二十四節気 清明 春の日差し強く、天空清く晴れ渡る、と言う意で、清明と呼ばれる。毎年、四月五日頃である。昨日は花見には寒い気温だったが、本日は頃合いの花見日和で、施設でも地域密着の宴です。我が家の海棠も咲き始め、狭い庭に花が溢れる。枇杷葉の枯れた花芽を落とす。
通草が、新芽を出してきている。花は咲くが、結実にはどうなのかが不明で、自然からの恩恵を待つばかり。李も、数輪の花が咲いたが、例年実はない。買った時点では、2個ほど生ったが、以来さっぱりとなっている。水仙は、毎年咲いてくれず、がっかりするばかり。肥沃な性質かな。
友人が訪れ、赤穂浪士の道中と花見の様子を語る。この友人、そういった情緒には興味なく、ひたすらディズニーランド一点張りで、今回も行かなかった。個人的には何が楽しいのかが、わたくしには理解できない。下町の、江戸時代の何気ない場所こそ、愉しみが隠されているのだが・・・
勤務に出て、同僚から風邪を移される。雨が降りそうなことぐらい察するか、自転車であれば傘や雨具は、付けているのが常識と思うが、人を当てにばかりで、一向に改めない。ずぶ濡れになって帰宅し、風邪を引いたと言うが、心掛けが出来ていない。マスクも鼻を出して無意味でしょ。
本来なら、風邪を引くこともないのだが、長期の休みと、気分とが合わさって、運悪く鼻水が出る。無論の事、枇杷葉茶は欠かさず、通草酒も口にするが、体力の落ちている身体には効果が薄いのだ。明日までの休みで撤回しよう。洗濯を済ませ、蒲団も干しての、のんびりと読書三昧です。
図書館が、月末から来月六日まで閉まる。困るんだよなぁ・・・こういう時にこそ開けて、本を読める環境でいて貰いたい。本離れが進むので、余り人出も見越せないとか。本を読まないと、活字を見ないと文章は書けない。職場でも、タメ口言葉のままパソコンで打っているのに仰天した。
洗濯物が、実によく乾く。少々の風もあって、衣類のはためくのも乾きがいい。人間も、風通しができれば、黴も消えるし、お頭もすっきりするだろう。一度言った言葉は取り消せず、謝るって通じないでしょ?国会議員の質の低下にも拍車が掛る。血税を何とも考えずに、何様の心算なのか。
ドンドン、どんどん伸びていき、天井を目指す植物。ランナーが伸びては、芽を出すのも。