できれば知りたくない出来事。なるであろう事故の予感。けれども、そのことをどうやって伝えれば、信じてもらえただろう。或いは、受け取り方に依っては、不吉なことに繋がる。何故、わかるのかとも言われるだろう。証拠もなければ、説明すらできない。
だが、わかるんだ。これから起こり得る未来のことが。それとはなしに、伝えてはいるが、実際には、何時何処でとは言い難い。未然に防げることもあれば、心の隙間に入り込むこともある。でもそれを、どこまで信じるかにも依る。
例えて、家相が悪いのも、姓名も、其々に一生懸命に考えたこと。そのことを簡単には云い難い。先ずは、聞き耳をもたないだろう。大事の前の少時になるように願い、皆の思いは同じであろうから。でも、肝心要のことが抜け落ちていれば、悪い事は重なっていくのだ。
人間の回避能力は、必ず備わっている。或いは、そのことを教えてもくれる。それなのに気づかないか、気づいても信じないかだ。枇杷葉の力を最大限に使えば、防げたこともある。但し、棚ぼた式ではなく、努力をしての結果になるが。
枇杷葉のエネルギーを流して、それが伝わってくれさえすれば、その命は助かる。そうでないなら、触れることもできない。或いは、流れてはいかない。それを仲介するのが枇杷葉で、そこに拘わりがないと相反してしまう。
私の波動は、枇杷葉に依ってもたらせられ、そのエネルギーは、どんなに離れていても送れるが、拘わりがなければ援けることができない。また、拒む者には敢えて送れない。枇杷葉の再生能力は解明できていない。
銀河の眠る周りには、鉢やプランターが囲む。四季折々の花が咲く。今は、庭のあちこちに姿がある。