今晩は、どうにか朧月夜が観えたが、このところ雨ばっかりで、月がない夜が多かったので、ほんとうにツキが流れてしまうよう感じた。久々の月に、何かほっとした。新聞にも暗いニュースが多いので、心の闇が広がっていくようにも思える。この地上に、必要のない人間は存在しない。けれども、心を閉ざしてしまうと、邪悪な者に魅入られるのだ。
悪魔に非ず。片や天使かもしれない。何れも、その姿を人間に似せて、そこ彼処に居る。小説の中だけであろうか。いや、小説が現実であるのかもしれない。前世の約束事をして生まれし者、現世でその約束を果たせているのか?死して尚来世に、生まれ変わるならば、約束は果たせるのだろうか。誰との約束?何故しなければならなかった?
Aさんは、誰かわからないのだけれど、とても高い処に一緒に居て、『そなたをあの場所に遣わそう。行きなさい』と、言われて生まれたような気がする。と言い、なんとも奇妙な感じがしたそうです。誰なのかははっきりせず、何となくぼうっとした感じがするのよ。あれは夢だったのかしら?あんたわかる?って、言われるのですが。う~ん・・・漠然としたことへの返事は、非常に困難を極めます。
こうなってくると、やはり神は存在しているように思う。神の形を説明しようにも、言葉でなく、視覚の分野で、見えないものが視える。という謎なのです。怖いとか、恐ろしいとかいう感覚でもない。瞬間移動っていうの?気がついたら、其処に居たんだ。証拠ねぇ、ありません。体感というのかな?今以って、不思議な感情だった。心に感応するんだ。
龍の姿を視た。というのも同じです。同時に、私が枇杷葉を薦めるのも、とても不思議な体験をしたからです。実家に行こうとして、何故か道に迷ってしまい、其処に龍が現れて乗せてくれた。顎というか、耳の裂けたところというのか、白い体毛が生えていて、硬くて痛そうに見えたのが、とても軟らかく温かでした。大きな樹の見える場所に降ろして、やさしい眼差しで見つめたのです。
それが枇杷葉でした。ですから、私が触ったもの全ての枇杷葉が、不思議な力を持つのだと思うのです。また、その枇杷葉を邪まな心で使うと、たちまちにして結果が出る。反対に受け入れれば効果を発揮する。そんな気がいたしますね。私に、何故わかるのか、わかりませんが、心にふっと湧いてくるのです。その情景が浮かんでくるのです。
人間の愚かしいところは、自分で決めて行なっているのに、都合が悪くなると、あなたが言ったから。と悪しざまに言う。相手を悪く言う前に、自分がそうしようとしたことを、考えてみなければ。ありのままを、自然に受け入れることって、真実ですからね。それはきっと自分に対して厳しいことでしょう。敢えてそうすることに依って、神の声が聴こえるよ。
昨年の12月の花芽。ほんとうに鈴生りです。この花芽の上を摘んでお茶にします。1月に入ったら、霜除けをしましょう。農文協の『びわの絵本』を参考にしてもいいよ。とても分かり易く書いてあった。枇杷を作る人が増えていくといいね。