
人間は、生きることばかり言うが、死ぬために時間をかけて辿っている。小さな時や、若い時には気づかないかもしれないけれど、神さまから与えられた命を、その使命と共に果たすよう地上に降ろされる。生まれて数時間の命もあれば、百歳を越えて尚、生かされている人も。然しながら、光の速度にすれば、一瞬のこと。小さな点にもなっていない。
生かされていることの真の意味は何だろう?ある人は、その一生を研究に懸け、またある人は、生涯を祈りに捧ぐ。生きている中では、死にたくなることもある。親友と呼んでいた人に裏切られて、絶望の縁を彷徨うこともある。自分を見失って、心を閉ざしてしまうこともあろう。それでも生きているのには、希望があり、目標が視えてくるものです。
誰も援けてはくれない?いいえ。傍に居て、あなたのことを見守っていませんか?気づこうとすれば、見えてくるのに、違う方向ばかりに気を取られて・・・。Bさんは、私の何気なく言ったことを、ちゃんと覚えていて、変化を見逃さない。他の人がいい加減すぎるのかもしれません。私には、言えないけれどもわかることを、どんなにかして伝えたい。遠まわしでも、どうか気づいてちょうだい。と話しておく。
外で、ホトトギスが鳴いていたり、風の音色が聴こえたりする。それらを聴こうとしなければ、教えてあげてもわからない。心が添わないのです。そんな人たちに、いくら話していても通じない。Bさんにはそれがわかる。そういった些細なことがうれしいですね。空気でそういった感情が伝染して、雰囲気がガラリっと変わります。皆がみな、そうである必要はないのですが、せめて他人のすることが、相手に添えていないかどうかを、察することができたいものですね。
最近、可愛いという言葉が、妙に気になります。しかも上司が言うのですから、笑い話にもなりません。主任さんは、絶対に言われませんが、今は産休中です。言葉のもつ意味や、言われた方が人生の先輩であれば、当然言わないのが常識です。新聞でも問題になって、虐待になる。と職員に通達されているのに関わらず、今だ無神経に言い続ける理由がわかりません。言葉のもつ意味、重みを今一度考えてみたいものです。
自分が主体であれば、当然厭であると思うのですが、そういった言葉に何等抵抗がなく、寧ろ言ってもらえるとうれしい。とまで臆面もなく言うのだ。唖然・愕然として、二の句が出ませんでした。プライベートの同世代なら、勤務以外で使うのは勝手ですけれど。なんだかなぁ・・・日本の行く末まで不安になったよ。子どもの出来が悪いのか、親のしつけができていないのか。幽霊より怖い想いです。
枇杷葉を観ていると、その呟きが聴こえてくる。燦ざわめく光と風の中で、踊っている小さき者に、私は魅せられていく。あちこちに居ながらも、その姿が私以外には、視えないことにも驚く。ほんとうに不思議なんですが、其処に、此処に居るのです。誰にだって、視えることなのに、何故視ようとしないのかしら?願えばできることなのに・・・。
毛虫にかじられた枇杷葉。一日でこれだけ、一気に食べたようです。新芽が丁度柔らかくて、美味しかったのでしょうね。
生かされていることの真の意味は何だろう?ある人は、その一生を研究に懸け、またある人は、生涯を祈りに捧ぐ。生きている中では、死にたくなることもある。親友と呼んでいた人に裏切られて、絶望の縁を彷徨うこともある。自分を見失って、心を閉ざしてしまうこともあろう。それでも生きているのには、希望があり、目標が視えてくるものです。
誰も援けてはくれない?いいえ。傍に居て、あなたのことを見守っていませんか?気づこうとすれば、見えてくるのに、違う方向ばかりに気を取られて・・・。Bさんは、私の何気なく言ったことを、ちゃんと覚えていて、変化を見逃さない。他の人がいい加減すぎるのかもしれません。私には、言えないけれどもわかることを、どんなにかして伝えたい。遠まわしでも、どうか気づいてちょうだい。と話しておく。
外で、ホトトギスが鳴いていたり、風の音色が聴こえたりする。それらを聴こうとしなければ、教えてあげてもわからない。心が添わないのです。そんな人たちに、いくら話していても通じない。Bさんにはそれがわかる。そういった些細なことがうれしいですね。空気でそういった感情が伝染して、雰囲気がガラリっと変わります。皆がみな、そうである必要はないのですが、せめて他人のすることが、相手に添えていないかどうかを、察することができたいものですね。
最近、可愛いという言葉が、妙に気になります。しかも上司が言うのですから、笑い話にもなりません。主任さんは、絶対に言われませんが、今は産休中です。言葉のもつ意味や、言われた方が人生の先輩であれば、当然言わないのが常識です。新聞でも問題になって、虐待になる。と職員に通達されているのに関わらず、今だ無神経に言い続ける理由がわかりません。言葉のもつ意味、重みを今一度考えてみたいものです。
自分が主体であれば、当然厭であると思うのですが、そういった言葉に何等抵抗がなく、寧ろ言ってもらえるとうれしい。とまで臆面もなく言うのだ。唖然・愕然として、二の句が出ませんでした。プライベートの同世代なら、勤務以外で使うのは勝手ですけれど。なんだかなぁ・・・日本の行く末まで不安になったよ。子どもの出来が悪いのか、親のしつけができていないのか。幽霊より怖い想いです。
枇杷葉を観ていると、その呟きが聴こえてくる。燦ざわめく光と風の中で、踊っている小さき者に、私は魅せられていく。あちこちに居ながらも、その姿が私以外には、視えないことにも驚く。ほんとうに不思議なんですが、其処に、此処に居るのです。誰にだって、視えることなのに、何故視ようとしないのかしら?願えばできることなのに・・・。
毛虫にかじられた枇杷葉。一日でこれだけ、一気に食べたようです。新芽が丁度柔らかくて、美味しかったのでしょうね。
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます