昨夜の寒さが堪えたのか、厭重労働に因る肩凝りだ。気分が悪いくらいになって、首が回らない。半勤なので手早く片付けて、午後を少し過ぎて帰宅する。直ぐに、蒟蒻を温めて肩に乗せるとほっとする。頭痛が治まり、気分も落ち着く。
旧暦の暮らしには、昔ながらの良いとこ取りがあるが、現在に活かし切れば、尚更であろう。太陽の高さで時刻を知り、早寝早起きの奨励である。猫や犬を飼うのも、残り物を捨てるのよりはいい。贅沢に与えるのではなく、共存である。
最近の日本語の乱れは、云うまでもないが、お昼というのはわかるが、お昼食は可笑しい。これの言い方は、ちゅうじきとも。平安時代や高貴な方々は、自分のことをわらわと呼んでいた。この時代には御膳であったかも。格式がある。
丁寧なのと、莫迦丁寧なのは違う。謙譲語、謙遜語、使い方や使う相手にも由るのでは。何にでも、お を付ければ好いのでもないだろう。正しい日本語を使う、標準語もわからない馬鹿者が多い気がする。礼儀を弁えるの意味も違うよ。
それでも、細かいことばかり言うのも、と余り指摘をしないが、そういった基本は、先ず家庭で教え、保育所や幼稚園での集団生活を経て、就学していくものだ。三つ子の魂百まで、とも言うが、それまでに親がしており、手本を見せないと。
小さい時の子どもは、泣くしか手段がないから泣く。育っていくに従って、知恵がつき、親の言うことや、していることに矛盾を感じ、口応えをするもの。幼児の内から、一人で入浴させ、勝手気儘を認めていれば、長風呂が当たり前になる。
それを怒る親が可笑しい。何時まで入っている。洗ってない等言うのが間違い。だったら初めから一緒に入って洗ってやり、時期を見て、一人で入れるようにしてやらねばならない。少なくとも、小学校の高学年までは義務と責任があろう。
我が家の孫でないので、殺されようが、どうされようが関係ない。然し、毎日繰り返される叫び声には、閉口する。逃げ場の無い児を、虐待していると受け取られるのは当然だ。兄妹喧嘩でもない泣き叫びを無視はできない。次は110番。
西の夕空に、燦然と輝く惑星。見飽きぬ金星の輝きに、遠く惑星系の成り立ちや、星の話を思う。