今朝は体調もよく、腰痛もクリアしての出勤。弁当を作っていると、出窓の辺りで『ホ~ホケキョ・・・』あらま、なんというきれいな声。鶯である。花瓶の花を摘みに出ても逃げない。『ヶチョ、ケキョ』更に透き通った声音で囀る。ありがとう、よくきてくれたね!お礼を言うと、得意げに声を張り上げて聴かせる。実に見事な鳴き声であった。ひょっとして昨年も来てくれていたのだろうか?鳴き声に懐かしいものを、感じたよ。
我が家の枇杷葉に限らず、傷ついたり怪我をしたり、病んだもの全てが集まる。カマキリも来る。カラスも雀もやって来る。そうして葉を啄ばんだり、体を休めたりしていく。エネルギーの充電をしていくのだ。自然界に於いては、じっとしている物には、危害を加えてはならない掟があるようだ。其処に自分の餌があっても、襲っては来ない。何故か、蛙は蛇に襲われない。
人間だけが弱い者苛めをする。強い物へは立ち向かわず、自分よりも弱い者へと牙を剥くのだ。何という陰険さ。悪辣さであろうか。昔が良かった訳ではない。真の平等や差別の無い世界とは、何を指しているのだろうか。金では心は買えない。と言いつつも、手段や方法を選ばずになされている現実はどうか。真実も、権力も、嘘でさえも、あらゆることがお金でなされている。何処のどなたが、私財を叩いて、困っている人々の生活の面倒を、援助しているのだろうか?
偉い方のなされていることは、国民の税金を見えないように吊り上げて、挙句は赤字になろうと、片腹痛い訳でなく、付けはまたしも国民に返してくれる。予算の金額が決まっているのだもの。穴埋めをすれば、何処かが埋まるが、あちこちが穴になる。子どもでもわかる理屈じゃない?極普通の庶民に、何を愉しみに生きよ、というのだろうか。甚だ疑問。
特殊な仕事や、頭脳を持ち歩いている人は、案外少ない。そういった人は、他人に儲かっていることを吹聴しない。わかれば財産没収の矛先になるからだ。お金は自分で稼がなければならないが、最低限の仕事の保障が無くては困る。人間同士のいざこざで失職したくないが、相手を蹴飛ばしてまで、するだけの気力に欠けることもある。人間は、誰もが一番ではない。二番や三番、敢えて言えば、ビリが居てくれるから、上があるのですよ。
自分だけが偉いのじゃない。そうね、あんたは偉いわよ。と認めてくれたり、譲ってくれるから、偉いんだと威張っていられるのよ。今日の英雄でも、明日のヒーローにはなれやしない。皆が居て、自分も同じなんだ。と思える心から、自然と上にいけるのじゃない?どんなものも基礎ができていなかったら崩れてしまう。昔のものが丈夫なのは、そういったところがしっかりできているから。技があるんだね。
自分を創るのは、先ず親であり、兄弟や友人だね。地域の大人や、関わりあう人らで徐々に形成される。保育園や幼稚園、小学校、中学校。出会いと別れを繰り返して、更なる人間として成長させてもらう。年を重ねる毎に、人間として大きくなっていく。感謝するのは、そういった関わりのあった全ての人にだ。親が子を殺す。またはその反対をする。他人においては無差別な数字。
枇杷茶には、末端における神経に至るまで、幾重にも包み込むバリアーで、心の安定を図ってくれる。でもそれは、望まなければできません。この地球に、人類が一人も居なくなってから、気づくのでしょうか?一体誰が・・・。知っているのは神のみですか?
鶯の来ていた枇杷葉。
我が家の枇杷葉に限らず、傷ついたり怪我をしたり、病んだもの全てが集まる。カマキリも来る。カラスも雀もやって来る。そうして葉を啄ばんだり、体を休めたりしていく。エネルギーの充電をしていくのだ。自然界に於いては、じっとしている物には、危害を加えてはならない掟があるようだ。其処に自分の餌があっても、襲っては来ない。何故か、蛙は蛇に襲われない。
人間だけが弱い者苛めをする。強い物へは立ち向かわず、自分よりも弱い者へと牙を剥くのだ。何という陰険さ。悪辣さであろうか。昔が良かった訳ではない。真の平等や差別の無い世界とは、何を指しているのだろうか。金では心は買えない。と言いつつも、手段や方法を選ばずになされている現実はどうか。真実も、権力も、嘘でさえも、あらゆることがお金でなされている。何処のどなたが、私財を叩いて、困っている人々の生活の面倒を、援助しているのだろうか?
偉い方のなされていることは、国民の税金を見えないように吊り上げて、挙句は赤字になろうと、片腹痛い訳でなく、付けはまたしも国民に返してくれる。予算の金額が決まっているのだもの。穴埋めをすれば、何処かが埋まるが、あちこちが穴になる。子どもでもわかる理屈じゃない?極普通の庶民に、何を愉しみに生きよ、というのだろうか。甚だ疑問。
特殊な仕事や、頭脳を持ち歩いている人は、案外少ない。そういった人は、他人に儲かっていることを吹聴しない。わかれば財産没収の矛先になるからだ。お金は自分で稼がなければならないが、最低限の仕事の保障が無くては困る。人間同士のいざこざで失職したくないが、相手を蹴飛ばしてまで、するだけの気力に欠けることもある。人間は、誰もが一番ではない。二番や三番、敢えて言えば、ビリが居てくれるから、上があるのですよ。
自分だけが偉いのじゃない。そうね、あんたは偉いわよ。と認めてくれたり、譲ってくれるから、偉いんだと威張っていられるのよ。今日の英雄でも、明日のヒーローにはなれやしない。皆が居て、自分も同じなんだ。と思える心から、自然と上にいけるのじゃない?どんなものも基礎ができていなかったら崩れてしまう。昔のものが丈夫なのは、そういったところがしっかりできているから。技があるんだね。
自分を創るのは、先ず親であり、兄弟や友人だね。地域の大人や、関わりあう人らで徐々に形成される。保育園や幼稚園、小学校、中学校。出会いと別れを繰り返して、更なる人間として成長させてもらう。年を重ねる毎に、人間として大きくなっていく。感謝するのは、そういった関わりのあった全ての人にだ。親が子を殺す。またはその反対をする。他人においては無差別な数字。
枇杷茶には、末端における神経に至るまで、幾重にも包み込むバリアーで、心の安定を図ってくれる。でもそれは、望まなければできません。この地球に、人類が一人も居なくなってから、気づくのでしょうか?一体誰が・・・。知っているのは神のみですか?
鶯の来ていた枇杷葉。