天気となり、蒲団を干すが、時雨があったらと、庭の手入れをする。雨も、降るのはあり難く、水遣りの心配はないものの、繁った枇杷葉の下では、それも届かない。小まめな見回りが何よりだ。食欲がなく、寒さが堪える。自宅に居れば、季節の気温だが、職場では南極か北極となる。
身体は、冷たくなってくると、病気の温度拠となってしまう。癌細胞も活発化するようだ。元来、身体には自然治癒能力が備わっており、無理矢理に治そうとするから、異変が起きるのだ。歳を重ねたり、過酷な状況が何年も続けば、細胞に異常事態が発生する。身体を犠牲にしては否。
然しながら、過酷な状況を我慢する者も多い。詰りは、要領よくさぼることが出来ない。身体の危険信号を知っていても、即時の対応は難しい。皆が、自分の思う働き方が可能なら、遣り易いのだが、企業に依っては異なる。どんな仕事にも、苦労はあるし、簡単な内容は有得ないものだ。
地球今昔と言うか、恐竜時代でも、原始時代でもないから、それらについていこうとすれば、何等かの弊害は生じる。江戸時代や、平安時代に往きたくても、簡単には翔べない。人間の科学への過ちが、原発を産み、地球を壊していくが、それを停める手立ても講じれない。地球の嘆き。
我が家の庭には、銀梅花が咲き終わり、カラーに転じているが、南天の花と銀梅花の花弁が、其処等中を白く敷き詰めている。風が強かったせいもあって、花吹雪だ。桔梗の青と白がすっくり立っている。かすみ草とカーネーションも、風に揺れているのがやさしい。休日はのんびりと。
娘夫婦から、お中元のリストが届くが、余り欲しい物はなく困惑する。買いたい物というか、物欲も薄れている。人間の本能にも、年齢と共に退化するものがあるようだ。何が何でも欲しいという気分が、既に消えている。唯一、瞳みのるさんの、生演奏には行きたいが、慌てずでいい。
タイガースのDVDも、今まで買えなかった物も、手にしてみるとそれまで。今後は、これを観ればいいと思うし、大勢の人混みには行きたくない。年間に数回の、外出にも、趣味を活かしたものでいい。自宅での一人舞台こそ、今まで手に入らなかった時間の余裕がある。あり難いもの。
芍薬の花の、咲き始めだ。子どもの頃に、祖母が花好きだったこともあり、愛でる歓びも。