個人の考え方は、皆の意見ではなく己の気持ちでもあろう。然しながら、それを相手への強制にしてはならないし賛同有無も不可。ブログ上で、意見のやり取りは大いにすればいいが拗れは拙いのだ。わたくしは書き込みをする時には相手の内容に合わせるが、取り方で大きな間違いになることも含んでいる。
性別を問わずの訪問であるから、同感・同調する部分と違和感を抱くこともある。でもそれらを纏めてその方の個性と思わねば、次回からは難しいことに展開する。言葉で言うのと字を並べてのこととは大きく変わる。でもそれがブログの良さで、表情が見えないからと攻撃してはいけないのだと自負するが。
親子であろうと夫婦なら尚更に、価値観の違いはあるし生きてきた時代でも異なろう。他人の意識を変える等、至難の技であるし無理とも思える。要は自分の気持ちの納得仕方で妥協策を立て、本質を見抜くことで落ち着くのではないか?小さな諍いが高じて、国を巻き込み世界に広がって行くのは避けたい。
どうして?考えや生き方が違うって殺せるの?お金さえあれば良いと殺めるの?武器を造るのも売るのも止めて!どんな小さな生き物にも命のあることを、忘れないで!!殺し合いは直ぐに止めて!!!神さま、これが地球への決断なのですか?青い美しい星を消してしまわれるのですか。壊してしまうのね。
今朝は雲がないもののどんよりとした空だったが、音もなく降りてきた雫で霧が懸かっていった。今は小止みになっているが、予断を許さない空模様だ。洗濯物は室内に干し、湿気の多さに心が蝕まれるようだ。弁当を作って届けた後、ブログの更新中。新規の訪問には出かけコメントもしておくが闇は広がる。
Aさんの検査入院で暫くは手当がない。体調維持にも限度があったのか、左足の痺れと腰の調子に違和感がある。今朝は枇杷葉の生葉を当てて庭の様子を見れば、激しい雨に枯れた枇杷葉の葉が散乱している。朝顔は、零れ種での発芽なので赤と薄い青が見える。露草の勢いに圧倒され、百日紅は雨に咲き続ける。
映画ね、観に行きたいのだが蔓延続行中では。命の停車場とキネマの神様だが、主演の俳優や監督に心が動く。外国映画には何かと殺し合いがセットだが、予告編にグリーン・アローが出て来てびっくり。実在したの?ヤング・スーパーマンでも出ていたが、クラークやレックスへの絡みだと単純に思っていた。
雨の降る日の愉しみはジュリー祭りにしよう。ジェリー藤尾さんは、やすらぎの刻で大いに役者であったが、倉本聰氏の起用に有終の美を飾った。幸せを絵に描いたような家族を演じていたのも、今となっては寂しい。人生の歯車も何処で狂うかは不明だが、命ある限りは生きていきたい。老体に鞭を打ちながら。
性別を問わずの訪問であるから、同感・同調する部分と違和感を抱くこともある。でもそれらを纏めてその方の個性と思わねば、次回からは難しいことに展開する。言葉で言うのと字を並べてのこととは大きく変わる。でもそれがブログの良さで、表情が見えないからと攻撃してはいけないのだと自負するが。
親子であろうと夫婦なら尚更に、価値観の違いはあるし生きてきた時代でも異なろう。他人の意識を変える等、至難の技であるし無理とも思える。要は自分の気持ちの納得仕方で妥協策を立て、本質を見抜くことで落ち着くのではないか?小さな諍いが高じて、国を巻き込み世界に広がって行くのは避けたい。
どうして?考えや生き方が違うって殺せるの?お金さえあれば良いと殺めるの?武器を造るのも売るのも止めて!どんな小さな生き物にも命のあることを、忘れないで!!殺し合いは直ぐに止めて!!!神さま、これが地球への決断なのですか?青い美しい星を消してしまわれるのですか。壊してしまうのね。
今朝は雲がないもののどんよりとした空だったが、音もなく降りてきた雫で霧が懸かっていった。今は小止みになっているが、予断を許さない空模様だ。洗濯物は室内に干し、湿気の多さに心が蝕まれるようだ。弁当を作って届けた後、ブログの更新中。新規の訪問には出かけコメントもしておくが闇は広がる。
Aさんの検査入院で暫くは手当がない。体調維持にも限度があったのか、左足の痺れと腰の調子に違和感がある。今朝は枇杷葉の生葉を当てて庭の様子を見れば、激しい雨に枯れた枇杷葉の葉が散乱している。朝顔は、零れ種での発芽なので赤と薄い青が見える。露草の勢いに圧倒され、百日紅は雨に咲き続ける。
映画ね、観に行きたいのだが蔓延続行中では。命の停車場とキネマの神様だが、主演の俳優や監督に心が動く。外国映画には何かと殺し合いがセットだが、予告編にグリーン・アローが出て来てびっくり。実在したの?ヤング・スーパーマンでも出ていたが、クラークやレックスへの絡みだと単純に思っていた。
雨の降る日の愉しみはジュリー祭りにしよう。ジェリー藤尾さんは、やすらぎの刻で大いに役者であったが、倉本聰氏の起用に有終の美を飾った。幸せを絵に描いたような家族を演じていたのも、今となっては寂しい。人生の歯車も何処で狂うかは不明だが、命ある限りは生きていきたい。老体に鞭を打ちながら。