花鳥風月

生かされて行くもの達の美しさを見つめて,
ありのままの心で生きている日々の、
ふとした驚き、感動、希望、

4月です、

2013-04-01 01:42:14 | Weblog


桜の花は、、、まだ、間に合いますか?

東京の桜を観たいと思いながらも、大雪の後始末に追われて

飛んで行けないもどかしさの中で、


31日で、国立がんセンターを
定年になった弟に、数年前、

腫瘍を診断してもらい、お世話になったのに

「お疲れ様会」もままならないまま、

存在だけで、頼もしかった弟に、
感謝の花束も届けないうちに、4月になった。

振り返れば、50年前、


弟が、まだ、聞きなれない「CT」の開発に従事して

日夜、東芝の社員の方や、多くのジャンルのリーダーの方々と

がんセンターに泊り込んで、日夜開発活動と取っ組んでいた

日本には「CT]って何?と問いかける人が大半だったと記憶している。

くじけそうな時、戦艦三笠を見にいって、万感の思いで、
頑張ったことも記憶している。

当時は、CTという言葉さえ知らない人が多くて、
画像を改良してゆくためにも、
患者さんに、説明する根気が言ったそうでした。

MRI,ラセンCT, ペット、、、と、
今では検診やドッグでおなじみの機械も

開発のプロセスを、見つめていた若い世代は、

いち早く、「放射線医学」に興味を示した者も居た。


私の父は、「外科医」
配偶者も 「外科医」
兄は   「内科医」

従姉妹も、甥っ子も「内科医」ですが、

新しい世代にあたる、

息子は「放射線医学」を専攻しました。


多分、、、叔父さんの
ダイナミックな
おおらかな人柄に
幼かった息子の心には、

忘れられない、印象を残して言ったのでしょう。


息子にとっては、叔父さんにあたる「私の弟家族」と
幼い頃、公園で遊んだり

叔父さんが学会で札幌にやってきたとき、
お友達の放射線科の先生らと

早朝、水源地あたりを「サイクリング」して

すっかり、おじさんたちを大好きになりました。

その後も、アメリカ学会や、
ハーバードや

メイヨークリニックなど、グローバルに行動するおじさんを
すっかり、尊敬して

とうとう、息子は「放射線科の専門医になりました。」

、私の腹の中に、
音も無くっていた14センチ×15センチの
パンクしそうな腫瘍!

自覚症状は、、、無かった!
ありえない、私自身の
とんでもない不思議な体験であった。

初めて「医師」としての弟の顔と初対面した。

「卵巣腫瘍を画像診断」して

その場のテーブルから、「明日中に手術」をするようにと

手稲渓仁会病院の婦人科に
手配をするようにと

当時、副院長だった夫に電話を入れてくれました。

その結果、とんぼ返りで、画像を持参して、

婦人科でも画像を撮り、
真剣な婦人科の線の目に、再度促され

オペ室運ばれたのでした。

画像によって、病理も予告されていたように、
寸ぷん違わない「蜂の巣」のように
仕切りのある、ダチョウの卵のように
腹水に浮いていたのでした。

その診断の正確さは、科学と医学の輝きでした。

弟の、画像診断には、心から尊敬するものがあります。

昭和30年前後、レントゲンのエックス線で
父の手は潰瘍で、ただれていました。
外科医の父は、激務のため54歳で亡くなりました。
弟は、国立一本の受験で、
がんセンターには無給で研修した
貧乏な時代を、不屈の精神で耐えていました。

そのときの、一途な弟を思うと
一度は、検診してもらっておこうという
軽い気持ちでした。

やがて、良性腫瘍だったため命拾いした私は、
あれから7年以上経過しました。

忙しすぎる弟には、彼の時間を、

多くの患者さんに捧げて欲しいと思いながら、

開発から担当してきた彼の人生の中で

姉、弟、としてではなく

医師としての
「眼光鋭い画像診断をするドクター」として出会えた記憶は

今では、ラッキーだったと思っています。

息子が、叔父さんにあこがれて

画像診断の道に、まっしぐらに行ったのが
わかるような気がしました。

画像診断は、魔法のように、一ミリの境界線まで
性格に、言い当てました。

息子の言葉をそのまま言うなら、

「おじさんは、、、この世界では神様のいきの先生だよ!」

母さんは、自分の弟だから、
普通に口利いているけど、、、
僕なんか、医学部の時代は
叔父さんの書いた本が教科書だったからね、
雲の上の先生だよ!


がんセンターのホームページを
しばしば、拝見するようになりました。

当時厚生病院に勤めていた薬剤師の息子も、

国立がんせんたーの薬剤部に
同僚と、研修に行ったことがありました。

がん認定薬剤師を目指して、
頑張っているのですが、

転勤の多い病院なので、
なかなか、思うようにはゆかないようです。

認定薬剤師、専門薬剤師を目指しながら、

先生方のチーム医療に加わり
社会に貢献できたらと
希望を膨らまして、
生きがいにしているようです。


今では、まだ、報酬面までは反映されてないのが現状ですが、

こうした、特殊な分野は

私のように、本人が命拾いした経験がある場合や。

放射線の専門医になっている息子の目には

神様の域の眼力を持った弟が、

「日本の宝物の能力と思えるのです。」

姉として、

同じ親から生まれてきたとは思えないほど
弟は、社会への貢献度が素晴らしいので、

時々、、、、自分が、あほっぽく見えるのです。

雪ばかり、、、掻いてて、、、之でいいのかな??????

ありがとう、、、君たちが居てくれたおかげで、

とても、、、心がリッチな人生を送っています。

定年後も、もっとも医師らしい医師として
その存在は、元気をくれます。

弟の、素晴らしい能力は、
年をとらない、輝きの中で、

多くの人々の、健康を支えてゆくと信じています。

がんセンター50年史は、、、
弟自身だと、痛感しています。

そして、4月からは、

政治の介入で、がんセンターは
変わってゆくのでしょうね?きっと?

いつも、元気をくれてありがとう。
ありがとう、、、お疲れ様でした。

落ち着いたら、、、どこか、、、
海の煮えるレストランで
、、、皆で、、、会食したいね、、、

今は、、、そーと、、、体も心も休めてください。

さくら、、、さくら、、、弥生の空に


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