花鳥風月

生かされて行くもの達の美しさを見つめて,
ありのままの心で生きている日々の、
ふとした驚き、感動、希望、

政治家の支持率

2020-12-17 20:33:36 | Weblog

菅首相が就任してから間もないのに

マスコミや新聞が、、、支持率がどうとかこうとか、、、

私は自分でいうのもおかしいですが、、、政治音痴です

    念のため!

これは76才になった婆ちゃんの私見ですが

東北で、苦労して、お育ちになって、苦労して頂点に立たれた人を

短期間で、指示したり、支持率がどうのこうのと言うのは

どうも、、、的外れのように思えます。

coronaの正体が,はっきりと、明快に解らないまま、、、

じわじわと、、、感染者が増えてゆくとき

go to travel   が原因かどうか

追究する野党の政治家は

収束に向かう発言をすべきだと思うのですよね。

    感染症のパンデミックは、、、戦争と同じように、、、

   又、、、バッタの大量来襲と、、、どこか重なる、、、

地球の戦争だと、、、私は感じるのです。コロナの勝手でしょうと、、、バカリニ...ね。

竜巻や、突然の津波、、、巨大規模の地震、、、大規模の森林火災、、、、

島の隆起や沈没も、、、

政治家のバランス感覚の

        はるか彼方の

         宇宙バランスに近いと思いませんか

coronaの動きが、カラスの勝手でしょうと、、、志村さんが身をもって

      国民に教えてくださったと思うと

         笑いの時間を取り戻すのは

              政治家の派閥争いは

               今は、、、国難の最中だから、、、

                 雑音を入れないで、結束して

            医療崩壊の、、、ホントの怖さを未然に防ぐべきでしょう。

  どこで?コロナに感染するかは、、、天運の良しあしかもしれません。

 

             

解っていることで、実行した方が良いことを、素早くやるのが、

森林火災の、伐採して、燃える物の無いゾーンを、

期間的に

   潜伏期間以上

          つくることが、、、、その地域でのコロナの鎮圧になるかもね!

素早く、go to travel

                   延期したことは、機敏だと思いました。

             人と人の移動は、、、飛行機の中の空気ごと運びますよね。

 一人一人、、、熱を測った☜、、、PCR検査した、、、消毒した、、、

一本一本の木が木に日をうつして森林火災を起こす確率よりも

熱風の空気の中の火の粉、、、つまり、、、空気の中のcoronaのリレーを

何処で、伐採空洞空間で、仕切れる日の粉なのか?

go-to travelを再開するなら、搭乗手前、離陸までに、

coronaの要る空気を運ばないという事でしょうかね???

病院の廊下みたいに、殺菌灯照射で、coronaは感染能力を失ってくれますかね?

強烈な風で、異動人間の周りの空気を交換させる風のゾーンをつくりますかね?

空港の天井に、焼肉屋さんの天井にある換気扇を付けますかね、、、?

、、、やっぱり、、、異動しないという、

空気を動かさない期間で、山林火事の、、、

燃えないドーンを作ることでしょうね。

 

 

菅首相の提案のgo to travel の政策そのものと言うより

人の移動は、空気ごと移動してしまったように、

旅行先で、、、濃密な時間が有ったり、、、

移動の仕方が、

ウイルス対策になっていなかったと考えた方が

これからの対策に、大切な実験データのように

役立つヒントが満載ではないでしょうか?

    

 

オリンピックが実行されるなら、、、入国する一人一人と、

空気を完全なウイルス除去空間を通して、通路に戻すとか、、、

今回の、go to traverl で実証されたデーターと、舟の中のデーターと

旭川の病院のデーターは

corona対策の貴重な対策データーとして、   きっと、、、

ITに分析させたら、、、、データーに見落としさえなければ

オリンピックの、世界の空気が運び込まれる、、、荷物の中

衣服の間の空気、トランクそのもの、、、corona満載の1週間の空気をどうするか?

そんなことを考えながら、、、一坪しかない玄関に、

時間ごとにアルコール入りの滅菌剤をスプレーして、

外出帰りのコートは、玄関の帽子掛けにかけたまま

部屋には、持ち込まないようにしています。

換気扇は回しぱなしですが、、、運が悪いと

私は、、、明日がわかりません。

医療崩壊だけは何とか避けないと、、、

納得のいかない救急車のたらい回しが始まってしまいます。

私は、、、心配で、、、眠れません。

            

無くなった市原悦子さんの、、、とぼけた童話が

真夜中に放送されていますので、、、TVを診ていました。

ブラックユーモアを受け止める、、、心の余裕が無くて

この童話って、、、現実 ̄~かもしれない、、、

政治家さんのせっかく持ってきた大木が、

御爺さんとお婆さんの藁小屋に立てかけると、、、小屋ごと潰れて、、、

  御爺さんも、お婆さんも、、、死んでしまいましたとさ、、、

大木は要らんじゃったのよね、、、、萱でよかったんじゃよね、、、

歳よりは、、、シャープな政策で、、、恩恵を受ける力、、、なかとよ!

スマホだけになったり、国民番号だけになったら、、、

身近に詐欺が横行して、、、何もかも、、、なくすという

スマホ音痴が,、、いっぱいいると思うでよ。

    

眠れん童話の、、、あの世のとぼけた市原さん、、、

歳よりは、、、魚じゃよ、、、生きてきた、、、自分の海の体臭で

だしをとって、、、みそ汁作って、、、

若い女性に、、、化けとるのかもしれんよね、、、

年寄りばかりの長寿社会って、、、炬わかね~~~

眠くなったから、、、寝るわ!

 

菅首相が、苦労人でいらっしゃっても、、、

coronaの気持はコロナの勝手でしょうから

go to travel、、の  人の移動が、良くない結果に出たという

データーを今後に生かすことを考えればいいのではないですか?

国難で、政治家の野党も与党も一丸となって、

止む負えない移動の時の、移動の時の注意点や

母の住処だったここは

感染しない移動の仕方、、、迎え方、、、話し方、、、行動の仕方

移動手段 移動中の注意点

全てが、未熟だと、、、go to travelのせいにしてしまえば

確かに、、、支持率がどうとか、、、こうとか、、、

マスコミがTVの話題にすると経済効果があるのでしょうかね?

これは、私たちも、緊張が続いていますが

なにかのせいにするよりも、、、

異動がコロナの感染を増やすことが解っているのだから

今後それをデーターにして、coronaに感染しない方法の研究をすればいいでしょう!

とりあえず、、、こんなに感染が増えちゃったのですから

12月後半から、壱月中は、

各人が「3蜜を避けて」「go to travel 」の移動は中止して

coronaの収束に向けるべきでしょうね。

山火事の時に、燃え広がらないように、、、野焼きしておけば

火が移らないということでしょね。

止むない時は、火が周りに映らない為にも、宏大な面積を

   伐採と、焼きはらいをしながら

 子ども達の生きる次の時代に伝える仕組み。

  

TV放送も、今回の事を通して、

経済優先に営業する夜の集会も

長い目で見て、生きがいのある目的に向かって

新規開店のつもりの対策の空間を作るプロになってほしいものですね。

国難でも有る  コロナのしゅうげきを防ぐことを、、、考えませんか?        

眠くなってきました。とりあえず寝ます  ZZZZZZZZ

      


政治家の支持率

2020-12-17 20:33:36 | Weblog

菅首相が就任してから間もないのに

マスコミや新聞が、、、支持率がどうとかこうとか、、、

私は自分でいうのもおかしいですが、、、政治音痴です

    念のため!

これは76才になった婆ちゃんの私見ですが

東北で、苦労して、お育ちになって、苦労して頂点に立たれた人を

短期間で、指示したり、支持率がどうのこうのと言うのは

どうも、、、的外れのように思えます。

coronaの正体が,はっきりと、明快に解らないまま、、、

じわじわと、、、感染者が増えてゆくとき

go to travel   が原因かどうか

追究する野党の政治家は

収束に向かう発言をすべきだと思うのですよね。

    感染症のパンデミックは、、、戦争と同じように、、、

   又、、、バッタの大量来襲と、、、どこか重なる、、、

地球の戦争だと、、、私は感じるのです。コロナの勝手でしょうと、、、バカリニね。

竜巻や、突然の津波、、、巨大規模の地震、、、大規模の森林火災、、、、

島の隆起や沈没も、、、政治家の精だは無いと思うのですよね。

菅首相が、苦労人でいらっしゃっても、、、

coronaの気持はコロナの勝手でしょうから

go to travel、、の  人の移動が、良くない結果に出たという

データーを今後に生かすことを考えればいいのではないですか?

国難で、政治家の野党も与党も一丸となって、

止む負えない移動の時の、移動の時の注意点や

母の住処だったここは

感染しない移動の仕方、、、迎え方、、、話し方、、、行動の仕方

移動手段 移動中の注意点

全てが、未熟だと、、、go to travelのせいにしてしまえば

確かに、、、支持率がどうとか、、、こうとか、、、

マスコミがTVの話題にすると経済効果があるのでしょうかね?

これは、私たちも、緊張が続いていますが

なにかのせいにするよりも、、、

異動がコロナの感染を増やすことが解っているのだから

今後それをデーターにして、coronaに感染しない方法の研究をすればいいでしょう!

とりあえず、、、こんなに感染が増えちゃったのですから

12月後半から、壱月中は、

各人が「3蜜を避けて」「go to travel 」の移動は中止して

coronaの収束に向けるべきでしょうね。

山火事の時に、燃え広がらないように、、、野焼きしておけば

火が移らないということでしょね。

止むない時は、火が周りに映らない為にも、宏大な面積を

   伐採と、焼きはらいをしながら

 子ども達の生きる次の時代に伝える仕組み。

  

TV放送ん生きがいのある目的に向かって

国難でも有る  コロナのしゅうげきを防ぐことを、、、かんがえませんか?        

眠くなってきました。とりあえず寝ます  ZZZZZZZZ


2020年のクリスマスと正月

2020-12-17 02:36:19 | Weblog

今年の12月のTVは赤穂浪士も視なかった、、、

本日は「シンドラーのリスト」という、、、人間coronaのようなTVをみた。

相手は誰でも構わない、、、coronaは人を選ばない、、、

若い時も、観た映画ですが、ウイルスにとったら、無差別に人をしに追いやる。

感染症の歴史を振り返ると

第一次世界大戦も、感染症で、若者が命を落とすという「戦場」が

人間以外の敵の存在との戦争と解ったとき

第一次世界大戦でさえ、、、終わらしている。

今年のクリスマスも、正月も、、、、日本の健康な生き残りのためにも

若者たちの「三密」が、、、我慢できるかどうかに、、、かかっている。

           

 

かって、、、エーズが地球を走る速さに驚いた歴史がある。

人間の、森羅万象、、、生物として、

神の力で操られている青春の人恋しさは

クリスマスや、正月に、集中してしまう、、、

社会の組織の大河の流れがある。

ありのままの感情でさえ、、クリスマスも、正月も、愛する者同士呼び合う。

go to travel   は、その感情に、勢いをつけるところだった。

中止の期間を設けたことは、菅首相の「機敏な判断」だと思った。

      

父がどんなに地域に貢献していようとも

医師の力では患者さんの命は救えないと、、、、父はよく言っていた。

 

           

医師は、「患者さんが持っている患者さん自身の病気と闘う力」に寄り添って

根気よく、ベストの状態を保つ役割をしているだけなんだよ、、、」と、言っていた。

医療崩壊が起きてしまうと、患者さんが病と闘う力が十分に働けるように

寄り添って、状態をベストに保ってくれる病院が機能しなくなる。

 

正月までと、、、正月過ぎての「3蜜」を、

修行だと思うくらいの緊張感で、

実行して、各人、、、若者が、

自己の内なるの欲望をコントロールできた時には、

春がやってくると思っている。

 

おせちも頼まないで、素朴な、台所で、

北海道産の食材で、作って喰ってみよう、、、と決心した。

10年以上も、正月に帰ってきていない、、、独立した次男

46歳、、、独身、、、結婚の意思はなさそうだ。

            

親としては、、、正月の帰省とか、結婚することを望んでも、

医師と言う仕事は、生涯通して、時間貧乏だったように思いました。

       

大きな病院は、救急車や、ドクターヘリが、患者さんを運んでくる。

私の父が若かりし頃、静岡で外科医として勤務していた時代があるだけに、、、

自ら、静岡病院を志願して、勤務医として、頑張っている。

先日PR検査がマイナスだったと、、、電話してきてくれた。

主人の、病院全体が検査をしたらしい

 

「PCR検査でマイナスだった!」帰宅するなり、報告してくれた。

 

病院の300メートル以内で医寮に従事している次男の正月に

缶詰を送って応した:

次男は曰く

「母さん、ばあちゃんが、3日寝ただけで、

    誰の世話にもならずに生涯を閉じたように

         母さんも、最後の三日まで、、、家に居ろよね!

    

         

正月は帰らないどころか、、、

医師は時間貧乏である。

給料は入っても、、、出てゆく仕組みが社会にはある。

緊急手術に、、、夜中にスタッフが集まれたのは

チームの結束だったかもしてない。

主人も、結婚いらい、50年間、

クリスマスに、家に居たという記憶にない。

緊急の手術患者さんが

、救急車で運ばれてきたと言っていた事が記憶にある。

クリスマスは、、お酒が絡んで、けが人が出る日でもある。

オトナシク、教会でミサを聴いて、祈ってる時間は

神様が、与えてくれなかったようである。

coronaが収束してくれないと

他の病で緊急事態になった患者さんの治療する部屋も、スタッフも

時間に追われて、しまう、

今回の暮れの過ごし方で、coronaの感染の数は減るはずである。

          

婆ちゃんは、君たちが卒業するまでは生きていて

自宅で、、、眠るように、立ち去りたい。

赤子が、天の母なる乳房の乳を、一生懸命、、飲み干して

両手に力を入れたまま、、、カクン、、、と眠りに入るように

  

 

 

 

 

 


冬に向かって

2020-12-12 23:07:45 | Weblog

来週からは、冬将軍が攻めてくる!

北海道の主婦は皆どうしているのかしら?

50年住んでいますが、

お呼ばれしたことも、

人様を呼んだことも無い、、目まぐるしく時間が飛んで行った日々だった。

本州育ちの私なりに、周りを見回して、参考になることを取り入れていった。

雪が降ったら、玄関マットも、階段のマットも、全て滑るから取り払う、

代わりに、砂袋を2袋、車庫の前のスロープに備えておく。

吹雪いて買い物に出れないときがあるから、

赤いキツネを箱買いしておく。

ストーブの上の湯だけはいつも湧いているからね。

米は無洗米を10キロ、ストックしておく。

食パンはストックは冷凍しておく、

大根も、ジャガイモも、箱買いして、

玄関の寒さを利用して、ストックしておく。

雪囲いは済んだし、これで、吹雪が来ても籠城できるし、、、

後は、、、毎日、、雪かき人生が筋トレになるから、

マスクをしっかりして、今年は短時間に、歩く場所だけ雪かきをしよう!

              

         去年までは一日4時間外に居たこともありましたが、、、

コロナにかかったら、76歳の私は、銀河特急に乗って

神様の所に直行するだろうから、、、

             

オリンピックまで生きればいいと思っていた7年前!

オリンピックが近くなってみると、

今度は孫が大学卒業するまでと、、、

生きて行けることを、、、見届けてから出ないとね!。

              

昭和時代も、、、「青白きインテリ」と言われた就職難が有った。

 

我が家には、居候が2家族もあり、、、そのほかにも、

家に住み込んでしまって、、、帰らなかった人も、

父母はまとめて、、、面倒を見ていた。

開業したばかりだったので、我が家も楽ではなかったが

私は、東京横断の所にある国立附属を受験するようにと

担任から願書を貰ってきたとき、

兄は、、、隣に府立第七の女学校があるのに

お前は、毎日、、、東京横断の電車賃を使う気なのか!

兄貴は、願書を曳き破いてしまった。

            どっちでも、、合格したところに行こうと思っていたのに

            先生に返却すれば良いのに、、、破かなくったって!、、、

            返答すると、3倍返ってくるので、、、ポーカーフェイスで、黙っていた。

            戦前に育った兄は、軍隊の上官って、、、

            こんなのかな~~と思わせるような

            絶対の命令権が有った。

            弟の、堂々とした、人格円満が兄をたじたじとさせるのか?

            弟には、強く出ない兄だった。

            次男の兄はおとなしい、音楽や文学の解る兄だったけれど

            長男はむしろ、、、虐めるような無理難題を言いつけるので

            三人は、いつも連合して、長男の攻撃を回避していた。

            戦前に生まれた日本男児は、、、おっかないよね!

 

            国全体がピリピリしていたせいか、、、

            兄貴が来ると、、、電気が走ったみたいだった。

            戦後も昭和30年になったばかりの東京に

            やっと戻って来た、、、シベリアからの叔父さん!

 

            若狭湾まで迎えに行った親戚一同、

            学徒出陣で、、、命が助かって、帰還で来た父の弟、、、

            そのフィアンセ、、、

            叔父さんの家族全員、、、

            皆、職業が無かった。

            叔父さんは28歳で早稲田の理工学部に合格して

            座布団のような帽子を大切にしていた。

            父は早稲田中学校から、慈恵会医科大学に進学したけれど、

            バンカラなところも残っていた。

            「帽子は一度、土間で踏んづけてから、泥を落としてかぶると、早稲田の味が出るんだ、、、とか?

            合格ほやほやの、湯気が出ている叔父さんに、そのような事を言って困らせていた。

            父は叔父さんの卒業まで、親代わりに なって、卒業後は我が家で結婚式を挙げました。

            振袖を着て、お嫁さんより華やかに着飾って、祝い酒を注いで回る私は

            なんなんでしょうね?、

            学芸大学を卒業して、東京の小学校の先生をしていたお嫁さんは

            通勤用のスーツのような白い服で、にこにこしていた。

            その後、叔父さんは高校の先生になって、

            やがて、女子大の教授になって、、、家を出て行った。

            中野駅の近くの瀟洒な鉄筋マンションを借りて、、、子供は要らない、、、と。

            戦場を体験した学徒出陣の、戦友の屍を超えて、生きていることだけで満足のようだった。

            叔父さんは、父と同じ54歳で、教壇の上で、黒板に字を書きながら、、、死んだ。

            子供は居なかった。

                  

            母の弟のシベリア抑留を体験した、、、もう一人の叔父さんは

            三姉妹と、弟が一人いた。

            男の子は、、、「居候!」とクラスで虐められていた。

            どうしてあげることも出来ずに、、、「戦争で国の為に戦ったんだから!!」と

            私が代わりに言い返していたが、、、彼は不登校になり、、、

            車の免許を取得して、、、トラックに乗るようになった、

            3姉妹の長女は日大医学部の兄の友達と結婚した。

            2番目は、看護婦になって、家から出て行った。

            3番目の、気の強い女の子は、ほとんど私とは話したことが無いが、

             千葉大学の法学部を卒業した法律家と結婚した。

             そして、、、居候が、、、皆出て行った、

             家はがらんどうになったみたいだった。

             やっと、、、空気が吸えた気分がした。

            振り返ると、、、父は戦場から帰還できたものの、、、大変な人生だった。

            

            南紀の疎開していた村の、、、父の患者さんたちが、

            東京に帰ってゆく父を、見送りに来てくれました。

         

            疎開地から、故郷の回遊してきた父が、

             生まれ故郷の東京の、焼け残った下町に外科の診療所を開業していて

            従業員と、居候で、我が家はあふれていた。

            戦後は、、、食べて行っている人が、、、

              食べれない人を、、、背負うしかなかった。

        戦争とは、、、社会が無茶苦茶になるものであるよね!

           

             学校の授業は、、、大根の収穫、、、皆の嬉しそうな、、、食糧難の時代の風景です。

        戦争に行って来た人は、帰還できただけでも家族は幸せだった。

        明日の事は明日考えるのだった。

           とりあえず、、、食べて行ける、、、医師の父の周りに人は集まってきた。

            

               当時、、、17人の居候が居た。

               食堂も、3交代で、2つある風呂も、順番待ちだった。

                 120円で行ける近くの高校に通学を始めた私には

                 制服を2枚欲しかったが、周りの手前、、、一枚しか買ってもらえなかった。

               居候の従妹も、同じ高校に引っ越してきていたので、、、

                             3年間1着で過ごした。

                       私が2着買えば、8人の子供たちが皆、

                   制服を欲しいと言い出すだろうからね、、、

                    我慢することが、、、予期せぬ出費を呼び込まないと

                        我慢することが多くなっていた。

 

 

                     冬は寒いけれど、、、戦後の、ドサクサに

                    父の所に親戚が同居した時代が、、、一番の冬だった。

                       

                  自分の部屋も、分けて使う、、、父は大勢の人を抱え込んで頑張った人生だった。

 

                 母と話そうとすると、、、

                従兄の3姉妹が、「おばちゃま、、、おばちゃま、、、」と

                         話題をつくって、私とは接触させない、、、。

                 「いとこ」から、モテまくりの母は、、、

                      3姉妹の術中にまんまとはまり、、、

               せがまれるままに、、、嬉しそうに、素敵なワンピースなどをプレゼントして、

                  ドレメの大学まで面倒を見ては、

                    自分のピアノのコンサートの時の服をつくってもらって

                   盛り上がって、、、にこにこしていた。

                      従妹の長女がドレメの大学で、ファションショウガあると言うと

                        母は、作品の生地を探しに、

                            戸越銀座まで出かけていた。

           確かに、、色は黒いが、、美人で、タレント並みの「華がある,、、いとこ!」

                   郵便受けには、彼女宛てのラブレターらしき。。。?

                             上等の和紙の封筒がしばしば入っていた。

                    ニキビも活火山の高校生の私には、、、

                        太刀打ちできない魅力が、、、彼女にはあった。妖艶で有った。

           

                      理科系の私の顔をみるたびに

              

                「男の子だったらよかったのにね~!」と母は言いながら

       「少しは女らしくならないと、、、黒メガネの似合う、、オールドミスになるよ!」

           母は、私の顔をみると、、、學校の先生のようだね、、、とがっかりしていた。

               「自分だって、、、女学校の先生だったでしょう!」

                蛙の子は蛙なのよ、、、と内心思った。、、、が、、、聴こえないふりして

               不満そうな母の写真をパチリ!、、その場を離れた、、、。忙しそうにね!

                母はプリンセスラインのドレスなどの似合う、お嬢様タイプが好きなようだッタ!(^^!

                ニキビ一杯で、スラックスで走り回る私には、、、がっかりしていた。

             「 我が娘乍ら、、、魅力が無いね~~」と言っていた。

              「魅力つくってる暇が無いのよ、、、!」

                 生地探しへの同行には一切付き合わなかった。

               私は、三人姉妹と一緒に行く気にはなれなかった。

                    結束が固くて、、、賢すぎる三人組の人裁きは、接触を避ける方が無難だった。

                  母の為にも、、、その方が良いと思えたから。

         ニコニコしながら、、、母は、、、姪っ子の姉妹と銀座にgo-!

                   今なら、、、coronaにかかったかも!、、、

                     4人で、不要不急の「マギー」とか「セキネ」などで

                           ひらひらしたワンピースの生地や、ブラウス買って、、、

                      帰りには、レストラン??、、、

                 いいんじゃない?、、、母と美的感覚が同じの3姉妹に、、、感謝!

                 私の力では、母の笑顔は引きだせませんからね(^^

 

               「おみやげに、ブラウス買ってくるからね!」、、と言ったので 

             「私の高校の制服を、もう一着欲しい」と言ったら、、、

              

      「制服なんて、、、高校卒業したら、、、使えないでしょう、、、」

                  とうとう、、、私の願いは却下!

                 あの時の「冬の冷たさを思えば、、、北海道の冬は頑張れる!」

 

                  愛する母を、、、従兄の3姉妹に独占された数年間は、、、冬!!

                 「二番目のいとこ」が結婚したとき、、、母は、

                   「私が運転して、母を送り向けしていた車」を

                    彼女が欲しがったから、、、と言って、、、結婚祝いにあげてしまった!!!

                    母は実母に7歳の時に死別している、、、他人の笑顔に弱いのかもしれない?

                      母娘の、、、本当の親身な愛が学べなかった環境だったのかもしれない。

                     無表情で、無関係を装ってはいても、、、

                        あの車は、母を載せて走った、私と母の接点の車なのに、、、

                           単なる物として、姪っ子夫婦のお祝いにあげちゃうなんて、、、

                       信じられない、、、。

                        ま、、、いいか!?、、

                         私はやがて家を出てゆく。

                            何も言う権利は無い。

                              姪っ子3姉妹が、母を大事にしてくれれば、、、それでいいかも!

                         母は、弟の子である三姉妹を、とても可愛がった。

                       きっと、、、7歳で実母を「感染症」デ亡くした母は、

                        たった一人の弟を、母がわりのつもりで、、、守ったのだろうね、、、きっと!?

                    感染症で家族を失う人は大正時代も多かったようである。

                      心のすき間は、埋められない孤独にさいなまれると、、、母は話していた。

                       母が、感染症で実母を無くし、戦争で3人の子供を無くし、

                        戦後、帰還できた弟家族を、、、失った子供たちのように

                        可愛がった気持が、、、ぼんやりと、、、わかる様な気がしていた。

                          

                       母の孤独な顔、、、この孤独が、父と言う医師に出逢い、

                         母の故郷の医師として、13年間も、母の故郷の患者さんに寄り添いながら

                       母の孤独の顔を、、、健康に戻していった、、

                  、医師の「人間丸ごと受け止めた仁術には、わつぃの人生そのものが、大きな影響を受けました。」

                         

           

                          

                  

                       

                                     

                       coronaの収束の為にも

                         北海道知事さんや、市長さんの先導に従って

                            確り協力しようと思いながら、、、も、、、

                         主婦は、3度の食事と、弁当の材料を買いに行く。

                 私は家族の御下がりに、、、自分で絵を描いて、、、来ていました。

                戦後の昭和30年代は、、、就職も無く、戦後の復興に、、、しゃがんでいました。

                  やがて、、、飛び上がるために、、、何もかも、、、こらえた時代に育ちました。

 

                コロナと言う感染症に閉じ込められて、、、かれこれ一年経ちました。

                 籠城は昔取った杵柄のように、お手の物のはずが

               正体の七変化のcoronaの怖さは

                  やはりストレスが有ります。

                     心を、やまないように、、、工夫しないと、、、

                      心の疲れと言う、、、側面から攻められては、、、と

                    正しく怖がることに心がけています。

                     、、、、それしか、、、方法は、、、見つかりません。  

                   

                割引の日は込むので、土曜、日曜、売り出し日は避けて

           買い物は、人の居ない2時ごろに行く。

               食費はめっきり、、、かかるようになった。

              coronaが世界問題になる前は、

                 「そろそろ、、、半額シール時間だわ!、、、」とか。。。

                  今日は売り出し!10パーセント引きだわ!

               ポイント10倍だわ!

             お米買うと、、、50ポイント付くわ!

                   塵も積もれば山となって、、、結構たまったポイント券で

                    ど派手な、、、部屋着を1000円で買ってしまったり、、、、

                 ポイント券が出るたびごとに、ケーキを買ったりしていたが、、、

                この一年間、買い物は、、、毎日行かなくなったから、、、

 

                

                脚の筋肉がおちてきた。

                贅肉も、、、おなかの周りについてきた。

              NHKの体操の時間には、一緒に部屋の中で参加するも、、、

                効果は見えず、、、。

                    

                  ストレス太りもあるのかもしれないが、、、

                    コロナ対策は「マスク」のほかにも

                  「ストレス対策」をしないと、、、勝負は長期戦になりそうだ!!

                          今日から、、、実行!!

                         やけ食いは止めよう!

                      我が身の身だしなみに、、、時間を掛けよう!

                  食事作りには、、、予算でピリピリするのはやめておこう!

   

 

小学校から大学まで、東京で過ごした私にとって

北海道に住んでしまったという事は、、

級友や、親戚とも疎遠になり

かといって、北海道と言う、店舗の違う人たちの間には入りにくいし、、、

参加してゆく気も進まないまま、、、

       お招きしたり   呼ばれたり、、

      とうとう50年間の間には、、、思い出せない???

         弟夫婦が遊びに来てくれたり

          お友達を連れてきてくれたり、、、

             それくらいしか、、、思い出せません。

                

「つるびんさん」は、、すごいひとだな~~~と~

何処でも、誰とでもすぐに打ち解ける人間性に

敬服しながら、、、

たまたま、、、放送していた番組を

終わりまで、、、観ていた。

とうちゃこ、、、の自転車叔父さんは

視聴者がいつの間にか主役のように引き込まれていました、、が

つるびんさんは、、、主役はつるびんさんですね。

似ていて、、、全く違う方向のTVですが

役者さんと言うのは

芸の見せどころと言うのを心得た

スペシャルな才能にあふれていますね!

   民芸の舞台の人か、、、お笑い出身の、タレント性豊かな人かで

         笑いの質も,,,地酒と、タイヤキや、タコ焼きのように、別の味になるからね!?

                

                    coronaで閉じこもっていると

         それまでは視たことのない、、、民間放送も

           楽しんで観るようになりますね。

             NHKは、とても、勉強になり、痴呆になるのを防いでくれています。

      民放は、、、その時は、、、ゲラゲラ、、、笑うのですが、、、

                    後に残りません、、、

        番組の構成の仕方が、、、それぞれに、工夫されているのでしょうね?

           coronaコロナで、、、夜明けにけり。。。は

                 ストレスがたまるから、、、

                  明日の「笑点」が楽しみですね。

笑って、、笑って、、、何も残らないのですが、、、可笑しい!

NHKと、笑点と、タモリさんと、、、つるびんさん、、、

coronaに閉じ込められてからは、、、

心のストレスの治療になっています。

冬支度の范氏でしたね、、、話はそれてしまって、、、

どこへ?,、、行くねん???

            本日の日記はこれまでにします。Z~Z~Z~眠い、、、、

 

 

 


パソコン音痴

2020-12-07 09:28:37 | Weblog

パソコンになじんだのは、30年ぐらい前ですから

VM21の頃だったと思います。

容量もかなり小さくて、その前に使っていたアップルの「お爺ちゃんと一緒?」

もしかしたら、、、お婆ちゃんと一緒だったかな、

ともかく、デスクトップはデッチリで場所をとりました。

丁度、主人が単身赴任中だったので、

薬剤師に復帰して、会社の社員になっていた時期でした。

家庭と違って、膨大な量の物品の整理に、VM21のパソコンを入れました。

フロピィが、CDのケースほどもあり、容量も小さくて、

VM21は月給をはたいて60万円はしたと思いますが、

すぐに、Wi n d o w95にとって代わりました。

給料は、パソコンの買い替えに追いつかないぐらい、どんどん変わりました。

仕事上、会社のパソコンに合わせて、変えていったのですが、

ペンティアム1,2,3、、、そして、、、思い余って、、、

DELLの機種を買って、中を抜いて、XPをインストールしました。

XPの使い心地は、、、私にぴったりで、、、親友以上になりました。

写真も、画素は荒いですが、道内の来たから南まで撮影したものが入っています。

写真がいっぱい入ったまま、、、サポートが無くなってしまいました。

写真をハードディスクに保管しようと、、、

これが最後と思って、、、XPを起動させたつもりが、

画面に英語がいっぱい出てきて、、、それ以上の何ものも映し出さなくなりました。

そのうち、治してもらえるかと思いながらも

先立つものが、、、息子達の私立大学の授業料が先でした。

76歳になり、、、パソコンを動かすパスワードがごちゃまでになって、

メールも、HPも、立ち上がらくなりました。

gooさんのm量ブログだけが、日記を書くことのできる

パソコンとの付き合いになって久しくなります。

日記ですから、、、何でも書く事が勝手にできるとおもうでしょう??

実は文章にすることの方が難しいのですよね、、、。

世の中には現象は起きても、、、正体が見えない、、、coronaのような

3蜜を避けるしか、方法が見当たらない事って、、、結構多いでしょう?

それだけ、、、眼色が多いという人生で、、、

曲がりなりにも76歳まで、、、無事に着たのですから、、、

ここから先は、パソコンと、、スマホの日本になりそうなので

、、、、もう、、、機械に追われるのが嫌になりました。

今のガラケーが使えなくなる2026年ごろには、、、、

私も、生きているかどうかわかりません。

パソコンも、スマホも、、、機種が変わりすぎるという事で、

しばらくはこのままで、、とりだせないXPに保存した写真を

取り出せる日が来たら、、、

もう少し、グレードを上げてゆく事が出来るかもしれませんが

今は、、、睡眠時間も、、、不規則で充分取れません。

    

 

coronaの感染を防ぐ体制の毎日の戦争にも似てひまなしの時間です。

フォロウさせていただいている「パソコンのベテランさんの記事は

 私に、知識の力がつくまでは、、、読むという勉強をさせていただくことで

楽しませていただいています。

パソコンを自由自在に、、、XPの時代のように使えたら、、、と

近代の、通信発展の時代に落ちこぼれてゆく自分が見えるようです。

今しばらく、、、メールは普通になっているのですが、

復活の手順が混乱状態で,、、ほ~てあります。

皆さんの記事、楽しく拝見しては、、、

必ず、、新しいことを気付かされて勉強しています。

どんどん、、知識も、記憶も、抜けてゆくのが、、、わかるから、、、

歳はとりたくないですね。

       当分は。皆さんのブログを診て楽しんでいます。

みなさんお写真のページは、旅行気分にさせてくれるので

自宅に居乍ら、、、go to travel

とても為になっています。

     師走に入りまして、、、もう中ごろに突入!

            あと何日で、、、、来年が来ますか?!

          


若者と老人

2020-12-06 10:57:23 | Weblog

若いスッピンの女学生を診ていると

   美しい、、、と言う「字」の姿が、、、そのまま生まれたのかな~~~?

美しいという事は、、、形ではないと思いませんか?

 

母娘と連れ立って散歩している二人とすれ違った。

マスクをしているせいか、、、眼だけ見てると、友達と間違うかもしれないが

全体から受けるムードは50歳ぐらいかもしれない母親と

            高校性位の娘さんである。

時代のせいか、、、娘さんの背丈は170センチぐらいある

お母さんは155センチぐらいかな?

時代とともに、、日本の若者の体格は、外国人並みに大きく育っているな~~~!

これはもしかしたら、go to travel,,,で、、運命の人と出会う時代になり

内の結婚が少なくなって、離れた土地で

遺伝子の全く重ならないような二世が生まれてくるからかもしれませんね?

大きく育った孫の事思い浮かべると、

母親はかなり、、、トランジスター美人ですが

その子供たちは、、、180センチを超している、、、

母が、、、紀州、父が東京市ヶ谷、

150センチの母から、私は162センチの娘が生まれている。

go to travel は、、、coronaの流行時でなければ、、、日本人の体格が良くなるかもね?

coronaの感染を鎮圧するためにも、、、

若者達に、、、旅行を控えてください、、、

旅先でのロマンスは3蜜を避けてください、、、

   こん、、、可哀想な…注文をしなければならない、、、今!

花が咲いたような。娘さんとすれ違う度に、、、

       コロナよ、、、去ってほしい、、、

若者に、部屋に閉じこもれというのは、、、難しい注文ではあるが

この青春の、、、稀有なる出会いを、、、coronaは邪魔している!

咲かない花にしてはならない、、、貧しくても、良い習慣で幸せに導かなくてはならない。

 

           

主張が強くて、パフォーマンスが票田となる政治家の先生たちには

いろいろな都合もあるだろうが、

医療崩壊だけは、、、避けねばならない、、、

起きてみないと、、、ワカラナイ、、、若者たちに

    協力を呼び掛けて、、、日本は未来においても

繰り返される感染症に強い国になる為にも

政治家さんの、票田につながるパフォーマンスを乗り越えて

      今は、、、早急に、、専門家の現場の意見を尊重して

           目の前に来ている、、、

            医療崩壊を、防ぐように、

              軽い協力を惜しまないで欲しいと、、、願っています。

   ばあばの、、、日記、、、元気が無くなっています、

              

 

 


12月、、師走、、、職場の検査で,、、陰性(^^👆

2020-12-02 14:38:32 | Weblog

緊張が続いている1年間でしたね!

ここらあたりで、、

、医療崩壊寸前の師走は、国民の協力を欠いては、防げませんよね。

我が家の主人のPCR検査も「陰性でホッとしました。」

一年間も過ぎたなんて思えないほど、、、時間はすっ飛びました。

早朝7時、コンビニで食パンを買います。

帰宅すると、パンの袋ごと、水道で流し水をして、かごにあげて、

全ての食品は同様に処理します。

こまめに洗濯をして、ストーブの焚いてる部屋に蒸気を出しながら

一週間に、一度まとめ買いをして、外出は極力避けて

夜、、、ひっそりとしたころ、散歩に出ると

このあたりには、キタキツネが出てきます。

クマは、バス停の3個先の山裾には出没するそうですが

我が家のあたりには見当たりません。

        

北海道は、空気が美味いので、住み着いてしまったのに

coronaが収束するまでは、夜の散歩も、、、マスクを架けて、居ます。

月を眺めても、マスク越しの問いかけに、

月の方から、月食の微妙な7変化を披露してくれたりします。

どんなときにも、、、、自然は友達でいてくれる。

7歳で、実母を亡くした、、、私の母は、孤独とストレスで、、、???

                太っているのでしょうか???ネ?!

、、、大正時代の初期の感染症、、、肺病で

実母を亡くした後、3歳下の弟を守りながら、

彼女は、孤独の中で、音楽に出逢ってゆきました。

           

                                             

伴侶を無くした実父は、狭い集落の肺病の出た家庭の孤立化は

子供の教育にも、良くないと思ったのでしょう、、、

                                        新宮の女学校に入学を勧め、

自分は,妻の最後の炎から遠ざかりたかったのかもしれません。

それとも、このブラックホールをクリヤーするのは、

国外に出るという、、、次元を上げる必要を感じたのかもしれません。

    実父にとったら、、、大変な試練だったに違いありません、、、。

              

「アメリカの,カリフォルニア州の日本人町から州立の学校に留学しました。」

代々、、、トクヤと言う 庄屋の次男に生まれた母の実父は、

汽船で3ヶ月もかかって太平洋を横断して、

            明治20年代生まれの男が

          アメリカに渡ったから、、、びっくりです。

           

    私にとっては母方の祖父が、、、

             愛する、、、女房!

         村人の子供たちから尊敬され、恵愛された女性教師だった妻!

           子供2人を残して、、、

             当時は、、、

          coronaのように怖がられた「肺病」に感染!

  コロナにかかった患者さんが、家族にも会えずに、、、

                      灰になってしまう!

      この哀しすぎる、、、マイナスエネルギーは、、、

 

           かっての時代に、、、

           「肺病患者と言う感染源」駆除の為に

               療養していた別棟の家ごとダビに伏されtのです。

        母は 実母の療養していた小屋ごと燃える炎が、

         生涯、、、眼に焼き付いていると、、、

             ポツリと、、、つぶやいたことがあった。

 

           実母の小屋の周りには、、、

               彼岸花が群生していたとも。。。言っていた。

            幼い母の錯角が、一本の彼岸花が炎に思えたのかもしれませんね。

 

          子供だった母

             七歳だった母

              彼女のの絶叫のように思えるのは、、、考え過ぎだろうか?

            

 

         大人にも。子供にも、恵愛されていた才媛の実母が

        「 肺病」と言う「感染症」の為に

             家族ごと,、、遠巻きされる、、、孤独の淵に落ちたのです。

             

「父はアメリカ、、、自分は新宮女学校に進学」

           そこで、、、佐藤春夫さんや

             佐藤春夫さんの妹さんに出逢い、、、芸術へ、文学へ

               そして、音楽へと、

               母に備わっていた感性が磨かれました。

            親友の一人には,、、放送界で

             イタリア賞を御取りになった、、、詩心の豊かな

             

            デレクターの、母となられた女性もいました。

        彼女は、、、新宮女学校を卒業されて、「パリに行かれたそうです。」

         再出発するのには、充分な、知人に恵まれた母は、、、

              運の強い女性だったと思います。

                 

           国立音楽大学の、一期生として合格、

       当時、、クラシックの「運命」の楽譜が

              ヨーロッパから持ち込まれたばかりと言う時代でした。

         宮城美千代の「琴曲」や、「ショパン」や

       モーツアルトの「フィガロの結婚」等、

         日本とヨーロッパが同居している様な音楽大学で

            オペラ集団にくっついて

          日本中、、、運賃無料、、、宿代無料で

            楽屋勉強の旅をしたこともあたそうです。

          

    「肺病」「孤立化」「感染症家族というレッテルの家族」

           この、底の見えない

              「ブラックホール」を

          母は「音楽」に没頭することで乗り越えたようですね。

          

           母の物語を、、、日記に書くにあたって、、、

         息子よ1孫よ!、、、愛する知人よ,、姉弟よ!

 

   コロナでは、、、絶対に、、、死なない!

             絶対に、、、死んではいけない!!!

              

               76歳の私も

          感染は絶対にしないように、、、最大限の注意をします。

             だから、、、愛する孫子や、兄妹、姉弟、

                貴方たちは、いやおうなしに

        「コロナに感染しているかもしれない患者さん」の

               壱メートㇼ以内で 会話をする「ドクターです!」

           運が良ければ、、、感染はしないでしょう、、、

              最大限の注意をして、患者さんと接してください!

             医療人として、医療家族である以上

            ワクチンが摂取されて、coronaが収束するまで

           緊張を緩めないで、、、生き残ってください!

              国民も、正しく、、、感染症の怖さを知って

            正しく怖がり、、、

             経済活動と、御もてなしの知恵を、

              これからも起こるだろう、、、感染症に備えて

            御もてなしの「奥義は日本に有り!」と言われるように、、、

           古き日本のやんごとなき方々の食事のマナーを振り返り

             今こそ、、、感染症防止の知恵の塊のようなマナーであることを

          気付くチャンスではなかろうか、、、?

          3蜜を避けるための、、、裾を曳く間隔、、、

           男と女が、簡単には接触しないようにできている、、、帯!

         一人一人、、畳3枚以上開けて向き合う、、、

                 大広間の座布団の並べ方、、、

           「今こそ、、、、御もてなしは、、、一人一人の御膳❕復活!」

          我が家は、、、質素な庶民の30坪の家に、

      全室、、、物置が有りません。

          どの部屋も主人の使う物であふれています。

            主婦が着替える部屋は有りません。

         私は一生、、、普段着で、、、いつでも外出できる服装で

           ソファ―で睡眠をとっています。

         親類知人の泊まれる一部屋は、雑誌や、マンガや、

         主人の季節外れの、、、交換する背広の入ったドレッサーと、

          仕事の本が、ベットの下に重なっています。

         泊り客が居ないときは、、、その部屋で、スラックスとセーターで

        TVをみながら、、、寝てしまいます。

          外科医だった主人は、若い時から、、、不定期な出勤が続き

           その時の癖が、、、いつの間にか、、、

          我が家の日常になっています。

       リホームを勧めに来た業者さんたちは、、、

             ご主人に、、、断捨離してもらってから、、、

             リホーム考えた方が良いね、、、と申します。

        本だらけ、、、書類だらけ、、、靴だらけ、、、背広だらけ、、、

         靴下だらけ、、、シャツだらけ、、、

     「 奥さんの居場所は、、、どこですか?」

            弟が、、、我が家に泊まった時も、、、

         「お姉ちゃんの部屋は無いの?」、、、

        「僕の家などは、、、母ちゃんの天下だから、、、

            僕の物は、、、パソコンと、背広3着ぐらいだよ、、、」

         後は、、、全部、、、母ちゃんのものだよ、、、」

             我が家に泊まった人は、、、私の存在が無いのでびっくりする。

        「主人が医師をする」と言う事に、最大限便利な舞台裏にしたら

          こうなってしまっただけ、、、

             働きやすくて、、、もとに戻すのに便利であれば、、、

            自分の部屋は要らない生活が、、、ずーと自然である。

          疲れた時に寝る。

          ソファーと、、、30年前勝った肩もみきに持たれて、、、

            快適である、、、猫に見習ったのかもしれないね???(^^!

          今は、、、coronaに感染しなければ、、、目的は達するから、

        全館主人の衣類や 汚れたものが見える方が

              ファブリーズして回りやすい。

           主婦も、防御になるウインドウブレ―カが3着あれば

           下はセーターなど、クッションの中に居れて部屋に放り出して

            滅菌しやすくしている。

         後、、、3ヶ月、、、感染症にかからないように

           緊張と、ベストの滅菌と、、、併病を避けて、、、

           万一、、、運が悪い時の為に、、、

          免疫のつく食事を、、、2食、、、主人に弁当を押し付けている。

            外科医と結婚するという事は、、、

             患者さんは、日曜日も、祝日も元旦も時を選ばない。

           若きときは、ソファーで、電話の傍で、正月も寝ていた。

           元旦の救急オペもあった。

           他人は、、、医師の奥さんはセレブだと噂する

          風評被害 は、遠く離れた親類にも及ぶ、、、

           「外科医をする」と言う事は、、、

             医師になることも大変だったと思うが、、、

        それ以上に、、、奥さんの協力を巻き込んで、、、

          「医師をするという」 人生を選んだ主人は

              医者バカですよね、、、

               人生に悔いはないんですから!!!

           せめて、、、coronaにかからないでね!

            ヨーロッパが落ち着いたら、、、

           オードリーヘップバーンの居た、、、フランス、、、

         ソフィアローランの、、、イタリア、、、

              湯川秀樹のノーベル賞の国、、、北欧、、、

           視てから、、、

            人生を、、、医者以外に、、、

               人間をやってから

           卒業しましょうね!、、、

               このまま、、、医師をすることだけに人生や。

                  息子達を、、、医療人にしただけの人生で

             コロナにかかったら、、、私は許さない!

            すべて仕事が終わったら、、行きましょうよ!!!、

          四国も、出雲も、、まだ、、、行ってないでしょう!?

        いまは、、、 無理に

                Goo  to  travel しなくたって

              うまく生きれば、、、100歳まで

              生きれるんですよ!!!

            日本人は、上等の、ゴム紐だから、、、

            長ーく、、、人生、、、伸ばすために!

               今は縮む時ですよ!

            シャガンデ、、、飛び上がるために、、、待ちましょう!!!

            12月~~~正月、、、3蜜を避けようね!

               婆ちゃんからの、、、先祖からのメッセージでした。

 

    私には、、、、母のように、、、

         ブラックフォールを克服する力はありません。

          

母と母の弟は、≪周りの人たちへの配慮の気配り≫は

            大変な苦労だったに違いありませんね!?

幼くして「忍耐」の一字を教えられた兄弟は

明治生まれとしては珍しいと思われる、女性が大学に進学することで

        外国の実父に「ドルを送金してもらいながら大学を卒業したのでした。」

弟にあたる、、、私の叔父さんは、日大の理工学部の在学中、戦争に行きました。

                     

                   中退でした。

戦後、生き残った親戚一同は、父母のもとに合流して、

          疎開先に近い村で機械工場の会社を経営していたそうですが

アメリカの占領下で、生き残るには

    「教育しか考えられなかった」と、、、言っていたのを思い出します。

多感な少女時代から、大学入学して、父が過労死で、突然亡くなるまで、

親戚は、ブドウの房のように、、、、父のもとに集まって、

        父母を囲んで、戦後のドサクサの中で

           それぞれが、大学や看護学校を卒業して、、、

               我が家の居候の皆さんは 、、、去ってゆきました。

 

私は高校時代の制服の袖から糸が出ているので、、、

       「もう一着、、、買ってほしい、、、」と、、、

母に頼んだのですが、、、居候の従兄の3姉妹が、母のハートを射止めておりまして、、、

    私は、、、後回し、、、結局、一着の制服で高校を卒業して

       箱ひだのスカートで、タイトスカートとベストを造り

            日大の教養時代は、、、

          學校指名の代表幹事を引き受けたものの、、、

周りの学生の垢ぬけた素敵なセンスのスーツに、、、埋もれてしまい、

   

        「せめて、、、一着の、、、スーツが欲しい」と思った。

  学校の近くの商業ビルの早朝床掃除に、、、筋トレを兼ねて、応募した。

    エレベーターの方に回されて、、、筋トレにはならないし、

      あがったり下がったりの、、、エレベーターは

            性分に合わなくて、試用期間だけで、バイトは止めてしまった。

それでも、、、お気に入りの通学スーツは買えたので、、、

    免許を取得していないと、、、女性の仕事は、、、大変かもしれない!。

          安く、、、しかも、、、割に合わない仕事時間で

               とてもじゃないが、、、私には続かない!!

  そのことが解っただけでも、収穫だった。

    高校時代の友人と二人で、

          大学進学希望の高校生の家庭教師をすることにした。

       自分の語学の勉強にもなるし、

         息子の真剣な親の姿を視ていると

           なんとしても、、、合格させて、結果を出したい!

              友人と話しながら、交代で教えに行ったこともあった。

    私立大学に合格して、私たち二人の家庭教師は顔がほころぶ結果が出た。

          報酬金と、合格の感謝と書かれた金一封は、

                 大学生の私には、、、行動資金をもらったようなもので

                      うれしかった。

     今年大学に進学した、、、孫の為にも、、、

           人生には、、、無駄は一つもないから、、、

            今日壱日を、、、無駄に過ごさないようにすれば、、、

       未来の君が、、、必ず生まれていると、、、信じて

        今日壱日、、、全力で頑張って、、、

           自宅での授業に工夫をこなして、、

          、何かに目覚めて行ってください。

           コロナは、、、収束する日が来ることを信じて、、、

          婆ちゃんは、、、また、、、君らと会食できるまで、、、

          コロナには、、、絶対に感染しないようにと

           最大限の努力を約束します。

               又、、、行こうね!!!。。。

           あの、、、回転寿司屋に、、、ネ!(^^!

                    76歳の今日は元気な婆ちゃんの日記でした。

 

              

 

 


昨日のNHK-TV に思う

2020-12-02 05:25:18 | Weblog

世界史の苦手な私でさえ、、、ナチスのおぞましい歴史は

多くの報道と、、、繰り返してはならない差別の心や

優勢学徒放送されていたが、、、茶の間では、、、むつかしいことは解らないが

要するに、、、人間が人間の価値を決めてしまうという

大自然のバランスから、、、

心に勝る「本能が育てようとする母性」の前に

人間の考えた狭い「優生学???」が

立ちはだかってしまったというような、、、>>??

   人種差別と解釈すれば良いのだろうか>>>・・・???

NHKの放送は、ある方向から、アスペルガーの多重人格を示唆していた。

ナチスの時代に、、、どうして?、、、

人間は、あそこまで、残酷になれるのか?。。。

76年間ぐらい生きたからって、何も理解できない。

ドイツと日本は、世界大戦でカンプナキマデ、、、、

出直さなければならないほど、

両国とも、無条件降伏と言う、、国民は特殊な頭脳のヒットラーに

壊滅するまで、翻弄されてしまったのだろうか?

窮鼠猫を噛むと言うが、、、300年間の閉じ籠りの鎖国の後、

ペリーが浦賀にやってきて、、、黒船の到来に、目が覚めた日本!

右往左往しながらも、

第一次大戦や

第二次大戦に巻き込まれてゆく結果になったのは

ザンギリ頭になったばかりの鎖国の為の、、、寝ぼけた頭で

軍刀に持ち替えてみた者の、、、

世界はすでに「情報戦争に入っていましたよね!」

雲の後ろのアメリカの飛行隊を察知できなかった日本の,、、、情報の敗北から

振り返れば、、、負ける戦争だと知ってい乍ら

ニイタカヤマにノボレ、、、と電信して散っていった,、、軍隊の上層部。

資源も、科学も、進んでいるアメリカや

すでに、多くの植民地を支配していたイギリスや、

連邦国家だったソ連、、、

ドイツの、独裁者のヒットラーの出現!!!

怖いですね、、、、「人間が「正しいとか、正しくないとかを、、、決めてしまう時代。」

私は「ビリーミリガン」と言う多重人格の主人公の出てくる小説を

繰り返して、読んだことがあります。

繰り返し、、、繰り返し、、読んでも、、、艪買いすることは出来ないので

そのまま、多重人格と人間は少なくとも、二面性位はあるだろうと思う事にした。

アスペルガー博士の、二面性そのものが、、、制御されない社会システムが怖いですね!

このような人は、けっこういると思うのですが、

権力者の世界には、別の視点の三権分立のように

ブレーキになる「人事」が要りますよね、、、

学者だけの考えで、社会が動かされてゆくときには、

アスペルガー博士のような、、、

知能だけがのさばってしまうという怖さが感じられました。

戦争中に生まれて、一億総国民が貧困の時代に

疎開や、家族ばらばらに親戚と育った環境の人たちが

80歳代になっています。

極限の貧困な時代に育った80歳代の人たちの時代には

ヒットラー、、、アスペルガー博士のような人間が

戦いを前提としてー生き残る能力のある人間を「生きる権利を認める。」」

   天与の能力で自立できない物を「生きる価値が無い」と

          生きる権利を、、、いちぶの偏った能力の人間が決めてしまう怖さ!

世界情勢が、戦争に次ぐ戦争の時代には

「勝ち負け」「一人より国家が大切」と言うような。。。切り捨ての思考!

軍隊とは、、、勝ち負けの座標軸しかない座標軸の上にあるドットだとすると

全世界の国際間の戦争を無くして、100年に満たない人生を

銀河系の惑星の引き合うバランスのように

行動に移さないで、、、気軌道の上を回り続けてほしいものです。

どんな人が居たっていいから、、

   、独裁的な権力で

      「1人が人間の価値を決定して差別するようなシステム」は

         有ってはならないと思いました。

主人は「国立大学」に価値を感じているようです。

私は「日大」卒業ですから、、、私立の良さを体験しています。

学門を選ぶか、、、実際に社会に役立つ実務を選ぶかで

国立に行くか、私立に行くか、選べる社会になれば良いと思います。

東大,、、京大、、、九州大、、、東北大、、、北大、、、

順番を付ける受験生は、

受験戦争の戦場に居る間は、

    大いに考えるのは良いと思いますが

社会に出てまで、大学に順番を付ける癖は残さないで欲しいと思いました。

差別をなくさなければ、、、

確かに、、、エリートと言われる人の中には

            アスペルガーのような、、、、、

                 自分だけの価値観で

                    この世のものを分類してしまう。

       

                    職権を乱用されては

       社会が上下、正誤に分類されてしまいますから

               ヒットラーや、アスペルが^のような人物は

            独断を出来るポジションに置かない政治が必要かもしれない。

      白波5人男と、、、独裁者は、、、種が付きそうにもないのが

       人間と言う生き物の、、、弱点かもしれません。

         NHK^TVは、、、時々、、、寝れなくなるほど

             視た後も、、、考えさせられますね。。。

           黒人差別も、

           黒人が学問するようになれば、、、逆転するほど

           野生の王国のルーツを持つだけに

            優れた体力と、感性と、決断力が出てきて

            解決には向かって行くと思いますが、、、

              今の時点では、、、難しい、

   TV漬の婆ちゃんでした。(^^!✋