暑さは増しているが、それでも晴天になり、復旧のめども立とうとはいえ、亡くなった方や、未だに孤立している方も。休日を堪能できる幸せを感謝する。昨日の、沢田研二さんのコンサートは、個人的には充実した選曲で、これが本来の姿なのを再認識した次第。当たり前のことを有りの儘に。
網戸にしていると、風がよく通って気持ちが好い。雀が軒下に雨宿りにきたのにはびっくりしたが、よく見ると餌を上手に捕っているのだ。我が家の居心地は好さそう。昼に、職場の若いのが来て、一緒にご飯を食べる。ちょっとした酢飯に、冷蔵庫にある物で済ます。お八つ持参で来ていた。
その後、Aさんちに水を分けて貰いに出かけ、水害の情報を聴き合って帰る。すばるは、安心からか、のんびりと眠っている。今回の被害は、土地勘のなかった場所に広がった気がしてならない。国内が大変な時に、国外の対策ではない思いだ。泥棒が入ってから、縄を綯っている気が強いが。
避難警報が出てはいたが、すばるを置いては行けない。人間、いざとなれば死ぬことは容易い。誰だって命を終えるのだから、それが早いか遅いかでもある。慌てず騒がず慎重に、自然の声を聴こう。そう思って動かなかったのが好かった。無事に朝を迎え、勤務にも行け、こうして居られるよ。
自然現象の影響にも依る。今回は小潮だったし、月も下弦で、満干潮の時期に合わなかったのも、幸いであった。被害が大きかった場所は、地形的なことと、新開地の影響にも依るのではないか。広島は、原爆の被害が既に73年も経過しているとは言え、その影響が大きく係わっている気が。
自然被害と、科学的な影響での被害とでは、甚大に異なる気がする。原爆・原発の威力の大きさには、化学も及ばぬものが存在するのではないか。どんなに科学者が突止めようとしても尚、立ち塞がる非力さは否めまい。人智を越える恐ろしい世界を、人類は創り出し、原発の再稼働を容認する。
何も、江戸時代に還ろう。と言うのではないが、不便さや簡単さが無くても、人間は暮らせる。コンビニもスマホも必要なく、テレビも以前の状態で充分だ。文化的に向上していたって、世の中の仕組みは相変わらずで、男社会が罷り通る。セクハラも堂々として、偉い者が遣る。嘘つきばかり。
風は知らない。のように、きれいな虹に出会う歓びだけで、生きられるのがいい。そういう風に、自分の状況を置けたらいい。この詩を書かれた岩谷時子さん、歌う沢田研二さんの声に胸を吐かれた。大好きな曲だけに、コンサートで聴けてうれしかったです。新曲の屋久杉、沖縄の実情にも感激。
赤い薔薇の、蕾からちょっと綻んだ状態が、とてもきれいだ。花の命は短いけれども美しい。