花鳥風月

生かされて行くもの達の美しさを見つめて,
ありのままの心で生きている日々の、
ふとした驚き、感動、希望、

受験を振り返る季節ですね!

2017-02-10 10:27:57 | Weblog

 

何回か吐露してきた、戦後の日本の子供達の変化

天皇陛下は、人間宣言をされて、

日本の「物質以外の日本」が

第二次世界大戦で亡びるのを

防いでくださったと、

昭和生まれの私は。今でも思っています。

1946年1月、、、

1946年2月~54年8月、、、

日本の各地に、お姿を現してくださり

日本は存続しているという、

日本の歴史そのものが、、続いてゆくと

時代の思想や。教育や、イデオロギーが、

さまざまに、多様化して、競い合う事があったとしても、

考えや、主張や、ヴィジョンが

色とりどりの日本国内に代わろうとも、

陛下がお姿を見せられる限り

点描派の光あふれる七色の絵画のように

私の母(明治生まれ)は、

戦争のトラウマから立ち直ってゆきました。

昭和に時代を、激動の時代を、陛下は生きられて、

日本人の中の、何千年も続いてきた、国民の中にある日本を

守って下さったと、言い続けました。

陛下ほどご苦労をされた存在はほかには知らない、、、と、

母は言った。

母の父(明治生まれ)は

27歳でロス、シスコに渡って、

多くを学び、

日本に、多くのグローバルな知識や習慣、機械力などと、日本に還ってきた。

持ち帰ったことを指導してほしいと、

「町長」「校長」「相談役」などを引き受けた。

戦前は真っ白ない手袋をはめて、

朝礼の度に「教育勅語」を読み聞かせて、

神様だった天皇陛下への儀式だったのでしょうか?

しかし、

日本は敗戦しました。

世界情勢もしかり、アメリカの全体像も情報不足だった。

無知だったことが、、、

罪だったと言われれば、

「ハイそうです」と、

うなだれるしかない「情報不足の中での戦争」。

島国で、300年間も鎖国していた日本、、、。

資本主義国家の

法を主とすると誓ったアメリカ国民が、

鎖国なんて、、、、

地球上に認めるわけにはいかなかったのかもしれません。

100キロの高速道路で、

日本は60キロが日本の速度だからと、

正しいことを主張したことが

戦争という大事故に発展したのかもしれない。

高速道路に出ないで、田舎道の、、、

たとえば中山道を、旅がらすのように

怠け者のように、静かに、、、静かに、、、動いても、、、しかり。

動きを察知されないほどのスピードで、生きていたとしても、

地球は自転して、多くの物を運んでくるから

衝突は起きたであろう。

時代に取り残されてゆくものは、

戦争という竜巻で、

どこかに運び去られてゆくのだろうか?

人間が時代を造り、時代が主となり

旧き命は死んでゆき、歴史が物語る、、、命の継承。

地球というガラス容器の中の

気体のもたらす化学反応であったとしたら?

教科書で何を教えようと、

受験という限られた価値観の問題で合格したエリートは

ひたすら、町おこし産業おこし、

コンクリートジャングルへのアッタクで、

東京のど真ん中に、

宇宙からの波長をとらえるアンテナを造り

気候の変化もミリバールの単位で予言しながら

時代を造ってゆき、地球を汚してゆく。

スパコンの人工知能の構築するコンクリートジャングルは

木陰の中で木漏れ日に酔いしれる自然との同化はないだろう。

小川のせせらぎが唱歌となって子育てをするとき、

笹の葉の間を、蛍が、懐かしい先祖の心の灯で瞬いていた。

車輪の音、騒音で頭はボートしてくる人工都市。

空気を読む、空気を嗅ぐ、空気を食べる。空気が美味しくない。

世界が気候を変えてゆく発展に原因を探る日はくるのだろうか?

人間の天与の五感が役に立たない都会の中で、

アプリをインストールして、答えを探す、、、。

世界中が、いつか感性を無くして、子育てを忘れる日、

世界の経済を運ぶウオール街が、あちらにも、、、こちらにも、、、

電子マネーの川を流し、

子供を乗せた筏で流されてゆく日。

手塚治虫氏の漫画の世界がやってくる気配がする。

医者になって、医者を辞めて漫画家になって、、、

医者に出来ない「ブラックジャックを描くとき、、、。」

手塚氏は、自分が、、、エリートだってことに

気が付いただろうか?

そんなことは、どうでもよかったのではなかろうか?

ロック冒険記から、手塚漫画は、青春そのものだったから、

手紙を出したら、丁寧な葉書がお返事にいただけた。

ベレーをかぶった自画像の漫画入りで、

北海道に行く予定と、、、書いてあった。

同じ医学部を卒業しても、医者しかしない、、、

医者バカ一本の主人。

主人は北大の医学部を突破しているから、エリートなのか?

目指せ「医師」だったのかな?

本人は「僕は浪人している。」

「東京から、北海道という、当時は馬糞の舞っている砂利道の街に来た。」

「エリートというのは、北海道に生まれて、北海道に住んでいて、

浪人をしないで北大に合格して、

未来の役目の為に

北大が必須の目的の一里塚という

自分の夢を一段づつ、

しっかりと、あがれている学生を言うんだろう,、、ナ!?」

その階段が、漫画の部屋に続いていたとしても、

医学部を突破して、医者になって、ブラックジャックを描いている

手塚治虫氏は、エリートとか、狭い枠の

受験生向きの「カースト制」のような

順番の無関係な、才能のある人間に実現できる生き方だよね。

自分の一生を、

自分の時間を自分で好きなことに使える実力者だね!

浪人するとね、

入学できれば、どこにでも行く!って、、、結構せっぱ詰まってさ!

東京会場で、北大受けて合格したけど、

北海道って、、、こんなに遠いって、来てから気が付いた。

エリートだなんて、、、思ったことは一度もないよ。」

主人は、受験を境に家族とは別れた。

一緒に生活をしていると、

仮に北海道のエリートだと仮定すると

「エリート?」教育の

もたらしたことに疑問が出てくる時がある。

時間の配分が

「知識」「技能」「患者さんの事」で埋まってしまった一生に思えてくる。

朝の食事も、夜の食事も

一緒にしたことはほとんどない。

子供の盾や外堀に、存在そのものがなるだろうから

子供にかかわらない性格も、追及はしないが、

医師の仕事、と言うよりは、、、外科の医師には

愛情や、細かな情操は邪魔になるようだ。

夜勤明けの日、

久しぶりに家族でカレーを食べていても、

病院から電話がかかってくると、

「何?!下痢してるって?水みたいなのか?

カレーみたいだって?

解った、!ビオフェルミンやっといて、、、今。行くから!」

皆、カレーが食べられなくなってしまった。

思いやりが出来ないのであるよ(++!

お父さんの、、、バカ!

*********************

学会の為に海外に行くことはあっても、

会場から会場に移動し、スライドの順番を気にしながら、

お土産は、家庭には買ってこない。

医局でアメリカの研修旅行に行ったとき、

長々と家を空けてすまん、、、と

ネッカチーフを買ってきた。

小さな白い布がついていて、

メイドインジャパンと小文字で書いてあった。

食卓に、何を出しても

何を食べても同じである。

知人の建築家は、毎年夫人に「セーターをプレゼントする。」

その話を主人に話したら、

45年ぶりに、初めて、、、せーたを買ってきてくれた。

催促したわけではないが、

主人にも、自分以外の事を考える時間を持てたことを

心から嬉しく思い

さっそく、、、!!!、、、着てみようとした。

何と、、、首が入らない!

何よ?????こんなセーター、、!!!

何処で買ったの?

三越デパートの3階?、、、ほんとう?

ともかく、私は返しに行った。

それっきり、、、プレゼントは、有りません。

自分の事でいっぱいなんですね!

医師は、時間貧乏ですね!?

70歳半ばを過ぎて、、、主人は言いました。

「本当の敵は時間だったんだね!」

*************************

とうとう、70歳半ばになっても、

話は、ドクターXが、

あんまり医者をバカにしてる割には

医学の最先端を取り上げていて面白い、、、とか

メスよ輝け!漫画は読破した、、、とか。

ブラックジャックから、、おたんこなーす、、、

ありったけの医療漫画を買ってきては

時間が無くて積読。

医学関係の深いドイツには、無理にでも時間を造ってゆく。

二人で、行く夫婦も多いこのご時世に

パリも、ロンドンも、知らないのです。

私は職場に復帰した時

主人を待っていては、

親の葬式にも来てくれない時間貧乏だから、

もう、、、ここら辺で割り切って、

一人で、ヨーロッパを知っておこうと思った。

東京大学の先生が主催する医薬の歴史の旅が

薬剤師向けの会報で募集していた。

考えていた矢先のタイミングに、

息子の大学に、医歯薬歴史ならこの人あり!という

先生がいらっしゃり、

その先生とも、歴史の会合をされるという

リーダーの先生から、お電話で、

ひとり、空きがあると、お知らせをいただいた。

団体旅行だったのですが、

自由時間もあり、最高の学会参加

ゼミナール参加、

現地案内の歴史の病院めぐりと、

オペラハウスの観劇の機械をゲットできました。

自由時間に「ピカデリーサーカス」の通りを歩き回っていると

似顔絵描きのイギリス人が、話しかけてきた。

北海道にも何年もいたという。

旭川や富良野も函館も知っていた。

一人ぼっちの街歩きは、

主人の事を思い出して、、、、ま、、良いか!

チャンスはとっさに掴まないと

永久につかめない!

、、、此処はイギリス!イギリスの空気をもらおう!。

「似顔絵を描いてもらう」気分にさせた。

「あなたは髪が腰まであるが、ご主人は仕事はなんですか?」と聞いてきた

ドクターだとことえたら、

急にキングスイングリッシュを使いだした。

********

「マダムは、肩ぐらいで髪を整えて、軽くカールをしなさい。」


*******

木炭を走らせながら、

北海道の自然の美しさに感動したことなどを話してくれた。」

仕上げにフクサチーフを吹きかけた木炭画を巻いてもらって

背中に背負った。

佐々木小次郎になって、

ピカデリーサーカスの本屋をさまよった。

シェークスピアの真っ赤な表紙の本を買った。

**************************

そして、ヒースローからフランスに飛んだ。

医薬史学会は、セーヌ川沿いの

薬剤師会館を見学した後、

勢いで、

セーヌ川のほとりの骨董市で

「、鉛筆画」と「デザイン画」と

小さなスプーンを買ってきた。

パリの大学生が、国に帰るとき、売って行ったと思われる物もあった。

しかし、王朝の続いたヨーロッパの骨董品は

歴史を感じさせる小物も多い。

あれから30年、、、

受験戦争では、浪人しても、目的の医師になれた主人は

エリート分類に入るのかもしれない?

受験戦争の勝利者だと、

本人も、家族も、風評のように、

絵にかいたような幸せになれるのかと、、、思うでしょう?

北海道版では、私は認めたい主人ですが

今も、ひたすら「患者さんの事」。、、、、だけ。

家に帰ると、ひたすら、マイペース。

話は、仕事の悩みや、医学の話や、TVの医療番組。

最近の悩みは、私には解らない、医療現場の

高度な悩みなので、

聞いてあげるしかない。

答えようがない。

例えば、、、

手術の時に、

開胸してから、悪性腫瘍に接近している血管が

そのまま手術すると、破裂してしまうから、

とっさの命を救うために、

ステントを

難しいテクニックで

若手が挿入して、

大変な手術を

無事に成功させた!

立派に、完治して、病は癒えた。、、、。

**********************************

しかし、胸を開くまでは、こんなになっているという事が、

画像では

判断できない域だったために、

術前には、

「保険適応」です。と言ってしまっていたから、

適応できない難しい、最先端の技術を使って命を守っても、

患者さんに請求できなくて、

病院は赤字経営を余儀なくされる。

厚生省は、現場のとっさの変化で、駆使する高度な技術に対しては

保険の適応を認めてはくれない。

*********************************

患者さんには、術前には解らない事なので、説明できないから、

当然、、請求も出来ない。

折角命を助けて、患者さんはニコニコ退院しても、

病院には保険外の手術技術に対しての自費の支払いがもたらされる、、、。

厚生省のお役人さんは、半端なエリートではありませんよね。

たとえば、東大の法学部を出ていらっしゃるとか、、、?

厳しく日本を赤字にしない法に沿って、

いつも正しい意見なのでしょう。

でも、現場の、医療施設でDr.は、

保険適応だけの事をして手術を終われば、

患者さんの命も手術室で終わる。

病院の評判も、終わる、、、

風評被害では、医療関係はもうかっていることになっている。

赤字でない病院を探すのは難しいと聞いているが、

これから先の老人王国の医療現場のアクシデントの

とっさの技術は

赤字覚悟で引き受ける。

施設は、死活問題であると思いました。

受験社会のもたらした、受験問題の傾向が

「正しい答え」のみ、、、追求するから、

これからは、視点を増やした試験を考えてほしい。

「とっさの想定外の時の手術費の分担の

ベストの考察を述べよ!」というように

とっさの想定外が予想される不安定な今日、

均衡を保てる「創造の気付き」のある才能を探すような、

若者の独自の見解を、

長老たちの堅い頭に投げかけた若者を合格者として、

東京大学入学許可!なんて、、、

粋な受験時代が来るといいですね。

*******+++++++++++++++************

日進月歩の医学の社会にかかわって生きていると、

宵越しのお金を持っているようでは

仲間からも、時代からも、置いてけぼりになるという恐怖がある。

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それほどに、、、ライバルは、さりげなく強い。

振り返れば、家から近いから、

しかも、総合大学だし、

家事を手伝いながら、免許をとれるだけとっておこう!と、

日大の理工学部を受けた時、

現役の私は、怖いもの知らずで、面接のとき

他に大学は受けましたか?

「はい!千葉大学を受けます。」

もし合格したらどちらに行きますか?

「千葉大です。」

質問は終わった、

千葉大学の受験日の数日前に、

合格通知が来た。

兄も、母も、家族は全員、日大にしなさいと言った。

「下宿はしなくて済む。」

女性の下宿は許しません。

千葉大の受験の当日、車で送ってくれると言って

前日のホテル予約を「無駄な金は使うな!」と

約束してくれたはずの、

日大医学部の兄は「受験の当日になって!!!」

車を出さない、

「お前は日大に行け!」と、、、

がんとして、約束を守ってはくれなかった。

日大は私立だから、

卒業まで、父が、元気で働き続けるとは限らない。

私は、考えを聞いてもらいたかった。

私立は、お金持ちが多いから、

学問以外の社会の多くを学べるだろう、、、

「お前は女性だから、大学院にはいかないだろう?」

「学問の淵に向かうより、臨床や、社会に強い日大で、

男社会の共存をしっかり身につけてこい!」

目指せ東大、東大こそ大学と言っていた兄は

君子なのかヒョウヘンシタ!(‘‘!

かって、、、東京大学受験で東大病だった兄は、

東大しか認めない勢いであった。

私より8歳年上である、

我が家の独裁者である。

受験当日になって「送っていく約束を守らない!」

合格できるかどうか、やってみなければわからない。

やり残した気持ちを抱えたまま、

お金持ちの子弟の通う日大に

私、、、、ごときが通っても、

社会勉強に参加する金銭的な余力はない。

しかし、

運命は日大に開かれた。

、、、、日大に入学手続きが終わってから、

次々と、合格通知が来た、

一つ受かれば、結構、、、皆受かる。

それだけに、受けずして落ちてしまった国立大学への

私なりのチャレンジが、

大きな教訓となった。

「秋の草原の田んぼに、小鳥の親子が住んでいました。

おじいさんは、「明日は人に頼んで、草を刈り取るとしよう!」

小鳥の子供はびっくりして、「母さん、、逃げよう!」と言いました。

散歩がてらに、お爺さんは「明日こそ、人に頼もう!」と言いました。

小鳥のお母さんは「大丈夫、逃げなくても、大丈夫!」と言いました。

とうとう、ある日、お爺さんが言いました。

「これは、自分が来て、明日は刈り取ろう!」と言いました。

小鳥の、お母さんは、初めて子供たちに言いました。

「さあ!お引っ越しですよ!」

**************************

つまり、試験前日には、自分が、自分の足で、

受験場に行かないとなりません。、

兄貴も、兄弟も、親も、決して、あてにしてはいけないと、思いました。

受験とは、そういうものかもしれません。

*****************************

大学を卒業していないのに、、、父が逝った。

さ、、、大変!!!!!

*****************************

息子が受験に合格した時

卒業までの授業料を支払いますという、

「僕が日大を進めたのだから、卒業までは、僕が責任をとる!」

長男は、医師になって、ほやほやの身分にもかかわらず、

妹の大学卒業までの、生活費、雑費、一切を背負ってくれたのである。

後日、弟が千葉大の医学部に合格して、

母と兄がサポートして、

我が家の受験地獄に終止符を打ってくれたのでした。

父は、、、戦争と、子育てと、

受験地獄の親のストレスも、少なからずあったのでしょう。

患者さんに、かかりっきりの毎日でした。、、、が、

54歳で外科医としての生涯を終えました。

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受験なんて、、、無い方がいいと、、、今も私は思っています。

受験は、お金も、時間も、

まかり間違って、こだわると、

人間のプライドも、失わされる手品ですよね。

 

人間の値打ちなんて、、、どこに入れた、、、、ではなくて、、、

その人が、「何を目指し、何を夢として、ビジョンを持ち、」

目的を個々の学生が持ち、何をなしたか?

受験の時代に、惑わされるのは

エリート教育の残渣が舞い続けて、

画一化された価値観の知識戦争で、

人間の可能性を分類されたかのような錯覚に陥るのは、

騙されているようなものでしょう?

すぐに目覚めて、過去は振り返らず、

若すぎるのですから、、、

まだ、プライドなんて、無いのと一緒だと思い、

出会いのある運命に向かって、受験合格を目指すより、

自分の中のやりたいことに気が付いて、

世界中に、

出会いを求めて、グローバルに生きてゆける

広い門の受験システムになる日を祈っています。

何処に入学できたか?

目指せ!東大!

こんな受験の魔法にかかって、プライドを失ったと

勘違いするのだけは避けよう!

がんばれ受験生!

自分に気が付く狭き門に向かって頑張れ!

之は。

若き日の自分に、70歳を過ぎた私が話しかけている

自問自答の日記です。

 

 

 

天皇陛下とともに、日本の歴史は今日も「在る」

この不思議な、存在の一体感を「日本そのもの」としてきた祖父、父母、

そして、敗戦前に生まれた昭和の私たち。

小学校1年生の私は

学校から「フランキー堺」さんの主演する

「私は貝になりたい」という映画を観てその時は理解できなかった。

 

中学時代は「東京裁判について、君らはどう考えるか?」と

社会科の先生は、生徒に問題を投げかけた。

しかし、この問題は「受験には絶対に出ないだろう!」と

先生は言った。

難しすぎて、永遠の課題になりそうな問いかけだった。

戦争はなぜ起きたのか?

無知な国の無知そのものが罪だったのか?

多くの民族からなる「地続きのアメリカ、ヨーロッパ、EUの国」

「そして、未知なる方向性を持っているアフリカ」

受験の合否もさりながら、

日本の次世代の若者の課題は、地球規模ですね、

戦争のない人生を生きられますように、

本当の、、、勉強に向かって行ってください。

人工知能の及ばない「愛」に向かって、

皆の宝の地球の、エネルギー不滅のサイクルを保存する方向に

発展をメンタルな永遠の深淵に向けて、

PCに負けないで、仮想の発展に惑わされないで、

地球のみずみずしい、大自然の恵みを母として、

永遠の子供の心で居たいと思った、

私の受験時代への想いです。

 

 

 

 


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