枇杷の葉なし

枇杷の生育や、葉・花芽・種のことを日々の生活のなかで書いていく。

花のお江戸は・・・

2019年04月01日 | Weblog

 今回の上京の目的は、吉良邸より泉岳寺まで、討ち入り後の経路を辿ろう。という願いに、リエさん始めとしての、しーちゃんや他の方々を巻き込んでの散策となる。何と頃合いもよく、お江戸は春・桜の花の咲く中の道中でござる。前日には、はり灸さんでの枇杷葉の治療も終え、準備万端に整えて。

 然し、歩き始めて直ぐに、一の橋が分らない・・・探して行くが、早挫折しかかっていることに気づく。松尾芭蕉記念館に趣き、館内を見ながら手洗いを借り、気合を入れ直して出発。墨田川を下り、江戸城、八丁掘り、と歩きつつ、実に橋の多いことに驚く。深川に出てそこから築地を目指して行く。

 聖路加病院には、浅野内匠頭の上屋敷跡があるいうので、歩きまわって探し、やっと見つける有り様ではあり、宮部みゆきさんの、平成お徒歩日記にあるようには歩けません。道路も工事を繰り返されており、信号を曲がるのも一苦労。病院の敷地内がだだっ広いんです。ここだけで迷子になりそうです。

 で。その碑の傍に、何と枇杷葉苗を3本ほど見つけ、奇遇な事に騒ぎ立てる。道端にはドクダミや、ユキノシタが新芽を出しているし、春の天麩羅を思いつつ歩いた。同伴者は、食べれるのか?と甚く感心しているが、緊急時には凌げます。道端の草とて、命を援ける役割もあるのですよ。薬草の蘊蓄を。

 築地では、昼時を可なり過ぎているのに、混雑ぶりに慌て、あわや昼飯は抜きかとも不安に。何とか待つこと数分で腰掛に落ち着き、鮨を口にできて安堵。さて、本腰を入れ直し銀座に向かい、歌舞伎座を横目に日本橋へ。お江戸日本橋七つ立ちで、品川に向かうのですが、午後も既に二時が来ているのだ。

 リエさんの足の調子がイマイチで、一人電車で泉岳寺に行って待つとのこと。残りの者は徒歩で一本道を進む・・・。何処が真っ直ぐの道なのか、というくらい曲がりくねっている事情です。工事中の看板と、柵が異様に多い。年度末でもあるので、仕方のない現状です。これはもう、ひたすらに歩くぞぉ…

 ブーツの中には枇杷葉を敷き、腰にも枇杷葉の生葉を当てているが、アスファルトは足が疲れる。はり灸さんに行っていなかったら、到底この距離は無理であった。天気は雨の気配がするものの、ぽつりとも落ちて来ない。風は少しばかりで、歩いていると汗ばむ。しーちゃんばてたか。根性が要求されるな。

 泉岳寺の近くなった手前で、ちょっと休憩をしてメールを打ったり、枇杷葉茶を飲んだりの憩いを挟む。ここまで来れば、目的はあと数歩となる。田舎の河のような道路を渡る直前に、リエさんに連絡するが、道幅が広すぎ姿は見えるが声は届かず。信号が何とも長いのです。着いたです。ここが泉岳寺である。

 思い起こせば、一昨年の上京の折に、リエさんが吉良邸跡に、回向院から連れて行ってくれたことに始まる。八重桜が咲いていた。以前に、宮部みゆきさんの、文庫を読んで、赤穂には行くが泉岳寺には未だ、という気持ちが突然もたげてき、歩こうと即決したのだが、即座に無謀だと却下されての今回の達成。

 泉岳寺は、線香の漂う境内で故人を思い、皆で焼香をしながら回りました。わたくしは浅野内匠頭と、奥方、大石内蔵助だけでした。どうも苦手なんで、リエさんと二人は外れて、しーちゃんに任せました。その後、満願達成の打ち上げを行い、帰路に着いた次第です。周章狼狽・疲労困憊の一日でしたが。

 リエさんちに帰り着き、という寸前、雨が音を立てて降ってきました。傘の用意をしていたので、濡れることはありませんでしたが、その雨は明け方まで止みませんでした。夕食は済ませていたので、お風呂にいれてもらって、リエさんちにある、忠臣蔵の本を読みながら、四十七士を偲んだ一日でもあった。

 月も、月面探索でなく、実際に住むとなれば、これは並みの人間では持たない。謎は尽きない。

コメント
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