枇杷の葉なし

枇杷の生育や、葉・花芽・種のことを日々の生活のなかで書いていく。

如月・清明・若潮

2024年04月04日 | Weblog

 二十四節気 清明 春の陽射し強く、天地清く晴れ渡る。と云う意で、清明と呼ばれる。毎年、四月五日頃である。今年は、閏年の為、日付早まる。鶯の声は聴こえど姿見えずに、早朝飛来し囀りしを観る為り。清明とは季節違わずを覚え。

 昨日は夜半までの雨神滞在、今朝は晴れ間見えるが霞に桜満開と山笑う。肩凝りに小豆懐炉当て、一息吐くものの孫悟空の心境を思う也。あるが侭に過ごせてを感謝し、与えて貰えることを歓びに暮らしとしてにも妬み・嫉みありともに。

 体調如何も、自らの務めとすれば心の負担去り平静と想える。ある方が、足るを知る為りと書きこんでくれた。森羅万象であり宇宙・神から与えてのことに感謝しないでは、凡てが零れ落ちる也。失うことにすら気づかず、不平不満ばかり。

 医者に罹らないのも、気づけたこと・感謝の想いなら自ずと判る。各々が違うのも、其々の事情も異なるが繋がりは避けられぬ。他人を貶めず、自分を高めるには心の有様も大きく影響してくるもの。焦らず慌てずにも、心在りて動じなくと。

 生きて逝くことの何と多くの思念が絡むのか、自らへの戒めと覚える。悟りの境地に至れるのも、一様にと為らず。同時に覚れば佳と否めず、出発の兆しとなり更に険しくあれど愉しみ見つけるとも。野鳥の飛来に、囀り訓えられること有り。

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