ブログで書かれている草への想いに、ずっと違和感を抱いてきていたが今朝の新聞で心が和む。毎日新聞の一面に、裏千家前家元・千玄室さんへの記事に抱懐した。何故草をむしっているのか?即答できないか、無駄だからや邪魔であると答えるだろう。そこに何時も想うのは、雑草という植物はなく命が宿ること。
植物も、動物も或いは微生物であっても命は同じだ。然も、あらゆる場面で人間を援け生かしてくれるではないか。二酸化炭素を酸素に、命を差し出して食卓にと出て来る。それらを何等無意味にしたり、役立たずと言い訳して邪魔扱いをする人間は何が可能なの?自分では何も作れず生み出せない生物でしかない。
花を店頭で買い育てて綺麗に観繕うが、勢力を広げ始めると困ると切る。其処で生きれることを選択して安堵からのことに、都合勝手で引き抜くことも。何という愚かしさであろう、季節で植え替えられる景観は歓迎するが終われば捨てる。花の使命であるといえばそれまで、命を摘んでいるのは傲慢さに思えるが。
今朝も剪定をしながら、話しかけていったが言葉を選ぶことも大切と知った。牧野富太郎博士が植物への情熱を終生かけた命の賛歌、或いはファーブルの渾身の想いに多少は触れることができたであろうか。茶時は高校生時代に修身授業で受けたが、奥の深さには気づいてなかった。人間の生き様にも感慨深いもの。
戦争は起こしても行ってもいけないのだと、誰憚ることなく言いたいもの。機械化の進む先進国での役割はなんだろう?武器を造って密輸入で渡すことなのか、それとも死を覚悟して止める気持ちなのか。何かね、手塚治虫氏作品を読み直して震えが起きたよ。ビッグXを知っていますか?科学の悪用は人類に還る。
コロナが蔓延しているのも、地球が人類を滅亡させようとしているのかも知れない。自然への抵抗は果てしないし、老若男女の区別も無い。どんなに足掻いても、命のあるもの凡て自然に任せるしかないのかも。生きるという選択肢は、己で決めることではなく森羅万象の領域でもあるのだ。気づくのが遅かったわ。
生きることは難しいことではなく、当たり前の恩恵に感謝すること。人間は日々沢山の命を分けて貰っているのだから、地球を弱らせたり困らせることをしてはいけないのだ。今あることを満足して、祈りと感謝で過ごせる歓びに感謝したい。今日という日に万感の想いで過ごそう。明日が来るとは限らないことも。
植物も、動物も或いは微生物であっても命は同じだ。然も、あらゆる場面で人間を援け生かしてくれるではないか。二酸化炭素を酸素に、命を差し出して食卓にと出て来る。それらを何等無意味にしたり、役立たずと言い訳して邪魔扱いをする人間は何が可能なの?自分では何も作れず生み出せない生物でしかない。
花を店頭で買い育てて綺麗に観繕うが、勢力を広げ始めると困ると切る。其処で生きれることを選択して安堵からのことに、都合勝手で引き抜くことも。何という愚かしさであろう、季節で植え替えられる景観は歓迎するが終われば捨てる。花の使命であるといえばそれまで、命を摘んでいるのは傲慢さに思えるが。
今朝も剪定をしながら、話しかけていったが言葉を選ぶことも大切と知った。牧野富太郎博士が植物への情熱を終生かけた命の賛歌、或いはファーブルの渾身の想いに多少は触れることができたであろうか。茶時は高校生時代に修身授業で受けたが、奥の深さには気づいてなかった。人間の生き様にも感慨深いもの。
戦争は起こしても行ってもいけないのだと、誰憚ることなく言いたいもの。機械化の進む先進国での役割はなんだろう?武器を造って密輸入で渡すことなのか、それとも死を覚悟して止める気持ちなのか。何かね、手塚治虫氏作品を読み直して震えが起きたよ。ビッグXを知っていますか?科学の悪用は人類に還る。
コロナが蔓延しているのも、地球が人類を滅亡させようとしているのかも知れない。自然への抵抗は果てしないし、老若男女の区別も無い。どんなに足掻いても、命のあるもの凡て自然に任せるしかないのかも。生きるという選択肢は、己で決めることではなく森羅万象の領域でもあるのだ。気づくのが遅かったわ。
生きることは難しいことではなく、当たり前の恩恵に感謝すること。人間は日々沢山の命を分けて貰っているのだから、地球を弱らせたり困らせることをしてはいけないのだ。今あることを満足して、祈りと感謝で過ごせる歓びに感謝したい。今日という日に万感の想いで過ごそう。明日が来るとは限らないことも。