枇杷の葉なし

枇杷の生育や、葉・花芽・種のことを日々の生活のなかで書いていく。

曇空になる・・・

2017年01月29日 | Weblog

 久々の、日曜日の休みと旧正月で、安眠していたら携帯に起される。その後、天気なのを由として布団を広げるが、昼前には仕舞う。風を通しておきたかったので出したものの、天気が下り坂なのは覚悟の上である。昨日の小春日和との温度差に戸惑う。

 ヤング・スーパーマンの全集が、何時になったら分割販売か、とひたすら待っていた。ようやくチャンスが来たようで、購入の手配をする。今年の運勢の当りように少し、蹈鞴を踏みつつ、念願のエイトマンも手に入り、ほくほくしてくる。で、遺言に書いておく。

 蔵書の類は、娘も息子も要らないだろう。DVDも怪しい。行先は、図書館と言うことになるが、貴重な物ばかりである。然し、個人の趣味の範囲では、遠慮される向きもあろう。衣類も多々あって不自由しないが、サイズとクリーニング代に文句が出る可能性。

 やはりここら辺で、整理整頓をしておかねば、この先何があるかは不明。先行きは不安ではないが、死後のことも考えて、生きていかねばならない。ケ・セラ・セラと言う歌があるが、人生先のことは分らない。なるようにしかならない。感謝と祈りと満足を心に。

 田畑を持っている方が、阿保らしくて、と言う。折角あるのだから、野菜中心の生活が出来るのに。と思っていたら、人様に上げるのも嫌だし、況してや盗まれるのも腹立たしいそうだ。この方には、自然への感謝の気持ちが無いのだろう。病に憑かれる原因に。

 天に地に人に、それぞれ三分の一で充分ではないか。皆で分け与えてこそ、恩恵を授かれるものだろう。惜しいとか、立腹には、自分さえ好ければという思い上がりがある。確かに、お金には不自由しない生活を送っているが、他人に喜んでもらえることも倖。

 してみると、自分のしていることは、莫迦丸出しの行いか?誰かに必要とされ、一人でも美味しいと言ってくれる喜び。繕い物に精を出し、施設の評判を落としたくない。精一杯のボランティアをして、休日返上で働くことばかり。でも、笑顔の数は究極の歓び。

 きっと今回、念願の物が手に入ったのは、待っていて陽が射したものでもある。急がば回れとも、待てば海路の日和ありで、海が凪いで風の勢いを得るまで、耐えていた褒美かもしれないね。然し、ここからが肝心であり、更なる心掛けをして逝きたいもの。

 旧暦の長月の月。月の光には、花も草も、静かに眠っている。昨今は、人間の都合勝手で遣る、夜間照明があり、迷惑千万。

 


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