枇杷の葉なし

枇杷の生育や、葉・花芽・種のことを日々の生活のなかで書いていく。

寒さ堪えて・・・

2010年04月16日 | Weblog
 日中の気温は上がらず、しかも雨が降り出した。寒さが身に堪える。懐炉をしてきてよかったよ。ほんっとに寒いんです。テレビのニュースで、雪があちこちに降った。と伝えています。野菜の値上がりは当然でしょうが、この寒さで苗が育たないのが困るだろうな。こういうのもある程度は予測がつくのです。旧暦を知っておれば、何十年に一度かは起きることで、今年はそういった、踏んだり蹴ったりの年にあたる。

 人間の、およそ人類の都合勝手には、地球はならない。というか、惑星連合の結託で、地球を守るか、人類を滅亡させるかの、選択を迫られているのではないか?って、誰にだろうか。神の意思にか・・・。ふ~ん、そうかも。そういえば今日、某テレビに『祝島』が出ていたなぁ。なんでもたった一人で30mもの長さの石垣を組んで、3段の棚田を作り上げた人が居たらしい。なんとも凄い執念です。

 言葉、というものの使い方。自分を中心とした場合。目上の方には、敬語を使います。或いは謙譲語ですね。でもこれは、よほどの地位のある方を除いては使いません。普通に話すと言いますが、これが結構難しい。特に最近の言葉の乱れには、思わず仰け反ってしまう。『お客さまの電話番号を頂けますか』即答しますね。『何のためにですか?NTTから電話番号は、お金を払って買っておりますので、差し上げる訳にはいきません』

 これによく似たのに、『お名前を頂けますか』内心で、『何であんたにやらなきゃならないの?』と笑いつつ、加賀美幸子アナか、広瀬久美子アナになって、説教をしたい衝動に駆られる。広辞苑を枕代わりにしててもいい。六法全書が読めなくてもいい。サラリーマンNEO!だけは観てね。NHKでここまでやる?というくらい面白い。最近、笑えることが少ないが、これは希少価値がありますね。がんばれ川上君!!

 おっしゃる。言われる。話される。普通は、言う、言われた、話した。丁寧に言おうとして、へんな日本語になっていることに気づかない。記録をしていく場合には、言ったことをそのまま書けばいいが、会話となると、自分と相手の立場を、考えなければならない。日常の生活に於いてで、日本語の勉強会ではないのだから、少々のことはいいではないか?という本音もあろう。でもね、日本人なのですから、美しい言葉、響きのある日本語を話したいものですね。

 小説を読んでいると、そういった言葉の美しさに出遭います。使っているひらがなや漢字に、人の心の奥の深さや、色の様々なバリエーションを、想い描くことがあります。草木の佇まいや、花の咲いている様も、季節によっては異なることが、作者の息吹と共に感じれるのです。無論、そういったことには、自然に培っていく知識がなければ、何等感動もしません。ベストセラーを、単に眺めた。というのに過ぎません。

 リエさんの小説。これは一つの物語の世界だね。実際に存在しているような感じがするんだ。ああ、そうだね。きっとあるよ!例え、創られているのであっても、始まりでもあるのだから。物語を紡ぐこと、その物語を読んでいくこと。縦糸と横糸の織り成す模様が、新たなる物語を紡いでいくんだね。そうして世界を生んでいく。小さな宇宙ができた。

 枇杷葉の真ん中の辺りです。木の太さは、さほどありません。実際、プランター仕立てです。ひょろひょろしていたので、こんなに育つとは思いませんでしたから。
コメント
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