枇杷の葉なし

枇杷の生育や、葉・花芽・種のことを日々の生活のなかで書いていく。

暑中お見舞いですが・・・

2018年07月15日 | Weblog

 岡山が晴れの国と銘打っていても、自然は侮ってはならない。山の手入れを行い、水の流れを確かめ、溜め込むことよりも、逃がす工夫をしていたら、とも思える。昔の人の知恵を軽んじることや、文明の利器に溺れないことにも繋がるのに、そういった検証を怠ったのは否めない。事は起きてからでは遅い。

 同時に、そこで生活する者は、地形を調べて、便利さだけを追求しないことだ。不便であったり、もしやの感覚を磨くことも、しておくべきことだった。それらは全て、自然の敬いに値し、感謝の心でいることにも依ろう。今の政府の金銭感覚はマヒ状態で、まともな考えの者は居ない。借金だらけの国庫!

 本日の稲荷鮨は、暑さでばてようかという季節に、インスタントだが、酢飯をしておきこれに具材だけを混ぜる。早出勤務にご飯を炊いてもらって、少し早いが家を出た。朝の施設は大混乱で、どうにか酢飯の用意をした。その後は、職員と一緒に作り、皿に並べていった。お粥の方には違う献立で提供です。

 外は猛暑でぶっ倒れそうな温度。家に居れば夏は暑い、と覚悟をするが、それが通らない実情です。然し、洗濯物は干して、乾けば取り込むので、数分なのに汗が噴き出る有り様。熱中症にもなろうという。ぐったり疲れ、勤務を終えて帰宅し、枇杷湯に入って汗を流す。洗濯機を回して、書きかけのブログに。

 何が心配かって、すばるのことばかり。扇風機は回して遣って、窓も網戸にしているが、玄関やそれなりの馬首は、閉め切っている。暑いのは分っているが、何処かに潜んで耐えていると思い、帰宅すると窓を全開にしてやる。昨年のことを考えれば、既に1年3ヶ月が経ち、体も大きくなって安心している。

 日常の悪戯も、来た当時とは少なくなって、手加減を覚えてきた。躾は、小さな時にきちんとしておくのがいい。人間も同じであり、肝心なことだけで充分な効果が。なまじ猫可愛がりはいけないようで、後での修正は効かない。まあ尤も、よるべのない者同士で、仕方なく懐いているのかもしれぬが・・・

 新暦と旧暦の違い。はたまた、月の満ち欠けや、潮の満干潮に、大潮・小潮等、自然からの教えや学びは多くあるもので、何もなかった時代、古人の知恵と思考を知るのも面白い。学校では学び切れない知識は、自分の探求心や、研究にある。少年ケニヤを読む度に、何もなかった時代の、歓び愉しさを思う。

 薔薇園の白い薔薇。白い色なのに、全体が緑を帯びて見える。わかな、という名前だったかな。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする