休みである。張り切って・・・起きようとしたが、天気は悪いし、如何せん寒い。寒いのは嫌いだ。従って布団に潜る。でもまあ、いい加減起きないと、体の調子が狂ってしまう。洗濯だけはしておこう。乾かないのはわかっているが、置いておいてもきれいになる。というものでもなし。風があるから少しは乾くであろう。
Aさんの家にお水を分けてもらいに行く。雨が本格的に降り出した。手当ても少しだけさせてもらう。帰宅して用事を済ませて孫を迎えに行く。雨は止んでいた。家に着いたら風が煽りだす。飛ばされなくてよかったよ。しかし寒い。どうにかならんのか?一体、おばけのお春さんは何処に行ったの?って、違うでしょ。桜は、その殆どが散ってしまった。というのに、春の欠片もチリヌルヲ?
我が家のチューリップは、やっと咲き始めた。例年にはとっくに咲いている。今年は、海棠も遅かった。従って、満開です。温かいのか暑いのか、かと思えば、冷え込む寒さに辟易します。今日は、種茶と花芽茶を入れ替えました。仄かな香りが心地いいです。リエさんにも送ったのですが、AIちゃんの風邪はどうかしらね?元気が出るといいねぇ。
リエさんのところは、枇杷葉茶も、花芽茶、種茶といろいろミックスして、飲んでくださっているようです。どんな飲み方がいい。という訳ではなく、自分の好みの飲み方でいい。まあ、それを見つけるのには、飲んでみないとわかりませんね。またお茶では飲めない。という方もおいでかも。そういった方には、枇杷酒や焼酎漬けの種もあります。
枇杷葉は、これでないといけない。という方法ではなく、いろんなやり方でしてみてください。きっと自分に合ったやり方が見つかる。というものです。諦めないことや、試してみることを続けてくださいね。私が、ここに書いていることも、私のやり方であって、100人のやり方ではありません。同じ症状の方は、一人としていませんからね。
自分に合った、自分だけの方法を、自分で見つけることですね。病気になるのではなく、病と向き合うことでもあります。枇杷葉を知ることもですが、自分を知ることでもあるのです。今現在の時代に、枇杷葉が屋敷の中に植えられている。という状況の家は、ご先祖が何かで病になっていたとか、医者の血筋であったりとか、で植えておられることが多いです。
私の祖母は、漢方に詳しかったのですが、古い風習から屋敷内には植えていません。田舎のこと故かもしれません。枇杷葉の薬効は聞き知っており、家の近辺に植えておけばよかった。祖父は、癌で亡くなっています。流石の祖母も、枇杷葉が癌に対して、どう効くのかまでは知らなかった。と今更ながら思います。また、知ってはいても、傍についている者が、無智であれば伝わらなかった。
早朝から遅くまで、祖父に代わって働く祖母が、付きっ切りにはなれなかった。無論、医者になど連れてはいけない。診せるお金もなかった。子沢山であったが、その子どもらは小さかった。祖母の心中は無念の思いであったろう。できるなら、私は往ってきたい。祖父を援けるのではなく、祖母の傍にいてあげたい。時空を超えて、枇杷葉の効力を伝えておきたい。と思うのですよ。
昨年の、枇杷の袋かけ。リエさんには少しだけ送ったよ。祝島のと大きさは変わらなかったね。味は我が家のが美味しかった。と思うんだ。
Aさんの家にお水を分けてもらいに行く。雨が本格的に降り出した。手当ても少しだけさせてもらう。帰宅して用事を済ませて孫を迎えに行く。雨は止んでいた。家に着いたら風が煽りだす。飛ばされなくてよかったよ。しかし寒い。どうにかならんのか?一体、おばけのお春さんは何処に行ったの?って、違うでしょ。桜は、その殆どが散ってしまった。というのに、春の欠片もチリヌルヲ?
我が家のチューリップは、やっと咲き始めた。例年にはとっくに咲いている。今年は、海棠も遅かった。従って、満開です。温かいのか暑いのか、かと思えば、冷え込む寒さに辟易します。今日は、種茶と花芽茶を入れ替えました。仄かな香りが心地いいです。リエさんにも送ったのですが、AIちゃんの風邪はどうかしらね?元気が出るといいねぇ。
リエさんのところは、枇杷葉茶も、花芽茶、種茶といろいろミックスして、飲んでくださっているようです。どんな飲み方がいい。という訳ではなく、自分の好みの飲み方でいい。まあ、それを見つけるのには、飲んでみないとわかりませんね。またお茶では飲めない。という方もおいでかも。そういった方には、枇杷酒や焼酎漬けの種もあります。
枇杷葉は、これでないといけない。という方法ではなく、いろんなやり方でしてみてください。きっと自分に合ったやり方が見つかる。というものです。諦めないことや、試してみることを続けてくださいね。私が、ここに書いていることも、私のやり方であって、100人のやり方ではありません。同じ症状の方は、一人としていませんからね。
自分に合った、自分だけの方法を、自分で見つけることですね。病気になるのではなく、病と向き合うことでもあります。枇杷葉を知ることもですが、自分を知ることでもあるのです。今現在の時代に、枇杷葉が屋敷の中に植えられている。という状況の家は、ご先祖が何かで病になっていたとか、医者の血筋であったりとか、で植えておられることが多いです。
私の祖母は、漢方に詳しかったのですが、古い風習から屋敷内には植えていません。田舎のこと故かもしれません。枇杷葉の薬効は聞き知っており、家の近辺に植えておけばよかった。祖父は、癌で亡くなっています。流石の祖母も、枇杷葉が癌に対して、どう効くのかまでは知らなかった。と今更ながら思います。また、知ってはいても、傍についている者が、無智であれば伝わらなかった。
早朝から遅くまで、祖父に代わって働く祖母が、付きっ切りにはなれなかった。無論、医者になど連れてはいけない。診せるお金もなかった。子沢山であったが、その子どもらは小さかった。祖母の心中は無念の思いであったろう。できるなら、私は往ってきたい。祖父を援けるのではなく、祖母の傍にいてあげたい。時空を超えて、枇杷葉の効力を伝えておきたい。と思うのですよ。
昨年の、枇杷の袋かけ。リエさんには少しだけ送ったよ。祝島のと大きさは変わらなかったね。味は我が家のが美味しかった。と思うんだ。