天気である。気温もぐんぐん上がって暑く、窓を開け暖房を消す。昨夜に多少のお湿りがあったらしく、表が濡れていた。本日より4連勤であるが、半勤を挟んでにしている。施設ではマスクの配布があったが、この枚数では如何ともし難い。勤務先には予備があるらしく、足しての支給である。余りにも遅すぎて有り難くないが、一応貰っておく。
燃料を補給し、青空市に寄って山菜を、リエさん宛てに送る。何か贈ろうかというのを断り、上京した時にお世話になるので充分と伝えておく。実際、冷凍庫も箪笥も一杯で、入りきらない。これ以上の確保には、余分な物を買うことになるのです。喜んで食べてくれれば、言うことはありません。こういう時ですから、笑顔で居てくれれば充分です。
コロナが悪いように謂われるが、そうとばかりは言えない。これまでの人類の無謀さが、結果的にはこういうことに繋がったのだ。免疫にも抗体にも、今までに培ったものがなくては、手立ては何もありません。枇杷葉茶を飲んでいてよかった、と思うこの頃です。沢田研二さんのステージを観に行きたいが、こればっかりはどうなるのだろうか…。
ストレスも溜まるが、自分也の工夫で乗切ろうとしている。そこに携帯が鳴り、これから行きますが、との連絡があって、他部署の人だが我が家迄プレゼントを持参する。わおぉ!ケーキじゃんか。昨日の苺大福のお礼らしい。珈琲を出したが猫なのを失念していて、舌が火傷したと言う。牛乳を足しても熱かったらしい。ごめんね、分っていたのに。
夕方の闇に紛れて、毛虫が薔薇を食べている。何とか数匹捕まえたが、カメムシとの格闘にも疲れていただけにうっかりしていた。後は、お酢での散布にする。折角の新芽の蕾にも害が出そう。彼等にしてみれば、格好の餌になるのだから、必死であるのだが、こちらは花も咲かせたい。こういうのも人間の勝手に過ぎない。何と言う身勝手さであるか。
枇杷葉の花芽を少し取り除いたら、意外と結実している。昨年程には生っていないが、1枝に10粒位は付いている。有り難いことである。今年は裏年に当たるので、収穫は三分の一になっているのだ。剪定をしているので、或いはもっと少ないかもしれない。幾つかの粒に感謝する。地球温暖化の影響もあって、自然に任せての収穫でもあることに感謝。
ちょっとだけよが聴こえそうなポーズです。念入りに綺麗に舐めているのだが、あんまり舐めると禿げる。
燃料を補給し、青空市に寄って山菜を、リエさん宛てに送る。何か贈ろうかというのを断り、上京した時にお世話になるので充分と伝えておく。実際、冷凍庫も箪笥も一杯で、入りきらない。これ以上の確保には、余分な物を買うことになるのです。喜んで食べてくれれば、言うことはありません。こういう時ですから、笑顔で居てくれれば充分です。
コロナが悪いように謂われるが、そうとばかりは言えない。これまでの人類の無謀さが、結果的にはこういうことに繋がったのだ。免疫にも抗体にも、今までに培ったものがなくては、手立ては何もありません。枇杷葉茶を飲んでいてよかった、と思うこの頃です。沢田研二さんのステージを観に行きたいが、こればっかりはどうなるのだろうか…。
ストレスも溜まるが、自分也の工夫で乗切ろうとしている。そこに携帯が鳴り、これから行きますが、との連絡があって、他部署の人だが我が家迄プレゼントを持参する。わおぉ!ケーキじゃんか。昨日の苺大福のお礼らしい。珈琲を出したが猫なのを失念していて、舌が火傷したと言う。牛乳を足しても熱かったらしい。ごめんね、分っていたのに。
夕方の闇に紛れて、毛虫が薔薇を食べている。何とか数匹捕まえたが、カメムシとの格闘にも疲れていただけにうっかりしていた。後は、お酢での散布にする。折角の新芽の蕾にも害が出そう。彼等にしてみれば、格好の餌になるのだから、必死であるのだが、こちらは花も咲かせたい。こういうのも人間の勝手に過ぎない。何と言う身勝手さであるか。
枇杷葉の花芽を少し取り除いたら、意外と結実している。昨年程には生っていないが、1枝に10粒位は付いている。有り難いことである。今年は裏年に当たるので、収穫は三分の一になっているのだ。剪定をしているので、或いはもっと少ないかもしれない。幾つかの粒に感謝する。地球温暖化の影響もあって、自然に任せての収穫でもあることに感謝。
ちょっとだけよが聴こえそうなポーズです。念入りに綺麗に舐めているのだが、あんまり舐めると禿げる。