枇杷の葉なし

枇杷の生育や、葉・花芽・種のことを日々の生活のなかで書いていく。

睦月、十方ぐれ入り

2020年02月11日 | Weblog
 自分勝手な内容を、応援してくれる人が居ることに驚く。枇杷葉に関しては、間違ったことを書いてはいないが、それでも個人の意見であり、その想い込みなので危険かなとも考える。大勢の中から賛同を得ることは難しく、どんなに親しい者でも、意見の対立はあるものだ。但し実際に予知出来ることには、云ってはならないことも含まれる。

 昨日も、燃料補給に行っての会話で、留守だった時のことを話すと、矢張り入院されているようで、視えたことに身震いした。枇杷葉を勧めるのには、病気の原因が分かっているのと、今なら防ぎようもあるのだと、警告のだとの思いがある。だが聴く耳を持たない人が多数で、或いは枇杷葉の効力を信じていないので、倒れてからの後の祭り。

 星を眺める絶好の機会を、寒いからという大人の都合で、子ども等を閉じ込める。寒いからこそどうすれば好いのかを学ぶのだ。災害が起きた時に、そういった経験があれば、生きていけることにも繋がる。人間の存在能力を引き出す。暖房の利いた部屋で、スマホをいじっているのとは訳が違う。人類が滅びるのも自業自得というものかもね。

 高齢者にも言えるが、過度な介護は必要なく、自立うんぬんよりも、生きて行くべき手助けをするのが先決で、乳母日傘では何かあった時に、自分で考えることが出来ない。今まで一人で生きて来た者が各部屋の狭い場所で生活するのだから、問題が生じるのは当たり前のこと。好い事ばかりを最初にうたい文句で言わず、的確な内容を伝えよ。

 高齢者の中には、上手く騙されたと臍を噛む者が増える。初めにきちんと伝え、自宅には帰れないことも言っておくべきだ。認知症状があっても、納得できるように話せばいいので、それを有耶無耶にしてしまうから問題が出る。詐欺であるか、ペテンであるかは定かではないものの、日々募る帰宅への思いには、裏切られた切なさが籠るのだ。

 白枇杷の葉を採っておいたのだが、中々切るに至らずであった。すばるのトイレも換えねばと、その前に箱に詰めた。蜜柑箱に丁度一杯になる。赤枇杷のは未だであるが、花芽を先にしておかねば虫が入る。何やかやと家事の用事も多くあり、順番にしている心算であるが、一向に片付かぬ。これが年齢を重ねてきた実感でもある。光速は一瞬。

 本日は、何と言う暖かさであろう。我が家の梅が綻び始めた。青空市までの川沿いには、白梅も満開になっている。やはり20日程早い。今年は、桜も早々と咲くであろうが、オリンピックは酷暑の連続で、選手の健康管理が追っつかないだろう。日本の梅雨時を侮ってはならぬ。不快指数が増え、世界から集まる人の多さに、パンクしてしまう。

 すばるは枇杷葉茶が好きである。特に花芽茶が好みで、花弁を食べている。サラダにして食するのもいいかもしれない。やわらかくやさしく香りの佳いのも特徴で、鼻を擦りつけているのが可笑しい。猫にも分かるのである。それにしても、ハイターの臭いに辟易してしまう。しんどさが抜けないし、息苦しくなる。頭の芯も疼いてしまうのだ。

 指定席に決めている場所は、温かくて気持ちが好いらしい。飼い主でも座るのを遠慮する。怒っている。

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