離れ離れで、、、会えなくなった家族の絆を
    JALに依存した。

    だから!!!!!JALを守って!
    民主党の力で
    理想のJALに
    日本のJALに

    質を守り、JALを復活させてください!

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