入梅前の梅は、青酸中毒のこともある。然し、子どもの頃、お八つというのもなく、青であっても塩をつけて齧った。時には、黄色くなったのがあって、これは熟れているだけに、甘酸っぱい。ところが、食い意地が張っているものだから、気づかない。
たちまち七転八倒の苦しみである。祖母に呆れられつつ、手当てをしてもらう。保存食品は貴重なので、梅干と言えども勝手には口に出来ない。1つをもらうと、時間をかけてしゃぶり、種は口の中で吸い尽くす。加えて、天神さまも割って食べた。
これを、青い梅でやったもので、そこまでの危険は思ってもみない。否、1年前のことなど、記憶の彼方にぶっ飛んでいる。酸っぱい物が嫌いな方には、創造もできないことだろうが、お菓子の類など買ってもらえない頃には、何でもよかったもの。
何時も、お腹を空かせていたし、この時期の野苺や、麦苺、ユスラ、グイビ、枇杷等、食べれる物は奪い合いである。石垣には蝮がいるので、恐々取っていた。実際、今の子は、何が季節の旬なのか、どんな所に何があるのか、知ろうともしない。
そろそろ笹百合が咲き出す。あの清らかな百合の群生を、見ることは不可能だが、祖母と行った風景を克明に覚えている。朝靄の中に、光が射し、白と薄桃の蕾が、俯き加減ですっくりと立っている姿は、それは美しいものである。羽衣を纏って。
一面の笹の中に、笹そっくりの葉をつけて、咲いている格好に、息を呑む。茣蓙に包んで持って帰り、床の間に活けての夜半。咽返る強い匂いが部屋中を満たし、外に漂っていく。毎日、水を換えて精々1週間の間、健気に咲き続けてくれる百合。
花屋で見る大輪の百合は苦手だ。最近は、鉢仕立てで売っている。でも、子どもの頃に見たような姿ではない。侘びしいばかりの花姿である。古里も大幅に変わり果て、その面影の欠片もない。既に両親も土に還った。還暦を過ぎれば走馬灯。
サンタ枇杷葉。昨年は花芽はあるものの、1粒しか熟れなかった。今年は、どうにか大きく育っている。