産まれてくるのは一人であるが、産んでくれる親がおり、守ってくれる人も居る。決して、自分だけで生まれてきたのではない。何れは死んで往くのには違いないが、それまでに為すべきことがある。親という立場の者に、育まれて大きくなり、自分もまた、親になる。
縦の繋がりも、横の連結も、同じくらいに絡まって、一つの家族ができている。自分だけでの判断でなく、知恵を借りたり、悩みを打ち明けあったり、其々が尚、強い絆で結ばれていくのが家族のように思う。現代の家族は、他人のように兄妹がなり、隙あらばと狙っている。
世の中の仕組みは、複雑に入り組み、絡んだ糸のように解けない。家族の中も、疑心暗鬼になる。相手の立場や、暮らしを思い遣ることはない。心の狭さは否めない。父母が亡くなった今、何も欲しいものはない。叱られることもなければ、優しい言葉もかけられない。
今を大切に生きる。その何と容易く、難しいことであるか。素直になれば、心が通じ合うというに。今日という日を、精一杯に生きる。生かされていることを、感謝して暮す。粗食であっても神に祈ることを忘れない。それらを常に心がけよう。
朝、鼻水が止まらない。背中がぞくっとした。体温は35.7℃である。体調が悪いといって休めない。日曜日なのだ。ハッと思いついて、梅ジュースをペットボトルに入れた。勤務先に持って行き、極力飲む。頭がシャキッとし、鼻水が止まった。
夏の終りの様子。撫子、下野に挟まれて、枇杷葉苗が育っている。