旧暦の暮らしは、月の満ち欠けに身体が添うから有難い。藪入りには奉公先から暇を貰え、近在の者は親元に帰れる。遠くでは往復に半日が潰れるので、小遣いを手に浅草辺りの見世物小屋へと出かけられる半年毎の楽しみだ。
この時期は師走にて、この日を思いっきり遊び年末の大掃除に取り掛かる。現代とは比べられぬ働きづくめ、三連休だの長の休み等一切なく辛抱の忍耐でもあろう。寒いからと足袋もなく素足で、霜焼け皸に血が滲む。
庶民が着る衣類は綿物であり、暖を取るには火鉢さえない困窮者もいた。時代物を観ながら、違和感も強く言葉使い変だなと感じる。夫のことは旦那さまであり妻は家内と呼び、主人という言い方には敬い尊ぶ意味かな。
身体を温めるには下着で調整しており、紅花や柿渋・枇杷葉で染め重宝していたもの。昔からの暮らしに現れる手作業には、庶民の知恵と工夫が至る処に隠れてなのに気づく。雨露凌げど、隙間風は通り抜けるあばら家。
江戸時代には火事も多いが、流行り病の筆頭は風邪からの患いで医者に罹れず命を落とした。風邪は万病の元と謂うのも納得の至り、それが今もあることに不思議な感覚を覚える。たかが風邪と侮れぬ、肺炎を引き起こす。
時代の移りで変化が著しくも、便利さや明るさ・簡単には弊害が必ず生じる。原発を造れば、核の塵は保管も保存など不可能に等しい。それを何故?国の施策で増やし延長するのかが理解できない、明日は阪神淡路震災。
エンジェルナンバーが続出、369の数字も度々視えることに啓告と察する為り。自らの暮らし見直すことと改めれば、緊急事態に陥らずとも。