枇杷の葉なし

枇杷の生育や、葉・花芽・種のことを日々の生活のなかで書いていく。

団地の草苅にて

2021年08月01日 | Weblog
 今朝はAM5時起きで、珈琲を挽いて淹れてお茶湯は後にしたが布団は上げた。いで立ちは長袖にズボンで手袋をつけ首には手拭い、足元は運動靴である。一旦出たのだがマスクを付け忘れ、装着して参加した。除草剤を掛けたら草の枯れた後が見苦しいのと、根は残っているから蔓延るの。自宅の範囲だろが手抜。

 前日に刈っている場所もあり、1時間程で終了したが空き缶や煙草の吸殻が側溝に捨ててある。誰がしているかは知っている者も、気づかない振りか言わない儘かだ。自分ちの塵ではないか他所に捨てるな。会長に草刈りの度に出るなら、塵袋を買って置いてと忠告。隣近所が片付ければ済むという問題ではない。

 草刈作業の話題にはダイエットが出ていたが、先ずは体質改善を根本からしないと駄目でしょう。いい加減なサプリメントでは痩せない、それよりは草を抜いたり箒を持って掃除するのが一石二鳥だと腹の中で思う。わたくしが痩せて見えるのは、陰でのそれなりの努力もあるし枇杷葉のお陰に依る処が大きい。

 ブロ友さんの中には、今年実を食べて種を発芽させた方もおいでで愉しみだ。苗は未だ四つ葉位で小さいのだが、時間を掛けて愛情を育めば心も通じよう。花にせよ鳥も発芽し雛が孵るのは、新鮮な驚きでもあるのだ。カブトムシ・蝉や蝶、あらゆるものの命は、日々生まれて育っている。それが自然の掟なのだ。

 物事を奨めたり行うのに、何を於いても人間優先で遣るから災害を引き起こす。便利な簡単であることと豊かさは同じではない。人類はその基本に気づいていながら、停まらず考えを改めず突き進む。雷神・風神を畏怖し、自然への恩恵に感謝し祈ることには己への傲慢さを戒める役割がある。コロナ禍は収まらず。

 枇杷葉茶を飲用していてあれっと体の変化に気づくのは、疲れが溜まらないこと。或いは気怠さが無いことで、しゃきっとした状態を保てる。先日の腰痛も3日程エキスに漬けたのを貼っていたら治り、草刈りが苦痛でなかった。モーラス?笑いが洩れちゃう。金を掛ける対象が違うだけで回復力は大きく差が出るな。

 足湯のお奨めには、人間本来の存在する力を呼び起こすもので自然治癒力を促す。枇杷湯にはそれを補い援ける働きがあるので、薬とは根本から異なる。身体を温めるには水よりは湯であり、其処に作用する枇杷葉を用いるのだ。血流を良くしての体調維持には塩で擦ることも、暗雲を大きく祓うことにもつながる。

 身体への免疫や抗体も、自力で作れない場合に枇杷葉が待機して役立つのだ。実験してみれば更に詳しい。汚水や汚泥を綺麗にするのに、枇杷葉茶を注いでみればいいよ。さて、どんな結果が出ることでしょう。それらが見えないけれども体内で行われていて、血管の掃除を血流を促していることに気づければ好い。
コメント (4)
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