枇杷の葉なし

枇杷の生育や、葉・花芽・種のことを日々の生活のなかで書いていく。

文月、旧七夕・小潮

2021年08月14日 | Weblog
 先日ネット画面が突然変わってしまい、以前のに戻る。機械オンチなので何がどうなったのかが理解できず、触ったら更なる困難になると放置し復帰。昨日は、午後から雨は中断していたのも夕方には降り出す。どんなに天を観あげても、星は一つもなく天の川の危険氾濫。今朝も洗濯物は室内干しにしている。

 Aさんの手当に向かうが、一級河川の水かさは増しておりこのままだと浸水も。避難する程ではないものの、予断は許されず危険は迫る。人間が、山を切り開き土を埋め立てて建物を増やした結果だ。温暖化だけの影響ではなく、無論自然災害でもないのは明らかだ。便利で簡単な快適さを求めた大きなツケだ。

 雨が降るので外仕事ができないので、水遣り免除は有難くも鉢の移動に思案する。月末までには何とか片付けられる予定、その頃には涼しい気温にもなっていよう。クリスマスローズの鉢を見栄え良く配置したいし、全体の雰囲気も換えたい。家籠りの愉しみは庭いじり位であるから、じっくりとの対処なのだ。

 予定は未定なことが次第に多くなるが、歳を重ねる毎に横着度も次第に増えていくのは頭の痛い処。一日は24時間であるのを失念し、皆がそれなりの趣味を愉しんでだと思ってしまう。勘違いは平行棒とも云うが、似たような者でも以って非なるである。未だに想い煩うことばかりで、心を塞ぐ事例が多く複雑。

 足湯に来る娘さんが持って来ていた白桃を戴く。果汁は滴り甘くて美味しさも最高で、冷蔵庫に仕舞っていたのを忘れる処だった。雨が降り気温も下がってなので、ここ数日は涼しいを通り越して寒いのだ。で・冷房を切ったのは良いが、湿気で黴が生えたのには困った。それ位湿気の多い初秋でもあり驚きだ。

 例年には、旧盆・旧七夕も雨に見舞われることが少なかった。台風の接近は致し方なくだが、風があれば雲間も晴れるのに今年はどうなの?予測付かないことでもなかったが、何とも不安定な気温であることか。異常気象の原因は、人類が起こしている事実であり消すことの出来ない事実でも。ライラの冒険か。

 手塚治虫氏の作品に、フイルムは生きているがある。キネマの神様の粗筋を読んでいたら、本棚に置いてあるのに眼が留まった。偉大な作家を生き返らせる方法はないが、作品への読み直しは出来る。日本は、戦争を二度としてはいけない・九条を換えてはならない。核の廃絶は尤もなことであるのを忘れない。

 
コメント (8)
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