今年も、「対馬の原種の椿の木」を
グラスウールの箱の鉢に植え替えて
玄関に入れました。
syokubutu
探索会で対馬の先生に、
資料として、
採取を
許可された椿の花の木です。
当時
、単身赴任して地方に赴任していった主人が
医者しかしないし、、、医者しか出来ない代わりに
人様の心臓の穴あき部分を縫って
真っ新な心臓と同じ循環を取り戻せるという
手術の人生にまっしぐらだったこともあり
子供を引き取って、札幌に残りました。
薬剤師として正職員の社員として
復帰する人生になりましたが
国家免許は、自分自身で責任をとらねばなりません。
主人は居ないし、、、
日大卒業の私には、守ってくれそうな先輩も見当たらなかった。
日大に進学したとき、
教授から言われたことを思い出した。
薬剤師に成ったら、
東大卒とか、、日大卒とは関係ないからね!
出来ないと、自分で責任を取る仕事だから
本人が、バリバリト、、、日大の施設を使って
勉強して、実力で生きていってください。
大学名を挙げれば、、、水戸黄門のように
「コノ大学の稲の穂が見えないか!!?」
三つ葉葵でなくても、、、東大のもんどころは有効な時代でした。
いいね、、学歴社会の特権を
金屏風に出来る大學は、、、
そんな、、けちな嫉妬は止めて
金屏風に恥じない学問に捧げる
本人も自覚しない
天の檻に入った彼らの
出来ない事を
我々は、、、自由にやることに目覚めよう!!
レベルさえ、、、
恥ずかしくないラインに到達すれば
新しい社会の、、、
臨床部門のリーダーになるかもしれないという
自由な発想が許されているんだからね!!!
日大は、玉石混合の、、、社会の縮図の様な
各方面への実力が、
プロ並みのキャラクターで
学ぶことの多い
社会の縮図の様な大学でした。
自動車の運転一つにしても
レーサーの免許を持っている人もいた。
ヨットにも精通していた。
水泳は、オリンピッククラスの選手が居た。
体育の授業は、、、知る人ぞ知る
あの体操の、、あん馬の
遠藤先生でしたよね!!!
運動、、どへたの私が
日大に入学したおかげで
体育の授業が
遠藤先生から、、、指導の機会が有った!!
これって、、、すごくない!!?
私にとっては
宝の持ち腐れの様な時間だったけれどね!!
m(^^m(--!!
日大には
感謝しているので、、、77歳の今でも
名簿には掲載されない
外野に近い卒業生ですが
後輩の応援の意味でも
同窓生会費は納めさせていただき
見知らぬ後輩の活躍が、掲載されている
「桜薬誌」を捲っては
世間でとやかく言われている問題が
大学にとったら、、、
生徒には関係ない部分で
卒業生にバッシングが来るのは
、、、残念です。
世間では名門と言われる大学も
数々合格しましたが
戦後、身分の差にこだわらないで
日本中から生徒が集まった
玉石混合の大學こそ
自主自立の、、、
自分私大≪自分次第≫の良い大学だと
私は自由奔放に
大学内を利用させてくれて、
免許を沢山取得させてくれた
「生きるための武器」を下さった日大は
感謝が先立ちますから、、、母校は
良い面を観て、
悪い面を観ないようにしています。
当時、日大の医学部に在学していた兄は
総合大学の良い面と
厳しい面と
掲示板を見ないと落第につながるシステムを
私に教えてくれました。
薬学部の私は、
ドイツ語と、物理化学は
医学部と同じ先生に習いました。
科学は「ユバ先生」
、、、通称生徒の間では「ユバちゃん」
物理学は諏訪部先生。
諏訪部先生は、授業中も
生徒の名前を憶えているらしく
私は、、、質問されて、居眠りが出来ませんでした。
入学時は、皆顔が解らないのでという事で
大學サイドの指名の幹事になり、
先生と生徒の間の雑事の便利屋をしているとき
諏訪部先生が、、、苦笑いしながらおっしゃられました。
「君の兄さんは、
研究者も顔負けの
優秀な物理学者だよ、、、
生徒だけれど、、、
「僕が書いた教科書,、、治されちゃったよ、、、ホントだよ。」
「兄貴はバカだから、、、そのような失礼なことをするんです。」
「ゴメンナサイ!」
ぺこんと頭を下げて、、急いで、先生を置き去りにして
逃げてしまったことがありました。
正しいことは正しいのかもしれないが、、、
兄貴のしたことは、、、学生の身分を越しているので
小さなことが気になっても
自己満足の為に、先生に物申すのは
卒業してからにしてほしいと思いました。
私たちの期からは、独身を通した女子学生は
社規貢献できた人が
今でも、、ネットに功績が出てくるから
日大というのは、、、実に、、玉石混合の大学でした。
日大の板橋病院に通っていた兄貴のことが
思い出されて、、、
病院全体の一部分の職員の事で
大学病院や、大学のイメージが
損なわれるような記事が
道新の3面記事に大きく出るたびに
大学の名前をでかでかと出さなくても
7万人?は居るかもしれない大学の
卒業生は、、、
130年間で、、、無茶苦茶多いと思いますよ。
オリンピックで金メダル獲得して
輝いている卒業生も居るし、、、
社会の縮図の様な大学の中で
起きてる事件は、、、大学の生徒には
ダメージを与えないような、、
報道の仕方は無い物なのでしょうかね???
報道も過ぎると、、、
未来の新芽を、、、摘んでしまう事にもなりますよ。
新芽の学生は
未来の日本を背負う年代の
大切な若者達ですよね!!
北海道は、大学数が少ないので
日大の底力は、、、北海道にとっても
必要な時代が来ていると思います。
大学の体質が、、、悪いのではなくて
大きな大学なので、、、いろいろな事も
社会の縮図として、、、怒りうるほど
大学の経済面は、日本の経済効果の一部になっているほど
大學は日本に貢献しているという事が
生徒数を考えただけでも
スゴイ経済効果だと、、、思いました。
学問することは、、人生の経験するたびに
利息が増えるように
大学教育を受けたものは
日本を背負ってゆきます。
国際的な、、、親善大使も顔負けの
コミュニケーションを果たした卒業生も居ます。
「日本」という名前を戴いている大学は
世界とのつながりも深いわけですから、、、
大学のイメージを下げるような連日の報道は
、日本に対して、、、イメージ的損害を
世界に吹聴するようになりますよね、、
貢献した人の方が多いのですから、、、
そろそろ、、日大のバッシングは
全体が悪いわけではないことも
道新さんは、、、書いてくださると
助かります。
、、
色々な事が有って。。。
拡大報道は、、、生徒に迷惑ですよね。
孫子は日大を選んではくれないという
寂しい婆ちゃんをつくるよね。
時期が悪いというか、、、、
私も、、孫子に、、日大を受けてみれば?、、、と
言い出せない、、、新聞デカデカノ
北海道新聞の3面記事は
考える余地なく、、、道内の総合大学を受験するのに
まっしぐらの、、、子供達、孫たちでした。
道内の住民としては、、、
此方の方が良かったのかもしれませんね。
私は、、、これで、、、本州に帰る葡つようも無くなりました。
北海道にしっかりと根をおろして
孫子の応援をしたいと思いました。
同窓生には「金メダルの同僚も結構います。」
北海道では、、「清水さん」のスピードスケートは
後々の女子選手のスピードスケートの
世界へのレベルに、、、清水さんの金メダルは
大いに啓蒙されているはずです。
この方だって日大生でした。
玉石混合の日大が
受験の時期に、、新聞でたたかれる事は
若い未来を背負う若者に
あの素晴しい、、
求める学生には
世界に進出できるシステムを備えている日大が
一部の
次元の違う部署の事柄で
「日大」の名前を
イメージダウンされるのは
卒業生として、、、
遺憾に思います。
我が家の家族は、、、北大卒
北海道の薬科の有る大学卒。
孫に至っては、、
一生懸命これから進路を見つける
北海道の総合大学に合格中!!
日大は、本州という、、
道産子の母親としては
外国の大学扱いで、、、
我ら道産子で
気鋭の高い孫子の前では
「母さん、、、今更勉強しても
北海道で要求されるのは
臨床力だからね!!
研究で必要とされるのなら
北大卒業して、
東大あたりか、、阪大あたりか、、、
ハタマタ、、オックスホードだとか
アメリカはボストン!!
ハーバード研究員していたとかで
北大の助教授、、、教授、、、という
北大に呼び戻された立場でないと
母さんの様な、、、
「勉強スキ人間」に
出番は
母校に尽くすことで、
母校の助手あたりになって
独身んで、、、
僕たちとも
会えていない人生だったかもしれないんだよね。
日大は地元の 同僚が居ないだけに
地元大学の集団の情報ネットの進化には
孤立してしまうと思うよ。
有るラインを超えて
優秀な、実績の、社旗的な業績が有れば
北海道に招かれるとは思うけどね、、、!
雑役の番しか、、、出番はないんだから、、、
77歳にもなって、、、ネットを辞書代わりに
オタク張ってるの、、、僕はもったいないよね!!
もっと楽しいこと、、、一杯あるでしょう!!
母さんは、、、「まだ文も見ず、、、天橋立、、」だろう??
叔父さんが引き上げてきたシベリア抑留兵の到着した
若狭湾位は観ておけばいいのに、、、
そして、、、戦没者の、、
食べる物さえなかった日本を
守るのは、、、「お勉強ではなかっただろう?」
子育て、、、育児、、、雑用、、、こそ
女性の偉業だから、、、
勉強している暇が有ったら、、、旅行すれば?
孫子は、、、正しい、、、
でもね、、、これからの孫子の事を思うと
迷惑かけたくないから、、、
余分なお金は使えないと、、、思うのが本音です。
ありがとう、、でもね、、、
老後に備えておかないと、、、
勤務していた時の年金が少なくて
施設にも入れそうもないよ。
孫子に、金銭的迷惑をかけるのには、、、、
戦後の復活期の良心は仕方ないが
平成の世に、、
そして令和世に
コロナの威力を観てしまった今は
ネットを図書館代わりに
学問に、、、U-ターンして
コロナから家族を守るのは
歳をとった77歳の、、、危険ゾーンの年齢の
自分自身の、、、感染防御の為の
スキルが、、、生き残りだと思うから
信頼できるサイトには
こまめにクリックして、、、
勉強を続けます、、、ネ。
肉屋にさそうと,、、石焼ビビンバとるし、、、
ボーリングにさそうと、、、ガーターばっかり、、
寿司屋にさそうと、、、、
あぶりサーモンばっかり、、食べてるし、、
孫の空手の試合に誘っても
2度目の誘いには
「ドンナモノなのか解ったから、、家で応援するよ。」というし。
「
あの日から40年は過ぎました。
過保護と行ってしまえば それまでですが
40年ぶりに、去年、、、初めて
蕾の開花寸前まで行きました。
これは、、
寒冷地に順応しているはずの
「カメリア ヤポ二カ」の種類と違って
「対馬」で
学会で許可されて採集したモノだけに
南国育ち、、、というイメージが抜けなかった。
雪は平気な椿属であり
青森県の夏泊まり半島だっけ?
平内町だっけ???
一万株以上の、、、椿山が存在して
天然記念物になっているというのに
私的には、、、札幌は、椿の北限を越しているのではと
枯らしたくない一心で、
11月には、いつも室内にとりこんだのだった!!。
40年近く立って、、、
今年、、、初めて「蕾を持った椿であった!」
でも、全開の椿は観ることが出来ませんでした。
つぼみのまま、、、落下してしまった。
実践に強い北大植物園のY助手の先生が
素人のおじいさんが
学者が、栽培できなかった「ゲンチアナ」を
北海道に寝ずかせて、、、今は象銅になっているよ、、、と
教えてくれた。
「ゲンチアナの生まれ故郷と同じ温度で管理させて
ゲンチアナの植物に、
ここは故郷だと、、、勘違いさせて
北海道で根付かせたんだよ!!」
薬剤師として、子育ての後の再就職にあたって
免疫学や、薬物動態学、、、大好きだった生薬学と漢方学の
頭脳刃の錆びを落とそうと
北大の聴講生に入った。
しかし、、、この実務のプロの助手さんに出会ってからは
すっかり、、、世界を変えてきた薬用植物に目覚めてしまったのだった。
学生課には、ある期間登録されるので
学生証を入場許可として使える「国際学会」はじめ
学会という学会には、、、さび落としのつもりで参加した。
当時、生薬学会の会長先生だった滝戸先生の主催のフィールドなどには
北海道薬剤師会員として参加させていただいた。
東京大学に新卒時代勤務していた関係上
リーダーのスタッフから
直接、札幌の自宅に参加権が送られてきて
薬学再履修の機会を戴けた。
「学問は、、、足下に有る!!」
私を卒業と同時に
東京大学の医学部の薬理学教室に就職を仲介してくださった
薬物教室の教授が、、、
私の顔を見ると
「学問は足下にある!!。女性は、どんな環境でも
与えられた部署で、、、学問を生涯続けなさい!」
教授からは、、、
東京大学で2~3年実験助手をしてから
日大に帰ってきなさい、、、と指導された。
私立大学では、、、スポンサーのあしなが叔父さんか。。
父親のように、、、
想定外のおこずかいをくれる人を失った私には
先の事を考える暇はなかった。
兄貴が2年もかかって浪人しても入れなかった東大を
内側から観て、
学歴社会には、何を大切にしている先生が
生き残ってゆくのかを
内側から体感できる機会かもしれない
と思っただけだったように思える。
ボーとしているように、、思えたのかもしれないが
19歳で父の早逝で、、、
金銭的スポンサーを失った私にとって
アルバイトで忙しくって、、、
授業中は居眠りしていることが多かった。
家庭教師3件、
大使館主催の神社の説明員のアルバイト
西銀座ドラックの夜間販売員
アメリカンファ―マシイの売り子
自身の
日常英会話を磨くための
一挙両得の、、、
バイトに明け暮れていた。
大使館主催の、ホンジュラスの外人に向けた日本文化の紹介に
皇居の周り、、
神社仏閣の案内を担当したときには、、
泡を喰った!!!!
英語が、、、全く、、、通じないのだ。
スペイン語なのだ!、、、
どうしよう‼?、、、どうしよう!、?
こうなったら、身振り手振りでやるしかない、、、
ストラグルしているうちに、、、
ホンジュラスの大使館員は、、、私を困らせるのは
可哀想に、、、同情してくださったのか、、、
「英語で話し始めたのだった!!」
何だ~~~!初めから英語で話してくれれば良いのに!!
それからは、生き返った私でした。
ホンジュラスの大使館員からは
「灰皿」という、、スペイン語を教わりました。
アシュトレイ、、、つまり、、アッシュ、、灰、、、トレイ,、お皿
灰皿は、、日本語と同じ発想でした。
ホンジュラスという国は
この日以来、、、私は、、
日本人と共通な感性が有ることを知りました。
こうして、、、主人の単身赴任の間には
学生時代の知人や先生を頼って
薬剤師として、復帰してゆきました。
イギリス、フランス、医薬歴史学会見学親睦学会の
東大の先生の、、、
かばん持ちメンバーの一人として
その他大勢の、、椅子を温めながら
向こう様からは、、
教授同行スタッフとして
モアッサンのノーベル賞の額縁の有る研究所まで
見学させていただきました。
フランスでは、、
日大の生薬学のPFでいらした
有吉先生の博士論文研究をされたという
パスツール研究所の研究室から
御婦人の豪華な画廊の様な個室までも
見学させていただき、、
世界に著名な業績を残された
「ツル首のフラスコ」で有名な
実験器具の展示場まで案内されて、、
、思ったことは
偉大な研究の後ろには
とてつもない、、お金持ちの、、、
ご婦人がいらっしゃったという事を学んのでした。
日本は
研究者にとって、、
パスツールの奥さんの役割を果たせる、、
スポンサーが居ないという事を
今回の、、自国のワクチン開発が遅れていた事と
関連付けて考えるのは、、、
短絡した婆ちゃんの発想だろうか?
77歳になって、、、
回転が悪くなった頭脳の婆ちゃんが
個人的に思う事なのだろうか?
研究者にとって、、、研究資金が確保できないのは
優秀な脳とやる気の、、、
持ち腐れになってしまうかもしれないね。
学者で成功するなら、、、奥さん選びが大切かも???な~~んてさ!
イ~ジイナ短絡でした!m(--)m
学者さんの中でも、、、ノーベル賞を御取りになった先生は
小野薬品に、、研究の費用の必要性を説得できたようですが、、
経済観念で出来ている日本の企業には
研究の、、、
あたるも八卦、、、あたらぬも八卦、、、の
不確定要素の多い、、、
理解不能の次元の必要性を説かれても
裁判という、、、
専門家が入って
戦うというと事なのでしょうかね???
お茶の間の婆ちゃんには
次元が高すぎて、、、
理解の根っこにも、、行けませんが、、
裁判にならないうちに
世界的な賞で認められて、
日本に光を導いた人には
資金的に、、、政治家の
文章代金を献金すれば
世界への格調高い文章以上の
人類に役立つ論文メッセージとなって
お返事は、、、海の向こうから
例えば、、、
アメリカの方から、、、必要だと、
寄ってきてくれるのとちがうのかな~~??
今回の国会の、、
岸田内閣のスタッフの
優秀な頭脳の集団を
新聞で観ていると。。。
○○党の為に、、、○○党の力を蓄える為の発言を、、、
演説しているのを聴くにつけ、、、
野党は、もっとヴィジョンを持ってほしいと思いながら
日本の平和と世界との協調のレベル意地の為に
頭脳の使い方が、
目的の為に、捧げてほしいと思ったりしている。
今から、国内の、、
我が党の為にだけ、、考えを集中すると
かって野党が政権を獲ったとき
医療関係者への、
半可通な政権を強制的に駆使してきて
理解してもらうのは面倒なので
皆されるがままに
迷惑を、受けながらも
早期がんの発見によって
癌と仕事の共存までこれた50年の総まとめをする前に
独立法人となったり
また元に戻ったり、、、
政治の政権の交代のクレパスで
半可通な野党の女性議員に
大幅な研究費を削除されたり
本人は従順に、、、
人生はいろいろだよ、、、だよ、、、と
どんな苦境にも、、子供の時から文句を言わず
その時に応じてベストを尽くす、、、尽くしてきた
団塊の世代の、、、弟たちの仕事場に
政権交代のクレパスが、、、多くの医師たちの
日常を飲み込んだ事件は忘れられません。
黙って、、、時の政権のいうように従ってゆく官僚。
弐度と、、、半可通な、自分の党の繁栄だけを目的とする
政権交代だけは、、、野党の政治家には理解してもらえない
人生の、、、最後に計画していた集大成が
奪われると追う、、、
外側には見えない、、、魂の損失が有るという事を
残念に思い出す。
野党も優秀な人はいることを感じますが
成功の為に、、、ビジョンをまげて
主義主張を、、、破壊的な方向へと行く
票の為には貧相にならない考えで
与党のサイドブレーキとなって
日本の安全運転になる野党になってほしい。
重箱の隅をつついて、、、
野党のアピールの為と
与党の攻撃の質問で
お茶の間国会劇場を
詰らなくしてしまわないでほしいと思いました。
政治音痴の婆ちゃんは
国会劇場のやりとりを
本気で聴いているのですからね、、、。
がんセンターの50周年記念を目前に
研究の総まとめの前に
がんセンターの病院長らは止めてしまわれましたよね。
私は、、患者だったから、、、
知ってる先生が居なくなって、、、
本当に心細かったのですよね。
半可通な未熟な科学力や知識では困る時代となりました。
間に合わない、、、飛行物体の集団が
ミッドウエイの海戦の時のように
日本のレーダーが届かない
雲の上、、、当時としてはありえない、、、
一万メートルの空の上に潜む軍団が
難攻不落と言われた、、、赤城などを、、
全て、、、沈没に導いてしまているのを
孫の歴史教科書参考書で観るときに、
力のある政治家、、
、グレイゾーンは、、
対外的に必要な時
日本の隠し玉の力として、
日本を戦火から守る為の
ミッドウエーのグレイな雲の上に潜む軍団は
日本の政治家の底力で逢ってほしいと思いました。
軍隊が、先導した第一次世界大戦や
第二次世界大戦には
闘う事しか無い歴史を振り返らせます。
その究極は、、、
世界でも、、日本だけという
2発も、、、原子爆弾の落ちる
人類破壊
地球汚染
命あるものの元素化、、という
瑞瑞しい生命学理論に
岩石や、元素や、、未知の太陽系以外の物体まで
「命」として
認識することで,、科学力の
間違った使い方を
正当化する方向に、
学問そのものが進んでゆく。
大自然という、、
、量子力学も、、、子供魂だと笑う
スピンの話をする相手も居ない時代だった。
大自然の不思議の前に、、、
地球はどんどん汚されて行き、、、
オレオレ万歳の、、、
ゴリラの集団の様な
胸,、ドン、ドン、ドン,、ウヲ―、、
獣の様な。。。縄張り争いの戦争で
地球温暖化は、、、自然も崩す
自然と共存共栄している、、島国も
海底に向かって、沈めてしまう、、温暖化!!
戦争や、、ミサイルや、、爆弾を辞めて、、、
中国は雄大な、、、
眠れる獅子に戻ってくれれば
野性の様な地球のジャングルは
エデンの園に帰れるかもしれません。
近代化して人工的になってゆく中国は
天然の雄大な、、、イメージの中の大富豪から
昔、、、中国の中心都市に
チベットの方の
宗教の人が訪問できる建物を
つくられた工程がいらっしゃったと思います。
素晴らしい歴史だと、、、若き日に、、、
そこに行ってみたことがありありました。
自分で働いた給料は、、、社会に最終発の為にと
見聞旅行に使ってしまいました。
今、、それが有れば、、、
ケア付き、、、食事つき、、、快適老人施設で
本ばかり読んでいるかもしれませんでしたね。
輝く虫さん、、、空を飛べる、、虫さん、、、いいね~~~
1990年時代に
北京、薬王山登山、、万里の長城歩行、、
杭州は、万葉時代の日本に出逢った。
西湖では、、かの有名な「西施」だったかしら???
美貌が故に一刻を救った美女を
王妃が、迎えに行った西湖で
傾国の美女が我が国に帰国すれば
王様も、心奪われて、、、我が国は滅ぶ、、、
そう思ったどうかは知りませんが
西湖の上で、、、この美人を、、、
亡き者にしてしまうという、、ショックな歴史の現場に
船で行きました。
写真をかなり撮影したのですが、、、
自分も入って、、、シャッターを押してもらったのですが
私の体は透明な、、、まるで、カメラの二重写しのように
ダブルに映った者ばかりで
光の邪魔が入りすぎて、、、
このあたりの水面と、コメンの温度が
遠くからの、、写真撮影の、、、妨害の
宇宙線でも受けている様な、、、
気味の悪い、、画面の羅列でした。
捨てました、、、フイルムごと、、、
ペトリのカメラごと、、、
そして、、、西安に行き
兵馬傭??こんな字だったかな???
巨大な発掘現場を見学しました。
ソビエットの払い下げ機の
セスナの飛行機は
機内のビスが、、、アチこっち浮いて、、
倒した椅子の背もたれは
壊れていた。
「成都に着くまで、、、落ちないでください!!」
祈る気持ちで、、、低空飛行の中国の大地を
思いっきり楽しむことが出来ました。
1990年になる前後だったと思います。
今は、、2021年、、、
中国の当時の姿は有りません。
成都で、、三国志のジオラマや、、、
杭州で。。三蔵法師の足跡に向かって、、
アチコチにバスで走りながら
黄土という世界に足を踏み入れて
成都に到達して、
1000件はあっただろうか???
生薬市場で、、、ラマ教の和尚さんの首にかかっていた
山サンゴが、、、薬草として売られていたのにびっくりしました。
チベット高原は、、、海の底だったんだ!!!
構想ビルは一つも無く、、、
40は越しているだろうという
色々な民族が創る原始的なアーケードには
犬のペニスを
簾にして干したものが売られていて
成都の村々にも、、、犬が歩いていなかった。
ここでの蛋白源は、、犬なのだと、、、
ホテルの肉料理が、、食べられないで、、、
カロリーメイトばかり、、、
食べていた事を覆いだしました。
トイレのあるうちが少なくて
私たちは、杭州で買った大きなスカーフで
畑の周りの竹で、、個室をつくり
御用を済ませるという
ありえない、、、旅行をしました。
道には茣蓙も若かずに、、、トウモロ菓子を干してあり、、
夜のトウモロコシの入ったお椀を
ソート、無菌がーぜの切れ端で越して
飲んだのも、、、
失礼な事をしてしまったと、、、反省しています。
現地の人は「免疫」が有っても、、、
私は「免疫」がないから、、という
正当防衛なのですが、、、
科学の届いていないこの村の人には
観られると誤解されるので
膝の上のハンカチの下で
ろ過して、、、食べました。
貴重なろ過物は
夜部屋に帰ってから、、、持ち替えるもの
捨てる者に分けました。
貴重な生薬が入っていたのには驚きました。
「竜眼肉」という木の実も
そのまま椀物に入っていたのですよね。
貴重な勉強をさせてもらいました。
そこの村の役場に立ち寄って、、
素朴な現地の薬用本を手に入れて帰ってきました。
後日、、持ち帰って来た数キロの書物を
年表にして
引率の先生方に、、資料として
何かのお役に立つのではないかと
お送りさせてもらいました。
国を知ることが、、、楽しかった、、旅を御観だしながら、、
聴講生という身分では
東洋医学会という、、、当時は臨床家の学会だった会で
パネルにして、、一部報告はしましたが
文章にすることはしませんでした。
文章化するためには
どこかの大学の研究室に所属して
指導者の援助のもとに
みんなの名前で報告しなければならないという
学会の社会の「当たり前」が
主婦の私には
ベルリンの壁よりも、、高く立ちはだかっていて
下手なアピールを個人的にすると
引率の先生に、、、ご迷惑がかかってしまうという
学会の世界では、、、婆ちゃんは、、当時は
報告したいことも、、越せないような
個人だったという事です。
引率の教授が
私がサポートを出来ると思いますので
せっかくの資料を「論文」にしなさいと
論文の書き方の、規則や、方法の指導書類を送って下さり
必要ならば、一緒に仕事をしますか?と
指導者的立場を獲ってくださったのですが、、、
主婦の哀しさでした。
チベットの、、小高い芝の上で
「私は、、、此処で生まれた~~~!」と
叫んで帰ってきました。
何を描いたのかわからなくなりました。
後で、、推敲して、、、きちんと整理しますね。
中国4大中医学院親睦学会
冬にも強い椿を、
毎年、室内に入れて
ふゆごえを 寒さしらずに大きくなった。
そのせいなのか??
明日は、、この続きを、、考えてみます。
おやすみなさい、、、、