愛には形も、姿もないが、確かに存在している。では何処に?自分の心中にあって、どんな人にもある。唯それが形を成さないから、分かり合えるには、苦しむし挫折も味わう。渡辺和子さんが、本当の愛情は、相手が何時如何なる時も、どんな姿でも愛せること。とあった。
昨年、蝿人間のDVDを買って観たが、愛する恋人は、日々人間を捨てていく。その人との愛の結晶が宿るが、悪夢と恐怖に産む決心が揺らぐ。神さまはそれでも尚、愛せよとおっしゃるのか?物質電送機の失敗によって、更なる物体に化していく恋人。愛は非情なばかり。
生き物は、小さいが故に愛らしいが、必ず成長する。人間の都合勝手で、品種改良を重ねても、突然変異は起きる。種の起源である。学生であった頃に、さぼってばかりだったから、今難渋する羽目に。図書館に通って、蔵書を紐解く。年齢のせいではなく、直ぐに忘れる。
人にはやさしく、自分に厳しくありたいものだが、中々そうはいかない。然し、自分を愛することができなくては、他人は愛せない。愛は我儘であり、自分勝手で、裏切りもする。それなのに、人々の心の中にあって、消えないのは何故だろうか?理解し知ることも難しいのに。
荒神さまに行った時。友人には見えなかったらしいが、龍神がいたのだ。空に悠々と泳いでいた。あんなにはっきりとした姿だったのに、どうして視えなかったのか、不思議でならない。そういう天からの褒美をもらえる慶びに感謝するばかり。以前には、娘と一緒に視たの。
介護の勤務にも、少しばかり疲れていた時なので、とても勇気が出た。タイガースのコンサートには行けなかったが、DVDは手に入れたし、自分だけの舞台で観えるのもうれしい。皆がみな、自分に納得いく人生を送れるとは限らない。それでも、正直に謙虚に逝きたい。
何だか、当たり前のことを、幸せと感じて、感謝し祈れることが、とても大切な気がします。晴れの日も、雨の、曇りのある、それらの全てが、自分にとって必要なエネルギーになっていくのだろう。自然からの力にそぐえる者でありたい。未来は混沌としているが生きよう。
秋の空に、清々しく生い茂る枇杷葉。花芽の数も、今年は最高に付いた。明けて、雪に見舞われるが・・・
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