枇杷の葉なし

枇杷の生育や、葉・花芽・種のことを日々の生活のなかで書いていく。

梅雨明けになる・・・

2018年07月10日 | Weblog

 豪雨の跡も生々しい河川に、青空市へ向かいながら、衝撃が隠せない。道路の際迄川水が押し寄せている。今も、溜まっている。天は抜けるような青さで、雲はあるものの風があり心地よい。汚泥に埋もれた地域の方は、暗雲たる思いだろうし、言葉もないだろう。自然からの警告に耳をかそう。

 庭の片隅で、白い桔梗が咲いている。その姿が、何とも儚げで淋しい。人間の生きざまを垣間見たようで、胸が突かれる想いだ。神さまの決断は、人智を越えるが、悪い者は生き続ける。この国の行く末を憂い、このままではもっと荒涼とした世の中になる。自分の考えを持ち、選挙に臨もう!

 三連休も済み、今夕には研修がある。明日からは勤務が待っている。身体の調子が、何となく怪しいのだが、自分で選んだことなので、行かねばならないのだ。辞めることも頭に入れており、状況が悪化すれば決めねば、と思っている。明日があるようで、無いに等しい。命の保証はないのだよ。

 JRの復旧も、あちこちで支障が出て、全面開通は時間も係るようだ。新幹線は運行しているようだが、普通には通じない。これらにも対応でき、災害時には迅速な措置が講じられのが望ましいが、直ぐに料金的な算段になり、損得勘定ばかりする。まあ、高架線からの上り下りにも問題があるが。

 すばるをそのままにして、避難することは考えていなかった。加えて、ここは神域なので守られている確信があった。枇杷葉に手を合わせ祈り、感謝の日々を送れる幸せを。晴耕雨読を、自然を敬い、先祖に感謝もし、己を自由にすることで、命を預けたのも幸いしたのだろう。あり難いことである。

 古里が気にはなるが、想像するに無残な痕だろう。棲む者もなく、朽ちてゆく家屋では、成す術もない。田舎を嫌って出て行った者には、古里への愛着はない。田畑も荒れて野晒しだ。野生動物の足跡も鮮やかな、田舎の形相に眼を瞠る。手入れをすれば、何某かの物も実るのに、放置して入らない。

 走馬灯の如く、思い出す景色は、二度と元には戻らない。貧乏ではあったが、皆の顔が揃っていた頃には、決して還れない。時代を遡って往くことが出来るならば、懐かしい風景に出遭えるものを。でも、時間は待ってくれない。歳を重ねて、還るしかできないのだ。それが生きることに繋がるんだ。

 星の瞬く天に、祈りをしていると、流れ星の観えることがある。天然の素晴らしいショーに感謝。

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする