枇杷の葉なし

枇杷の生育や、葉・花芽・種のことを日々の生活のなかで書いていく。

枇杷葉の奇跡

2010年04月01日 | Weblog
 今朝、約束していた枇杷葉酒と、枇杷種酒を持って行く。勤務先への途中にある、独身の時にお世話になった方に、差し上げるのだ。家の中に子どもの声がしているので、在宅なのであろうが、勤務時間が迫っていたので、玄関の外に置いておく。夕方、確かめに寄ると、声を弾ませて出て来てくれた。何度もお礼を言われるので、困ってしまう。そこで正直に独身の時に一緒に働いていて、何気ない励ましの言葉が、とてもうれしかったことを伝えた。

 同時に、お礼は止めないで飲んでくれること。だと言うと、ご自分の義姉さんが飲み始めて、頭のふらつきがなくなった。と話してくれた。私にも同じ症状があったので、これは枇杷葉が効いた。と感じた。体質的に合ったようです。本人も甚く驚かれたようです。枇杷葉は足りているの?と尋ねたら、学校の体育館の裏のを、頂いているのよ。と言われる。あの枇杷葉も、誰かの役に立てたことが、きっと嬉しいに違いない。と心が軽くなった。

 帰りしな、私のオーラを分けてあげる。今日は、これで何人にあげただろう。ちょっと疲れた。帰宅して、花芽茶を備前焼の湯飲みにたっぷり注ぐ。一息つきました。どうということもないのだけれど、先月の激務に、体が悲鳴をあげているのかな?おまけに春休みで、孫たちは来るし、ゆっくりとはできない。そういった時間を過ごすことも、とても大切です。あまり手を取ることもなく、なんだかんだ言っても、姉妹で一緒に遊んでいます。

 花芽茶は、実は先日の強風に吹き飛ばされたもの。霜にやられたのが枯れて、吹きすさぶ風に下に落ちた。下には花があるので、汚れてはいない。それらを拾ったら、案外多くお茶ができた。匂いはしないものかと思っていたが、事の外香りもしている。色も綺麗に出ている。2週間は飲めるな。と思いつつ、枯れてしまっていても、自然乾燥になっているのだ。ありがたいことだ。神さんも、時には粋な計らいをするらしい。

 私のこれまでの人生では、誰かからもらうことばかりだったり、あげるものは然程ない。と心の中で思っていたが、枇杷葉を知ってからは、私にしかできないことがわかったり、自分には一つあればいいのであって、その他の物は何も要らないのだ。持っていても、宝の持ち腐れ。却って悪くなる。そんなにたくさんのものがあっても、持ったまま死ねない。それよりはあげておけば、感謝されるし、身軽になれる。心地好くなる。

 私は、たった一つの真実を持っていればいいのだ。やっとそれがわかった。例えて言えばだ。着の身着のままでもいいが、服は洗濯して着れる数。靴は1足あればいい。2足も3足も同時には履けない。食べ物は、生えている旬の物を口にする。四季折々素材があればいい。自然の声に耳を澄ませ、語らい、あるがままに暮せること。この中の幾つかでも実行できるよう努めていくこと。

 世の中も様々に変化しているから、流れや波に逆らうことは、並大抵ではない。自分の終末を迎える極、日々準備していこうと思う。
 冬の枇杷葉の様子。我が家は平屋なので、軒下の高さを越えた枇杷葉です。孫が4歳の誕生日に撮った写真には、この枇杷葉がヒョロヒョロとした姿で写っている。それが今では、たくさんの花芽をつける枇杷葉になったのです。
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