認知症に関しては、出版物も多く出ており、現場とは異なるものの、症例として読んでおく。人間だけであるが、延命措置を取ろうとする。自然界でなら、そのままでいいようにも思えるが・・・機械に繋がれてまでも、生きていたいものだろうか。
同僚と話したことに、他人任せで死なれるよりも、収入は減るだろうが、心を籠めて看取りたいものと言うと、個々の対応までは、断定できないねぇ。と辛そうに返事をする。実情は、社会のシステムが、其処まではなっていないからであろうが。
施設の中でも様々で、入院騒ぎを起した親に対し、本来なら直にも駆けつけるのを、既に2週間が経過している時点でも、訪れて来ない。呆気に取られる。開いた口が塞がりません。親の年金は横取り、支払いは滞る。面会にも来ないのだ。
親が育て方を間違えた、と言えばそれまでだが、余りにも非情である。面会に来ないのは、後見人を放棄しているのじゃない?年金だけを手元に入るようにして、下着一枚さえ買って来ない。見るにみかねて、持って行くが真心は通じない。
その反対に、必ず毎週おいでになる息子さんもおいでだ。以前には、親父のことは知らん。と大喧嘩をされていたが、義務と思ったのか、仕方なくかは存ぜぬが、せっせと足を運ばれる。こちらは、美味しい珈琲を淹れて、ボランテェアである。
お金があるから、施設に預けておいででしょう。自分の金でなく、親の持っている財産です。小遣いにも不自由するような、逼迫している当人ではない。贅沢をさせて、というのではないが淋しいもの。心が痛まないのだろうなぁ・・・哀しいねぇ。
枇杷が熟れてきている。袋が幾つか落ちて、中味がない。烏なのかなぁ・・・日中に居ないので、はっきりは分らないが、枇杷の熟れたのを狙っている。利口だと感心するが、明日は研修なので、明後日にしか収穫できない。自然の掟です。
薔薇の根元に、何時しか繁殖してきたアリッサム。年中、種が零れては芽が出て、しているのが可憐。