枇杷の葉なし

枇杷の生育や、葉・花芽・種のことを日々の生活のなかで書いていく。

夕顔の咲く・・・

2011年10月07日 | Weblog

 夏の夕方、いつの間にか開いている夕顔。その匂いに、今夕もまた咲いたことに気づく。白い大輪の花に似合わず、清楚で儚げだ。光源氏が、このなよなよとした花に、目を留めたのには、黄昏時のもの哀しさを伴う、心の襞が重なったからだろう。

 源氏物語は、原文を読んではいなく、田辺聖子氏の訳。それも、大和和紀さんのコミックからだ。なかなか、宇治十帖までは読みづらい。根気が失せる。しかし何とか読み終えた要因は、訳者が好みであったからだ。

 祖母も、夕顔が好きで、畑の片隅に、数本を植えていた。夕顔には、もう一つあって、干瓢も相呼ぶのだ。こちらは匂いもなければ、花が大きすぎて草臥れる。巻き寿しの具になるだけで、食べようがない。きれいに干して売っていた。

 干瓢の方は、蔕は牛に刻んでやる。それを足に挟んで歩いたり、手に填めたりして遊ぶ。芯は、種を取って食べる。種を一つづつ取るのが面倒で、庭に飛ばす。スルリとしていて滑るので、わざと飛ばす。上手くやると結構痛い。

 今夏、最初に咲いた一輪。まるで月の子が生まれてきたような・・・

コメント
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