枇杷の葉なし

枇杷の生育や、葉・花芽・種のことを日々の生活のなかで書いていく。

彼岸桜、秋の景色。

2015年09月24日 | Weblog

 青空市に行く途上に、桜並木がある。春には、枝垂れ桜に先立って咲くのが、例年なら11月に満開となる。ところが今年は、天候不順の折柄、彼岸の時期に開花した。自然界が異変を起こしているのが不気味だ。台風の影響からか、雨に濡れて淋しい。

 図書館に寄ろうとしたら、何と休館である。明日は、研修があるのだが、一旦帰宅して寄らねばならない。実に不便な図書館に、些か立腹をし、困惑した次第だ。旧暦での対応までを、望んでのことではないが、閉館が早かったり、休館が多いのは困るよ。

 リエさんに連絡するが、携帯が繋がらない。通草を、ダンボールに詰め、新聞紙を敷いて、潰れないように梱包した。それでも心配で、天地無用を貼ってもらい、果物であることも申し添えておく。開いていないのを選んで入れたのだが、潰れないことを祈る。

 子ども本を書かれる方には、言葉の正しい使い方を、特にしてもらいたい。お花にお水を上げる、という表現は間違い。花に水を遣る。それなのに、『でも』という書き方には、失望する。〇〇でも、という書き方ではなく、〇〇をするにしてもらえないのだろうか。

 お茶を飲む気になったら。お茶でも飲む気になったらでは、文の印象が変ってしまう。珈琲にされますか?紅茶にされますか。とこれに、でもをつけて言ってみれば、相手の受け取り方にも因るが、随分と感じが違ってくる。お茶でも、と言われたらさり気無く断る。

 何でもかんでもに、可愛いと言い、あらゆることを上げる、と表現するのは可笑しい。慇懃無礼と言うのだ。それを教えてくれたAさんも、お茶でもと言われることがあり、がっかりする。個人的には、正しい日本語を使い、その場に応じた使い分けをしたいもの。

 雨のそぼる庭を見て周ると、枇杷葉の中心に硬い苞が覗いていた。東側の長崎茂木と、フェンスの傍に置いている鉢物だが、サンタ枇杷葉と、南側の長崎茂木にも見えた。白枇杷は未だない。小さな秋を見つけたようで、とてもうれしかった。冬が待たれる。

 丁度、半年前の春分の月と金星。春の夜空には、淡く星が輝く。西の宇宙には、大曲線がやわらかに延び、一際、眼を惹く金星。

コメント
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